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レンジは前後30年の説

 どこで聞いたか、もう忘れてしまった。先日、友人と話していて、ふと「牧師が扱えるのは、自分の前後30年の年代まで」という話を思い出した。出典は不明である。ただ、体感としては理解できる。

 たとえば、40歳の人間にとって、15以上離れた若者、つまり25歳未満の世代で流行っているものは、もはや感性が遠すぎて全く理解できない。同時に、55歳よりも上になると、やはり遠くて難しい。60歳を超えると別世界の趣がある。

 「世代論」は難しい。あまりに恣意的であり、あまりに雑な印象論に過ぎないからだ。ただ、よく出てくる単位「20年」は、実感として判りやすい。一概には言えないが、だいたいメモリアルは25年が区切りとなる。30年、40年、半世紀を数えるものは僅かなのではなかろうか。

 たとえば、明治期の冒頭20年は、江戸時代を決定的に過去のものとした。その後の20年は、近代日本の基礎的な傾向がほぼ現れている。そして、明治最後の5年と大正時代は、ぼくらにも馴染み深い生活インフラがほぼ出そろった時期となる。その後、関東大震災からの20年間は、言うまでもなく、1946年までを含む。

 最近、柳田國男『先祖の話』をぼちぼち読んでいる。「部屋」「分家」などの語源を知って、驚いた。いわゆる農村における「家」の意味を、ぼくは全く知らなかった。そして、柳田國男を通して、存命の祖母の世界観や価値観に初めて触れることが出来た気がした。一年以上挨拶に行っていないので、なんとかしたいが、さすがにテロリズムであるので関西から出られない。

 友人と様々なことを話した。技術革新を伴う資本主義は、人々に次々と新たな人参をぶら下げて、あてもなく走らせる。しかし、意外に、死についての忘却の速度には触れられないのかもしれない。技術ベースの近代資本主義社会が操作できないもの、それが死者という記憶の寿命、弔いなのだろう。言うまでもなく、そこに「宗教」の場がある。

 今日もコロナ禍によってSNS上を、宗教も家もなく、ただ生物個体として死のリスクに晒される多くの人々の不安が流しそうめんのように流れていく。そういえば、家についても、ぼんやりと今回の「ステイホーム」と、第二次大戦期に多用された「家」のイメージの通底具合を考えている。具体的な敵性国家とウイルスでは違うかもしれない。しかし、銃後の感覚では爆撃を受ける以外で敵に触れることはないから、この自粛ムードと同調圧力は、やはり同質なのではないだろうか。まだ読んでいないが、こんな本もある。

 ところで、友人司祭がよい指摘をしてくれた。いわく「民主主義とは、ファシズム等と闘うために戦争を選ぶものだ」とのこと。建て前として、民主主義の国家間では戦争をしない。だから、市民の脅威となるコロナ禍において、いわゆる民主主義国では戦時体制を取ることになる。しかし、日本の戦後民主主義は、基本的に戦争放棄を是として始まっている。それゆえ、戦時体制にはならない。また注意深く、政府も戦争のメタファを避けている。このあたり、もしかすると司馬遼太郎あたりが見ていた「この国のかたち」の特殊性につながっていそうでもある。

 思いつくまま記した。ぼくのこんなヨシナシごとは、やはり25歳以上、55歳くらいまでにしか通じないものなのだろうか。

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