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責任の雲

 われらが大アジアの誇る仏教にいわせれば、だいたいのことが水面に映る影に過ぎない。2020年代の三条から四条へと下る鴨川の表情は、人工的な段差に区切られ、ときにちょろちょろ、ときにドドドドドドドドド...と流れていく。たしかに同じ形を見出すことが難しい。

 少し時間の余裕ができると、ついネットを漁ってしまう。膨大な積読を読むべきなのに、スマホやPCを触ってしまう。今朝は「氷河期世代の責任」といった話題がSNSで流れてきた。ぼくも該当するので思わず読んでしまった。主旨は「氷河期世代が悲惨なことは認めるが、いつまで被害者ぶってんだ?お?」というもの。

 「世代」論は、思想史のマナーでいくと扱いが難しい。たしかに遠目に見ると「世代」は確実に存在する。しかし学術的に定義するには、かなりボンヤリとした対象だ。雲の発生と霧消に似ているかもしれない。つまり社会学や人文学として語るべきではなく、自然科学的な流体力学や気象モデルを用いて検証すべきなのかもしれない。

 「時の亡霊」なんて言葉もある。すなわち「時代精神」である。氷河期世代≒ロスジェネと名指され後ろ指さされ、やがて世間様に止めを刺される集団――それが「時の亡霊」だとしたら皮肉が効いている。

 もちろん「氷河期世代」と造語した、当時のリクルート社に「時の亡霊」を解する人間はいなかったろうし、そんな時代の趨勢を見通す知性もなかっただろう。だから滑稽なのだ。

 さて「氷河期世代の責任」である。論旨は、労働・納税・結婚せよに尽きる。平たくいえば、被害者であることの持つ自己中心性を捨てよ、だ。もっとも「労働」は経営者や会社の被害者であろうし、「納税」は暴力装置の被害者であり、「結婚」は異性の被害者である。もっと言えば、生まれたこと自体が神仏の被害者であり、翻ってキリストにいたっては人類全体を加害者として訴えている。

 加害と被害は、鴨川の水面の渦のように入れ替わりながら回っている。だから「被害者」としての実存を確立し続けること自体に問題がある。それは理解できる。

 一方、理解できないこともある。結婚して子を育むことの責任は、果たしてどこまであるのか。いつも思うが「子どもたちの描く未来」は、現行の大人にとって都合の良いものばかりではない。どんな子供でもポルポトやヒトラーになり得るからだ。

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 ポルポトを産んだ責任を問うには、時を遡り、それこそ彼に結集した遺伝子を持つ者を殲滅せねばならない。責任を問う以上、経緯を詳らかにし、配分を明らかにして、賞罰を与えなくてはならない。

 または製造責任を鑑みて、途中で開発を止められるのか。「10才になった娘にサイコパスの兆候があるので首を絞めて殺しました、親として、世代のために責任を果たしました」そう言う人間を社会は許さないだろう。

 念のため言っておくが、ぼくは反出生主義者ではない。そういう話をしたいわけではない。

 労働や納税は、来月や半年後、来年や再来年のリアリティに関わっている。しかし「結婚」という語に隠れている「責任」は、もう少し遠い明日に手が伸びている。それは地上から雲をつかむような試みではないのか。そして雲は、種としての人類には制御しきれない環境圧によって日々変化することを、ぼくらは知っている。

 何が言いたいか。「氷河期世代の責任」とは何なのか。それは本当に労働・納税・結婚によって自己中心性を放棄することなのか。正直にいって、よく分からない。労働せず、納税せず、結婚せず、生きて死ぬ。そういう人がいることに、あまり問題を感じない。端的に、ぼくが異常独身限界発狂全裸中年盆踊男性だから、そう思うのかもしれない。

 無論、多くの人々が子を育むことによって精神の安定を図り、実存を存立さしめることは理解できる。キリスト教でも叙階と結婚はサクラメントである。それはサクラメントだから、洗礼から終わりの油(病者の塗油)までを含む物語でありデザインである。

 結局ここまで書いて気付く。「氷河期世代」という発狂大資本の古い造語のもつ底浅い物語が問題なのだ。語彙「氷河期世代」を使用した時点で、罠にハマっている。それゆえ、よく分からない責任の雲に巻き込まれる。煙に巻かれてしまう。もくもくと全体の循環から湧き上がり、誰の目にも明らかに存在するように見えて、大雨をもたらさない限りは実害がない。

 ふと思う。もしかすると、現在、今までにないほどに「氷河期世代」が禍々しい暗雲として社会に影を落としているのか。その自覚が足りないのだろうか。暗雲ならば、やがて雷撃と大水害をもたらすのか、または雲散霧消して晴れた空の美しさに存在を忘れ去られるのか。どちらが簡単で、どちらが優しいのか。雲に責任を問えるのか。

 朝からもくもくと責任の雲が湧いてきた。今日は晴れると聞いていたが、9月の空は曇り空気は冷えている。明日は雨らしいから、鴨川がまた少し荒れるのだろう。

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