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米国におけるアジア系へのまなざし

 内村鑑三が「キリスト教国」アメリカに期待を持って向い、深く失望して帰ってきたことは、よく知られている。

 今日、似たようなことを経験した。不朽の名作にして絶賛放映中「スタートレック」『DISCOVERY』の掲示板グループでの話だ。こんな画像が貼られていた。

 昨今、英語圏のリベラルな界隈では中国の新年を祝うのが流行っているらしい。昨今のアメリカにおける「アジア系」の勢いを伺える。たしかに人類の2割くらいは「中国人」にカテゴリーされるのだから、流行するのは理解できる。ただ、この上掲画像をみて、ぼくはひどくイラつき、悲しくなって思わず普段はしないコメントをしてしまった。

「せめて言うなら"アジアの"って言えよ、キャラとしても俳優としても中国人じゃねえじゃん、トレッキーなのにちょっと失望したわ」と英語で書き込んだ。すると、すぐに反応があった。

 掲示板に張りついている、あちらのオタクより、ぼくに対する同意、または煽りのコメントに対する賛意が連投され、見ず知らずの人からの通知がやたらと鳴り響く。

 「彼らは民族的には中国人だろ、ググれ」という阿呆もいた。あまりにもひどいので日本語で「トレッキーだから自分のことばで書くけど、学問的に「民族」と「国家」が、どれくらい複雑な関係にあるかわかるかでも悲しから退会するわ、長寿と繁栄を」みたいなことを書いた。そして退会した。

 なぜ、こんなことを記事化するほどに哀しいのか。なぜなら「スタートレック」こそ、アメリカにおける「リベラリズム」を体現してきたドラマでありSF作品であるからだ。にもかかわらず、このザマなのだ。「だらしない」の一言に尽きる。

 無論、ぼくが本場アメリカのトレッキーに期待し過ぎたのかもしれない。教育の差だって明確にある。ぼくは満期退学の廃人で、書き込んでる人はせいぜい学卒だろう。知見の差は出て当たり前なのだ。それでも、端的に中国系ハーフ/ダブルの移民2世のアメリカ人を引っ張ってきて、ひとくくりに「中国人」とやることの横暴さは、本当に非道い。

 そもそもジョージャウ船長/皇帝を演じたミシェル・ヨーは、たしかに中国系マレーシア人であるが、マレーシアも中国も「多民族国家」である。「国家」と「民族」という幻想的ながらもアクチュアルな概念についての自覚と前提が足りなさ過ぎるのだ。

 たとえば「スタートレック」の冒頭は、こうやって始まる。

Space, the final frontier
These are the voyages of the Starship Enterprise
Its five year mission
To explore strange new worlds
To seek out new life
And new civilizations
To boldly go where no man has gone before  

 この冒頭の台詞が意味を体現するもの、それこそが「アメリカ」のもっとも良質な意味での「リベラルな精神」であり、シリーズ全体は、つねにそれを表現することに執心してきたのだ。それは『DISCOVERY』シーズン3最終話後の字幕にも表れている。

 にもかかわらず……である。ぼくは、これをDISCOVERYのコミュニティで経験してしまったのだ。ぼくのコメントに同意を示したわずかな人々が、トレッキーの良心なのかもしれない。沈黙している多数の人々にもまた伝わると信じたい。ちなみに画像の投稿者は星条旗を背景にしたアイコンだった。要するにあちらのネトウヨである。

 昨今、たしかにアメリカにおけるアジア系の躍進は目を見張る。たとえば、ぼくが中間選挙のころから予想してした通り、カマラ・ハリスは選挙を勝ち抜いた。この意味では、ハサン・ミンハジが自身の番組で語っていたことは風刺を超えた実情の指摘だった。

 とまあ「オタク」という言語を超えた種族への信頼が、また一つ毀たれるときとなってしまった。きっと、ぼくの期待が高すぎたのだろう。

 主よ、憐れみたまえ、そして長寿と繁栄を。LLAPv


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波勢邦生
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