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死後の生について

 先日、古本屋で『日本人の風土―共同討議』 (共同通信社文化部、1973年) を100円で買った。擦れたオビのあおり「日本人の伝統と科学をふまえ、文化人類学・国文学・歴史学・画家・作家ほか60名を総動員」という著者の数に惹かれた。無論、それだけでは買うには至らない。目次で、久山 康(1915-1994/大正四~平成六年)の名を見つけたので買った。どれくらいの分量で彼が書いているか分からない。が、どうせ100円である。久山康の貴重な仕事については、ここでは語らない。別におく。詳しくは、こちらをご覧になられるとよいだろう。どうでもよいが「総動員」という語感に昭和の匂いが漂っている。文字通り、文化住宅の部屋のにおい。

 同書に「生死の機縁」という項目がある。口絵に波と風鈴の奥に春画が描かれ、その向こうには雲海上から見下ろす仏。日本的「生死の機縁」の印象と連想。久山は、大学の先輩となる唐木 順三(1904-1980/明治三七~昭和五五年)、益田 勝実(1923-2010/大正十二~平成廿二年)と討議している。余談ながら、益田は、作家・梅原猛『水底の歌』への学術的批判を行って世間にも知られた。「生死の機縁」は、この三者の連名で掲載されている。冒頭に「近代と死」の関係が扱われ、その象徴として三島由紀夫が評されている。

 現代、われわれは"一代限り"という感覚を痛切に持っている。この一生が終われば、すべて終わり、子孫も後世もない。わが生を継ぐものの列を想像できない。個人や志や職業は世代が変わればそこで断絶。その底には、現代的な予感もある。太平洋戦争にとどめをさした原爆の体験で明らかになった、核兵器が一瞬のうちにもたらす世界の終わり。
 かつて柳田國男などが"つづく"という前提で考えた日本人の死生観は、現代的ニヒリズムの浸透に冒されつつあるのではないか......何も深刻ぶることはないのだが、生中心に発展してきた近代は、死を生の終着駅とだけ考えていたのではないだろうか......現実の生の経験にならない死は、生の影でしかなかったのだろう。いわば、近代とは、死を忘れようとした時代かもしれない。
……宇宙科学が開いて見せた宇宙のイメージは、たとえばかつてパスカルがいだいていたような虚空感を、一般の人々に植えつけたといえないだろうか。虚空に浮かんでいる"点"のような地球。あてどない人類の行方。しかもパスカルに見えた絶対者の部分は空白。その手がかりをつけた宇宙科学の体系も、むしろ非人間的な機能に転化しやすい。その虚無の空間の中で、個人の消滅をまじまじと見ながらしななければならない現代は、いってみれば"近代のなれの果て"かもしれない。
 その意味で、三島由紀夫の死は、近代主義の空虚さを感じたものの死だったともいえよう。ただ彼は、その近代否定の仲だちに美を考えていた。彼の美的根源は歴史的な連続をもった天皇制であり、美はまた有限者をこえた大きな生命をはらんでいなければならない。その大きな、根源的な生命とつながりをもたない限り、近代の空虚さからは脱却できない、と見ていた。
 しかし、彼にとっての美は、絶対的なものとして結晶しない。その憤激が彼を死へと駆り立てたのだろう。だが、その殉教者のような悲劇美の表現は、多くの人々にアナクロニックに、またこっけいに見えた。
 だが、彼がつかの間ではあったが、大学の反乱を唱えた者の一部と会話を通じさせることがあったのは、両者に潜んでいた死の衝動だったのではないだろうか。 
 三島由紀夫は、最後の作品『豊穣の海』に見られるように、その死の前には、転生の思想につかれていたようだ。

 人間の死後について考える。考えたところで、どうもこうもないのだが、単純に学術的に関心がある。修士論文で扱った「死後生観」からの継続で、オリバー・ロッヂ『死後の生存』、下村孝太郎『霊魂不滅観』、大西精一朗『死後の生命論』を手元に置いている。精読するにはいたっていない。ちびちびと読んでいる。戦前、二十世紀初頭あたりは、いまだ「心霊学」が隆盛していた。心霊科学とは、心理学・精神医学・オカルトが未分化のまま、渾然一体と研究分野を為していた時代の、賛否両論ふくむ名前である。

感動した……戦艦大和は、拠って以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。その滅亡は、一つの信仰の死である。この死を前に、戦士たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも『絶対』に直面する。この美しさは否定しえない。ある世代は別なものの中にこれを求めたが、作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である。

 吉田満『戦艦大和ノ最期』へ寄せた三島由紀夫の評価には、このようにある。また、饗庭孝男「末期の眼 -近代日本文学における終末論的思考」では、このように引用されて語られている。

 すでに『十五歳詩集』のなかで、
 「わたくし夕な夕な 窓に立ち椿事を待った」
 とうたった三島は、戦争の終末によって、時代と歴史にのみ「終末」があり、自己にはそれが訪れなかった消えぬ悔恨をロマン主義的発想の中で文学作品と行為のなかに示してゆこうとしたのである。...
 「一体自分はいかなる日、いかなる時代のために生まれたのか、と私は考える。私の運命は、私が生きのび、やがて老い、波瀾のない日々のうちにたゆみなく仕事をつづけることを命じた。自分の胸の裡には、なお癒やされぬ浪漫的な魂、白く羽搏くものが時折感じられる。それと同時に、たえず若いアイロニーが私の心を噛んでいる。」(「私の文学」)
 だが、この挫折感の奥深く「終末」への待望がひそんでいることはたしかである。...
 とりわけ「夕焼」のイメージと「滅亡」のイメージはその最たるものである。彼は、最後の作品『豊饒の海』の第三巻「暁の寺」のなかで、「すべての芸術は夕焼ですね」と書き、「芸術といふものは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭です。さしも永いあひだつづいた白昼の理性も、夕焼のあの無意味な色彩の濫費によつて台無しにされ、永久につづくかと思はれた歴史も、突然自分の終末に気づかされる」とのべ、「あの夕焼の花やかさ、夕焼雲のきちがひじみた奔逸を見ては、『よりよい未来』などといふたはごとも忽ち色褪せてしまひます」と書き、さらに「何がはじまつたか?何もはじまりはしない。ただ、終るだけです」「芸術はそれぞれの時代の最大の終末観を、何者よりも早く予見し、準備し、身を以つて実現します」とのべている...
山本和 編(1975)『終末論ーその起源・構造・展開ー』 創文社, 35-38頁

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 とくに三島由紀夫論を述べたいわけではない。述べる力もない。ただ、三島が憧憬した、あの独特の終末の感じの描写に惹かれてしまう。三島のまなざしに屹立した絶対とその美。それは、時代の真・善・美が燃えさかる巨大な夕焼けだった。

【文語訳】
 されど主の日は盜人のごとく來らん、その日には天とどろきて去り、もろもろの天體は燒け崩れ、地とその中にある工とは燒け盡きん。
【新共同訳】
 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
【新改訳】
 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

 新約聖書、使徒ペテロの手紙Ⅱ3章10節だ。ご覧のとおり、翻訳が別れている。たとえば、ある新約聖書の校定委員会(UBS第4版)は、10節の単語「εὑρεθήσεται」は写本間の相違(異読)のために、太字個所については評価Dとしている。評価Aが、確実に原本に含まれていたと文献学上、想定できるという意味だ。新改訳聖書は欄外注で「**異本 見つけ出されます」と記している。校定最新版で、どのような評価が下っているのかは知らない。

 文語訳も新改訳も、本文では「焼き尽くされる」という意味で取っている。つまり、キリストの再臨によって、世界に天変地異が起き、あらゆる地上のわざが燃え尽きてしまう。それは、最後の審判にふさわしいイメージだ。まさしく時代のすべてが巨大な燔祭として神の火にくべられる。

 しかし、もし「見つけ出される」という意味だったとしたら、興味深い。その炎のあとに、焼け跡に何かが残っている。新共同訳は、その可能性を「暴かれてしまう」と訳出している。

 では何が暴かれて、何が残るのだろう。何かを残せるのだろうか。歴史の風雪の後にくる、神の浄火にさえ耐えうるもの、終わりの極炎さえ精錬として受け入れるに値するもの。

 希有の文豪の瞳に映った神の浄火、その向こうには何が映っていたのだろう。人生の夕暮れの先、浄闇の降りた跡、朝は再び来るのだろうか。

 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。
 (ヨハネ福音書21章4説)

 twitterで友人たちに聞いてみた。「死後、あるといいな」と思う人が僅かに多く、「人生は一度きり」と考える人とほぼ同数である。あくまで友人知人回りのみなので、統計ではない。

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 死後の生について、あなたはどう思うだろうか。

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