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プラスαで死ぬ恐怖と祈り


 コロナ災禍で外出制限を受けている人が、人類の5割を僅かに超えたらしい。数字はざっくりしたものだ。77億人中39億人。

 ここまで来ると、人類にとって男女の次くらいに、新コロナウイルスは普遍性を獲得した病気となった。実数は不明ながら、体感としては納得してしまう。

 注意は怠らない。交通事故よりは確率が低い。とはいえ、未知の疾病で苦しんで死にたくない。そもそも報告、検査、隔離に至る手順も面倒で辛いものだろう。引きこもるにも生活のために働かなくてはならない。保障されない限りは、外出せざるを得ない。

 だから、いつものように職場に来た。どんな医療福祉の現場でもそうだろう。勤務の最初は申し送りを読む。「4日ほど咳込み微熱気味」という文字列が目に入る。読んだ瞬間、「あっ、終わった…」と思った。

 施設ごと閉鎖、明日以降の予定を全キャンセル、支払いの問題など、様々なことが一気に脳内をかけ巡る。「うわ、面倒くさ…」思わず独り言ちた。

 結局、微熱とはいえ37度程度であり、基本は平熱である。咳も風邪薬で何とかなっているようで、いわゆるコロナ罹患の様相ではない。つまり、とりあえずは安心ということである。本当にヒヤッとした。

 正直、死ぬのは困るが仕方ない。しかし、見てないアニメやドラマの続き、読みたい本がある。またコロナに罹患した場合、周囲にも迷惑をかける。ぼくを目にしたすべての人がリスクを追うことになるからだ。

 今は、とにかく食って寝て、基礎的な体力を維持して人混みを避けねばならない。

 定義にもよるが「死」という全生物にとっての普遍性の影が「病」である。ヨハネ福音書で、イエスは聖霊を風に例えている。

 風は己が好むところに吹く
汝その聲を聞けども
何處より來り
何處へ往くを知らず
すべて靈によりて生るる者も斯くのごとし

 「風はその思いのままに吹き、その音が聞こえる。しかし、誰にもそれがどこから来てどこへ行くか不明である、信仰心の起こりもそのようなものだ」という意味である。

 ダークに読み替えれば、こうなる。新コロナウイルスはその思いのままに吹き、あなたはその被害者の声/呼吸困難に陥った自分の音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。罹患した者も皆そのとおりです。

 聖霊は「いのちの息」であり、新コロナウイルスの重篤化は、それを奪うものである。しかし、形式は似ている。

 未知のウイルスでわけも分からぬまま死にたくない。しかし、万物を統べる神を前に、人類の半数を覆う死の影について、何を祈ったものか。

 まず磔刑に処されたイエスのことば、詩篇22が思い出される。

わが神 わが神
なんぞ我をすてたまふや
何なれば遠くはなれて
我をすくはず
わが歎きのこゑをきき給はざるか

 これを祈るにまだ早い。では何を祈るべきか。「主の祈り」しか思い浮かばない。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。

 プラスαの死の影に世界が怯えている。とりあえず、カラフルな、できればパステルか桜色の春めく布マスクでも買おうと思う。


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