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世界的秘書 性の禮拜 SEX MYTHOLOGY

「※誰も知らないような宗教雑誌、あるいは宗教雑誌のようなものなど遠慮なくご持参ください」と書かれた文言をみて、思わず、これを持っていくしかないと思った。そう、『世界的秘書 性の禮拜』である。

 では、どこへ行くのか。ワークショップ「余白の宗教雑誌:宗教と宗教ならざるものの間」だ。主催は、二つの科学研究費「日本新宗教史像の再構築:アーカイブと研究者ネットワーク整備による基盤形成」(科研番号18H00614)、「雑誌メディアによる戦後日本の秘教運動の宗教史的研究」(科研番号17K02244)である。雪降る京都を原付で走り、会場へと急いだ。

 この本との出会いは昨年の待降節なかば、2018年12月14日(金)の午後である。著名な古書蒐集家・神保町のオタどんさんが推している古書店「文庫 櫂 @bunko_kai(大阪市浪速区)」の近くにいて、開店している曜日だったので、思いきって行ってみたのだ。この文庫 櫂は、戦前以来の近代詩と文学、また発禁本(思想・性風俗など)の専門店であり、かなりの品揃えである。古書好き、また近現代史や思想研究者ならば、一度訪ねるべき店である。

 奇妙奇天烈珍妙怪々の日本語キリスト教史の余波、謎の電波ゆんゆん聖書解釈の蒐集マニアとしては「礼拝」の文字が見えたら見逃すわけには行かない。ちなみに「禮拜」とは「らい・はい」と読む。礼拝の旧字体、元々は仏教用語である。キリスト教は差別化のために、これを「れい・はい」と読むようになった。手にとって、目次を開いてみる。

本文目次
第一編
  十字架の起原:象徴、ファラス(男根神)、トライアド(三合神)、
  聖書の人名、三合の標識並に記号
第二編
  ヨオニ(女根神):神々の色、魚と耶蘇受難祭、
  亀、母なる地球
第三編
  和合:四位一体の神、メル山、宗教的娼婦、シヤガ祭、
  神人交接、儀式用菓子、十字架の原形、磔刑、クリシュナ
第四編  男根及び太陽崇拝
第五編  カルフォニヤの男女神

 ッッ!? なにこの圧倒的目次感...

 2,100円、高いのか安いのかは分からない。しかし、強烈に魅かれるものがある。しかし、こちらは非正規雇用の仕事を2つかけ持ちして研究する、冴えない中年院生である。決して余裕があるわけではない。ブ厚いのは見た目だけで、財布は寒いのだ。冒頭を読んでみる。

『十字架は遠く有志の始めに於てナイル河の沿岸に発見せられるのである。地平線を画する沿岸一帯の森林と、洪水の時水量を示すために用いられた直立せる柱との交叉、即ちこれがいわゆるナイルミーターなる十字架形をなしているものである。』

 マジかよ…。一応、古今東西の聖書解釈を広く浅く総覧したつもりの我が身ながら、こんなウルトラみらくるくるファイナルあるてぃめっとな解釈みたことないゾ。熱い、アツ過ぎる。きっと、この本を買っても、学会発表では使えないだろう。ただ面白いだけだ。しかし、日本語キリスト教思想史を研究するならば、地の果ての果て、重箱の隅の隅の分子レベルのトリビアを知るべきではないのか。そう、これは、もはや個人の問題ではなく、科学的探究心さえ超えた、人類普遍への貢献、いま、ぼくがこの本をお迎えせずして、何が研究か。どうして、信仰者を語れようか。

 気がついたら購入して、買っていた。軽い足取りに、鼻をふくらませて、贔屓の喫茶店へと戻って中身を検める。

ロツコー著/門田重雄 訳
『性の禮拜 SEX MYTHOLOGY』(東京南海書院、1927/昭和2年)

 と、表紙に書いてある。しかし、ページをめくると「門田西齋」とある。え、西斎って誰なんですかね...(困惑)おそらくシゲオ氏の筆名ということでいいのだろうが、果たして。そう思いながら、ページをめくる。原著者名は、ロツコーというらしい。全く知らない名前だ。綴りも思い浮かばない。

序  加藤玄智
 『訳者は一日余を訪問され、本原書の文献としての価値を質さる。...原著者名、刊行年月日、其の他の関係から推察するに...英国あたりの著名な宗教学者が匿名のもとにに刊行したものではないか...聖書の或る問題に就て解決を與えんがために著し...宗教の起原を見るに「性」の禮拜にあると云う思想を以て終止している』

 加藤玄智(1873-1965)は、著名な宗教学者である。浄土真宗は門徒の家庭に生まれ、井上哲次郎の影響下で東大卒、陸軍教授、東大神道学助教をつとめた。いわゆる「国家神道」の主唱者として戦後は公職追放の憂き目にあった人物である。すなわち、訳者・門田は、東大教授に序文を依頼できる程度には、何かしらの社会的地位にあった人物である。

はしがき 門田重雄
 『原著名は、”Sex Mythology”で、1898年に出版されているが、著者が本書を書いたのは、それよりも25年も前である。二百部しか印刷しないで、しかも、それが非賣品となっている。又、著者はどんな経歴をもった人か、寡聞の私には勿論のこと、その道の学者に聴いてみたが、更にわからない。恐らく変名ではなかろうか。かうした、其處に深い意味ありげな書物を、どうして手にしたか、又、どういう考えで訳したか、少し述べて見たい。
 私の伯父は、蔵書家で特に世界的の珍書、非本を需めることを唯一の楽しみとしていた。本書も世界的の秘本だと謂われるので、驚く程高い値段で倫敦から直接取り寄せたものである。それを私が形見に貰ったのである。そういうわけだから、恐らく、日本では本書を手にした人は無かろうと思う。
 次に本書の内容に就いていえば、...根本の思想は...「宗教は男女生殖器の崇拝に外ならぬ」というのである。』

 門田重雄について検索してみると、彼のものと思しき著作物が出てきた。『学校職員 新恩給法解義』、『国民学校法規の解説と実際』、『論文総覧日本の博士研究』などから察するに教育学者だったのかも知れない。検索不足かも知れないが、生没年月日は不明である。

 では、原著者の「ロツコー」である。訳者・門田いわく、本名不明である。手掛かりは、サブタイトル「Sex Mythology」と、原著年代1874年だ。

 で、検索してみた。

“The Masculine Cross and Ancient Sex Worship”,
“The Occult Meaning of Sexual Unity”
”Sex Mythology (Saddle-Stitched)” Amer Atheist Pr, 1982

 あった!

 目次や内容に似たタイトルで「Sha Rocco」という人物が書いたらしい。「ロツコー」と「Rocco」、おそらく同一人物である。著作権切れということで、英語圏のAmazonなどで売られていた。では、シャ・ロッカとは誰なのか?

 もはやインターネットにおける恐竜時代、古代遺跡ともいえる某巨大掲示板でならした我が検索能力を余すところなく発揮したところ、「Hargrave Jennings (1817 - 1890 )」という男に突き当たる。 ハーグレイブ・ジェニングスは、オペラ産業黎明期の興行主J.H.メイプルソンのマネージャーを生業とした男である。初代リットン男爵(リットン調査団の祖父)の文通相手であり、フリーメイソン薔薇十字団の会員だった。そして、アマチュア比較宗教学者だったらしい。※https://hermetic.com/sabazius/jenningsより引用

 すなわち物語は、こうだ。門田重雄の伯父は、古今東西の奇書を蒐集する蔵書家だった。当時、英国で200部しか刷られなかった、この本を彼は日本に輸入した。それが、なぜか回り回って、21世紀の大阪の古書店で売られていた。謎の著者・ロツコーは、英国フリーメイソン薔薇十字団のアマチュア宗教学者ハーグレイヴ・ジェニングスである。いわば、彼の宗教研究の同人作品の翻訳が、本書だった。そして、奥付によれば、本書は、昭和2年12月初版から昭和3年9月までに24版を重ねている。もしかすると、まだどこかに残っているかもしれない。無論、国会図書館には存在していない。その意味では、稀覯本といえよう。

 時計は進み、2019年1月、件の科研ワークショップで、これらの顛末をざっと話したところ、岩本道人氏からご指摘を頂いた。いわく、キリスト教の十字架を生殖器崇拝で解釈する、半ば比較宗教学的、半ば反キリスト教系な言説は、近代オカルティズムや無神論では重要な要素とのこと。アニー・ベサント経由でこれを大胆に用いたのが幸徳秋水『基督抹殺論』であるのは、常識的なことであり、おそらく幸徳秋水は、在米時に社会主義の関連から神智学文献を知ったのではないか。そして、このアニー・ベサントの源流が、今回のHargrave Jennings。彼のRosicrusians (1870)は、この性崇拝解釈を秘教的文脈に持ち込んだことで知られている。ジェニングスの邦訳はないと思っていたが、シャ・ロッコの変名で輸入されていたとは驚きである、ということだった。

 いや、先生、幸徳秋水からアニー・ベサントへの下り、全く存じ上げませんでした…。無知ですみません…。

 とはいえ、本の出自については、ぼくが調べた以上に、さらに明らかとなった。アニー・ベサント(1847ー1933)といえば、政教分離原則、思想信条の自由、女性の権利について有名な人物である。幸徳秋水(1871ー1911)といえば、言わずもがな、アナーキーな社会主義の思想家である。「大逆事件」がもっとも有名であり、明治期に帝国主義を批判したブリリアントな男である。田中正造の直訴文面を考えた逸話も知らぬ人はなかろう。平成13年・2000年、幸徳秋水を生んだ高知県中村市は、彼を顕彰する決議を採択した。しかし、その中村市も市町村合併となって、いまは四万十市となった。

 以上が、本書『世界的秘書 性の禮拜 SEX MYTHOLOGY』について、現時点で知り得るすべてだ。フリーメイソンの反正統的宗教本、神智学、リベラル&アナーキーな思想家、大逆事件とキナ臭くなってきたが、読者で、さらなる情報をご存知の方があれば教えて頂きたい。意外な事実が、知られざる歴史を明らかにし、それらが新たな思潮を生むからだ。

 はたして仏の御縁か、神の導きか。この奇書が「賀川豊彦」という宗教社会主義者を通じて思想史研究するぼくの手元に来たことに何かの因果を感じずにはおられない。思えば、賀川も幸徳秋水と同じく四国の出身だ。四万十川は、その昔「わたりがわ」とも呼ばれたことがあるという。『ばらばらと 時雨するなり 黄昏の 四万十川の渡し待つ身』『雲と水 波にしぐれに旅ゆけば あてなき途に雷のする』と、賀川豊彦も満州事変を憂いて歌っている。また聖書においては「川を渡る」というのは重要な意味をもつ。なぜなら古代イスラエル人を意味するヘブライ人の「ヘブライ」は、渡る者たちという意味を秘めている。すなわち、モーセに導かれて海を渡る者、ヨシュアに導かれてヨルダン川を渡る者たちである。ロッコ―、門田、秋水、ベサント、彼らはみな何川を渡ってどこへ行ったのだろうか。

 四万十川という思潮の飛沫が京都に届いたのか、今年最初の雪は、いつもより白く大きく儚げに見えた。

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