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搾取のかたち

 搾取のかたちは多種多様だ。みんな大好き「多様性」である。なおtop画と本記事は無関係だ。

 先日、よく行く回転寿司屋で入口近くに座った。そろそろ帰ろうかというとき、突然、ドアが開き、男性二人がやかましく入ってきた。年の瀬である。人が足りてないであろう店内壁際の隣席には食器が積み重なっている。こんな時期だ。とくに不快には思わない。むしろ店が開き、働いている人がいるからこそ、外食できるのだ。感謝しかない。

 やかましい男性二人は、検温・消毒の手順を飛ばして入ってきた。若い店員が飛んできて応対する。16時受け取りの品物を受け取りにきたとわめく。そして、まさかの行動に出た。隣の片付いていない席に座ると言い出した。さらに商品受け取りにきただけなのに、配布された無料ドリンク券でジュースを出せと喚いている。

 狭い入り口である。手順と手続きを解さない、予期せぬ客の登場により、若い店員らは対応に慌てていた。ヤバい奴が来たなと思い、一切、そちらの方向を見なかったが、隣に視線を移す。そして察した。

 おそらく親子であろう。年老いた父親は相変わらず、何度も同じことを喚いては繰り返す。今度は息子と思われる男性が口を開いた。おそらく、ぼくよりも年上である。「ユニクロは開いてますか?」

 見かねた時間帯のリーダーと思しき男性が「あぁ、私どもでは分かりませんので、すみません」と大き目の声でいう。しかし、その後も息子と思われる男性は若い店員を呼びつけてはいう。「あの、ユニクロは開いてますか」

 父子が去ったあと、やっと会計できると思い立ち上がる。テンパってしまった店員は、二度も会計を間違える。さすがに笑ってしまった。

 搾取のかたちは様々である。たとえば先の父子は、店に対し、また他の客に対し搾取を行っている。事情があり強く主張しなくては生きていけないのかもしれない。しかし、今どき、それは誰もがそうなのだ。言うまでもなく、社会は互いを互いに搾取して共依存化することで成立している。それこそが「人類」の強さである。

 ただ年の瀬バイトで妙な客に絡まれた若者らには同情を禁じ得ない。彼らは、やはり搾取されていた。回転寿司で働いているのに「ユニクロの閉店時間」を何度も聞かれるなんて、お門違いも甚だしい。そんなものは電話して聞けばいい。ユニクロを問う息子に対し、老父は「ええから、黙っとれ」と大声で喚く。いや、おまえが黙れよ……ぼくだけではない、多くの客が同じことを思ったはずだ。

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