気難しい人

こういうこと言われるとイヤだなあというのが幾つかある。それは実際にイヤなのだが、それを明示的にイヤだといって仮に相手が謝ってくれたからといって、そのイヤさが無くなるわけではない。だから、できればそれがNGであることはあらかじめ理解しておいてもらうか、それが言葉で理解できないようであれば物理的に距離を取るなり、交流頻度を下げるなりしてもらいたいところである。そうしてもらいたいと言ってもそうしてもらえない場合はこちらから拒絶するしかない。こういった心情は私自身は自然だと感じているが、傍からみれば「気難しい人」「面倒な人」「俺ルールで動く人」にみえるかもしれない。

例えば、私が公開していない私の個人情報を第三者や不特定多数が聞いているかもしれないところで話されることはイヤである。いわゆる「アウティング」と呼ばれるものだ。

例えば、私はこの長年使っているハンドルネームについて発達障害者であるということは隠すものではないし、それが公式の診断だということは例えば裁判などになれば証拠を提出できる。それについて他の人たちが私の預かりしらぬところで何をどう話そうと悪口を言っていようと私は気にしない。どうやら人によっては自分の知らないところで悪く言われるのも嫌だという人がいるそうだが、それはそれで自意識過剰という一種の未熟さであるし、根も葉もない悪口を言って損をするのは悪口を言った本人であることがほとんどだろう。反対にその限度を超えるようなら、法的な抗議も可能になるだろう。要するに、自分から公開しているような個人情報については気にしないということだ。

一方、私は自分自身の学歴の詳細や前科の有無については何も情報を提供していないし、それらは個人情報に含まれるものだと思っている。だから、当人の許可を得なければ第三者に伝えていいものだとは思っていない。

反対に個人情報ではない公(おおやけ)の意見であれば第三者に伝えるが、それは解釈を入れて伝えることもある。これはこれで「ふかくさは不正確だ」と苦情を入れる人もいるのだが、公の意見なんだから、自分自身で訂正してくれればいい。私がどのように理解したかを記述するのと、一言一句引用するのは全然違うことだ。もし発言力に困難を抱えているならともかく、他人の意見の解釈も私の意見であるのだから、それを訂正するなり上書きするなりするのは構わないことである。しかし、ふかくさに意見を曲解されている側からすると、これらすべてのことがただ気に食わないのだろう。

私は別に誰かの教育係でもなんでもないので、自分が話せると思う人と話すし、話せないと思う人とは話さない。別に私と話さなくても他にも話し相手は大勢いるはずである。残念ながら私は規則の束ではなく、私自身首尾一貫しないところもたくさんあるだろうし、私自身も自分が何にイエローカードを出すのかとか、誰かをエコヒイキしていることもあるだろう。いや、実際エコヒイキは積極的にしていきたいのだが、それなりに筋の通ったエコヒイキの仕方をしたいし、ヒイキにしない場合はそれはそれで個別に明確にイエローカードを切りたいものだと思っている。私は自分自身が常識そのものだとは思っていないので、私が出すイエローカードは「ミスマッチ」以上のものではないし、「レッドカード」も同様である。

(1,370字、2024.07.31)

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