見出し画像

【盆踊り】「盆踊りガガガガガ」「愛と勇気で踊りましょ」「盆踊りの必要条件・構成要素」の田中瑞穂さんとお話をしました!

西村未奈です。
2月11日にSHIBAURA HOUSEで行われる<盆踊りアラウンドネス>のトークゲストの一人として登壇頂く田中瑞穂さんとお話しました! wwfes2023の運営メンバーでもあり演劇研究家の石見舟さんと一緒にzoomでお会いしました。主に、名古屋を拠点に盆踊りを踊られている田中さんは、盆踊りにまつわるエッセイ集「愛と勇気で踊りましょ」や、小説「盆踊りガガガガガ」、論考集「盆踊りの必要条件・構成要素」などの冊子を自主製作されています。盆踊りでの 身体体験を多様なアプローチで言葉におこされているのもユニークで、また、盆踊りに没頭するようになったのと同時期に小説や戯曲なども書き始めたそう。言葉が、踊って跳ねるようになったとの表現にワクワクしました! 盆踊り周りの興味深いお話をたくさん聞かせて頂いたのですが、<盆踊りアラウンドネス>で取り組む、オリジナル盆踊り(のようなもの)の実験制作に関連した話題をはじめ、いくつか会話をピックアップして、その抜粋をまとめてみました。

[以下文中、田中瑞穂=田、西村未奈=西、石見舟=石]
 
「盆踊りの必要条件・構成要素」について
西:この本を製作するきっかけはあったんですか?
田:僕は、どちらかというと盆踊りの質感だったり、踊ること自体に関心があって。質感とか踊ることって、書くということと、すごい連関してるんですね、僕の中で。なので、地域文化としてとか、祭りとして人々を盛り上げるとかは関心ごととしては下の方で。
西:そうなんですね〜でも、私も、結局、踊ることを通してしか、盆踊りをリアルに感じたり考えたりができない気がします。自分が舞踊をやってるからっていうのもあるんですけど。 でも、周辺のことも知りたい気持ちはあります!
田:そういう点で、僕も西村さんの前回のnoteを読んで、踊り手としての視点で書かれていたので共感できるなあと思っていました。
西:盆踊りの必要条件と構成要素って……知りたいです!
田:実は、この本のタイトル、ボケのつもりで書きました。ツッコミで、そんなものあるわけないだろ、みたいな。でも意外と、マジにとられてしまいました(笑)
西:あっ、そういうことなんですね!
田:あったとしても、状況証拠的なものどまりかもしれない。
きっかけは、2014年に盆踊りにはまり出して、踊った直後にFacebookに興奮冷めやらぬまま書いた文章を投稿をしていて、美術作家の友達が「友人たちが作ったグッズを並べてマーケットをする」という企画がしたいので、何か作ってくれと言われ、その文章をまとめて冊子ならできるよ、と。それ(「愛と勇気でおどりましょ」)が、名古屋の美術界隈でその友達伝いでいくらか頒布された。盆踊り好きの方にはあまり知られなかったと思います。その後、数年かけて第3号まで作りました。その後の2020年、コロナが蔓延したことによる文化庁の助成金があって、時間もあったので、面識のあった大石始さん(文筆家/盆踊り研究)や武藤大祐さん(舞踊評論/アジア舞踊史研究)に声をかけて「盆踊りの必要条件・構成要素」作りました。だから直接のきっかけとしては助成金。

東京は界隈がたくさん。名古屋の盆踊りはチェーン展開
田:東京の盆踊りはほとんど経験がなく、SNSなどを読んだり動画を見る程度でしか知識がないのですが、盆踊り愛好家が名古屋とは比較にならないほど、とても沢山いるように見受けます。踊りの集まりやサークル、派閥のようなものも結構あるように見受けています。大阪には二度だけ現地に踊りに行ったことがありますが、動画などを見ると、揃いの法被や浴衣のチームがたくさん踊ってます。名古屋の盆踊りには、そうした踊りサークルだったり、揃いの浴衣で踊る盆踊り愛好家はほとんどいません。婦人会などの踊る方々は揃いの浴衣を着て踊ってますが名古屋は戦後行政史的に小学校区が地域自治の単位となり、学区を単位として盆踊りが実施されることが多い。大体が、日本民踊研究会という民踊団体の枠組みに則ったもの。戦前から活動している団体で、戦後から名古屋を拠点にしているんですが全国展開の団体です。だから、名古屋の盆踊りはフランチャイズ的というか、どこの会場も踊る曲目が似通っていて画一的です。その分、一つわかれば、他の盆踊り大会でも踊れるというやりやすさがある。7割方、同じのを踊っているのではないかということが多いです。その分、盛り上がるけど飽きやすいとかもあるかもしれない。日本民踊研究会の影響下にないと思われる、独自の手作りの盆踊りは、名古屋市内ではとても少ないのではないかな。日本民踊研究会については、僕は盆踊りの現場で踊る方々を眺めて見ているだけで、会の方とお話したこともないですし、どのような規模の団体であるかなどもほとんど知りません。大石始さんは日本民踊研究会の会長さんに何度か取材をされてそれが記事になったりもしていて、僕はそれを読んで知ったことの方が多いです。
西:東京は、確かに、どんどん、演目も毎年アップデートされているし、地域によって全然違う感じで、初見で本当にみんな踊れるのかな?って思っちゃいます。
田:みんな、やっぱり本当は子供の頃に流れてたような曲が好きだったりもするんですよね〜

ダンシングヒーロー、は魔力ありすぎ
田:ダンシングヒーローは名古屋発祥の盆踊りで、日本民踊研究会の2代目会長さんが振り付けたんだけど、僕が4、5歳の時からやっていて、僕の原体験なんですよ。盆踊りの原記憶。真っ暗の中に光があって、大音量で荻野目洋子のダンシングヒーローが流れていた。ここ5年くらいでリバイバルされて再燃して、いろんなところで、やりすぎている。あまりに盛り上がるので2連続3連続かけちゃったりしていて。高校生とか叫んで踊っちゃってるし。魔力が強いですね。でも、盆踊り愛好家は飽きてきてる方も多いようですね。ただ僕は原体験だから、飽きるとかのものではない。
石:出発点ですもんね。
田:そう、ご飯みたいな感じ
西/石:(笑)
田:祭りの盛り上がりが一瞬で作れちゃうんですよ。そういう意味では盆踊りらしい。祭りの場を立ち上げるという意味で。
西:盆踊りって、盛り上がらなきゃいけないのか、それとも、もうちょっとセロトニンみたいに、ゆっくりとした持続を重視した方がいいとか、、?
田:クラブみたいに、盛り上がりとチルアウトをバランス取らなきゃいけない。そういう意味で、選曲とか、仕切ってる人のMCとかで違いが出てきますよね。
西:盆踊りは長時間だから選曲、大事ですね!
 
曲はイントロで掴む
西:盆踊りの曲を作るとしたら、なにかポイントってありますか?
田:定番曲になってるものは、伝統曲も現代曲も、ほとんどの曲はイントロが強いですよね。イントロが印象的。東京音頭も、炭坑節も。河内音頭とかもそう。郡上おどりのも。これはかなり共通してる。
西:なるほど〜イントロで掴むんですね。
田:でも、イントロが強い曲を作るって単純に難しいじゃないですか。
西/石:確かに(笑)
石:盆踊りが1曲終わって、次の曲が、がつ〜んって入ってきたときの、くるぞ〜って感じの盛り上がりは盆踊りの魅力ですよね。
田:イントロが強いとどこで踊りに入るのかもわかりやすいし。弱いと入るのが難しい。
西:曲が始まった瞬間から踊るのか、どこから踊りに入るのか結構難しい、、なんとなくで、みんな、はいれちゃってるのがすごいですよね。
田:でも最近、問題もあって。地域の民踊会が踊りの見本になるんだけど、それと別に曲にドンピシャで合わせてくる盆踊り愛好家たちがいて、それぞれ入り方が違ったりして。どっちに合わせるかみたいな。ちょっと場が荒れた感が……
西:それは微妙ですね。ちょっと気まずい……
 
歌詞は適当でも、パンチラインを見つけたらいいかも?
西:オリジナルで盆踊りの歌詞から書いてみようと思ってるんですけど、歌詞なんて書いたことないし。単純に、このフェス周辺のキーワードを並べたら、歌詞になるのかな…とか。
田:そもそも、あまり歌詞に思い入れ持って踊ってる人はそんなにいないかも。東京音頭とか。ダンシングヒーローとか。
石:私はヤクルトファンなので思い入れ強いですけど。ヤクルトファン、1番しか知らないですけどね。
田/西:あ〜(笑)
西:銀座カンカン娘とかは、歌詞と振りが合ってたから、歌詞が入ってきました。でも、歌詞とともに振りが変わっていくから、ちょっと歌詞を知らないと、あたふた……
田:郡上おどりの中に、「やっちく」という踊りがあるんだけど、郡上一揆の顛末を歌ってる。こういうのは意味が込められたものですよね。他の演芸の語り物の影響だとは思うのだけど。
たぶん、歌詞をつくるなら、あがるワードや情景的なものとか、パンチラインを見つけて入れたらどうだろう?全体の歌詞は、意味とかじゃなくてもいいかも。
 
ヨイヨイ、はいはい、ヒュー!とか、囃せる隙間は重要
田:ヨイヨイ、とか、はいはい、とか、ヒュー!とか合いの手、重要ですね。
東京音頭だったら、さて、とか。
西:確かに、 あまり詰まってる曲って盆踊りっぽくないなって感じました。隙間がある曲がいいなって。そういうことなのかも!隙間で、手を打ったり、合いの手が入る余地ありますもんね。
田:福島で、櫓の周りでぐるぐる回る、ものすごく早い盆踊りがあって、twitterですごい拡散したんですよ。ノンストップでぐるぐるひたすら前進して回っていく。伝統的なものの発展系らしいんですけど。
石:それ、今、調べたら、西白河郡中島村のハネッコという踊りのようです。
田:盆踊りはノンストップで前進していくものではなくて、止めだったり、緩めたり戻ったりが大体入る。時々、ビクターの新曲で、ひたすら踊りが早い曲が出るんですけど、大体、一年で終わっちゃう。僕はそういうのも好きなんですけど、やっぱり年配の方とかにはきつい。休める、止まる、戻る、みたいのがバランスよく入ってないと。
西:遅れをとっちゃってても、そこで誤差を合わせられる、みたいなポイントでもあるのかもですね。
田:岐阜県の白鳥おどりは、郡上おどりとセットで話されることが多いのだけど、もともと、リズミカルなのがよりリズミカルになっていて若者でないとついていけない感じになったりしている踊り曲もある。若者に運営がフォーカスしてるということもあると思う。地域活性化の意味合いもこめてなんだろうけど。
逆に、名古屋の盆踊りは高齢化してます。お年寄りの方が多い。だから激しい演目はどんどん減ってますね(笑)地域の事情は、やっぱり選曲に反映されます。

盆踊りの表拍と裏拍
石:例えば、クラシックバレエだったら音楽のベースラインに合わせて動くとかあるけれど、盆踊りもやはりそういうのがあるんですか?
 田:録音で踊る盆踊曲は、いわゆる表拍子のものがほとんどです。生歌の盆踊りの河内音頭とか、郡上おどりは、裏拍になってくる。踊りやリズムを掴むのが簡単ではなく、初めてだとほとんど踊れない。クラブミュージックとか好きな人は入りやすかったりするかもしれないけれど。 郡上おどりは2拍子と3拍子が混ざったりするので、慣れるまで大変です。
西:でも、それが、クセになりそう!
田:郡上おどりに「春駒」っていう有名な曲があって、東京でも人気あるとのことだけど、3拍子が入るんですね。
石:すごいですね……自分は 何も習わず、この夏も盆踊りに行って一番外の輪で見よう見まねでなんとなく踊っていたんですが、できないところもなんとなくごまかせちゃうのが盆踊りのいいとこですよね。みんなのペースに合わせて横に動くだけで輪に入れちゃう。でも、そんなに拍子があるとはびっくりしました。
田:裏拍を用いた振り付けで、創作盆踊り作ると多分失敗しちゃいますね(笑)
いわゆる表拍でつけたほうがいいですよね。さじ加減だとは思いますけど。
 
太鼓ないとダメ?
西:今回、私たちのフェスティバルでミニ盆踊りやる時は、コミュニティハウスでやるから、騒音とかで、太鼓は多分無理なんですけど…やっぱり太鼓は重要ですよね?
田:うん。そうですね〜。でも、生の何かがあればいいんじゃないですか?歌でもいいし。やっぱり、録音に、生の音があることでライブ感がでて、ディスコテークじゃなくなるんですよね。
西:いのち吹き込まれるんですね〜
田:太鼓が無理だったら、鉦とかでもいいんじゃないですか?
西:カネ??
田:(笑)う〜ん、どういう打楽器だったらマシか、までは検証したことないからなあ
田:「プロジェクトFUKUSHIMA!」盆踊りとかはビッグバンドでやっていて、それはそれで盆踊りにあるまじきなんだけど、全然ありでした。でも、いわゆる盆踊り好きの人がどう捉えたかはわからないですけど。誰が、それを盆踊りだって判定するのか問題もありますよね。盆踊り愛好家の判定が正しいかどうかもわからないし。河内音頭とか江州音頭とかは、基本的に音頭取りが生歌を歌い、和太鼓とエレキギターが演奏をする形式です。大阪を含め関西地域は、生歌の盆踊りと録音曲で踊る盆踊りとが多様に混在しているとのことで、そういうところは盆踊り文化も分厚いなと感じます。
 
浴衣について。ドレスコードはナンセンス。異性装。
西:田中さんは、やっぱり毎回、浴衣で行かれますか?
田:僕は浴衣で行かない派、だったんですけど、T-シャツに、ハーフパンツみたいな。今年すごい浴衣を着るようになったんですよ。浴衣を着ることによって動きやすい振り付けがあったりする。袖があることによってその空気抵抗で、なるほどと動きに納得したり。袖を掴む所作は本当につかめると気持ちよさが違う。足元も拘束されることによって動きが気持ち良くなったりする。ハーフパンツとかだと、足が上がりすぎちゃって、それがこの動きにとってはそんなに気持ちいいことじゃなかったんだと、わかったり。盆踊り愛好家の方々は浴衣を着る人が多数だけれど、浴衣じゃないとダメみたいな考えを持つ方は、ほとんどいないようです。誰が何を着て踊ろうとその人の自由だし、平日の盆踊り会場には、仕事終わりで仕事着のまま踊ってる人もたくさんいます。共通認識として、ドレスコードはナンセンスだという考えの人が多いと思ってます。
西:でも、踊りには足元とかも大事ですよね。
田:郡上おどりや白鳥おどりは基本的に下駄を履く。中高生が下駄で飛び跳ねてる。
西:かっこいい〜ですね。打つ感覚違いそう!私が行った盆踊りは、草履に足袋の方がほとんどでした。
田:あれは、結構、東京スタイルかもしれないです。
西:えっ、全国共通じゃないんですか?
石:私も夏の盆踊りで素足に草履をはいて足がベロベロに剥けてしまったので、足袋履かなきゃダメなんだなあと思ってたんだけど、みんながそうというわけじゃないんですね。
田:もともとは、どこの盆踊りでも、異性装、今でいうコスプレみたいのが当たり前だったらしく。それを明治政府がだいぶ嫌がって、辞めさせようとしたのが一度、盆踊りが廃れた大きな要因の一端みたいです。欧米諸国のキリスト教的価値観から異性装が野蛮で未開な文化だと見られたことや、高度な産業化を目指すにおいて、男女の性役割を固定化して分業させようとしたことが、下地にあったようです。
西/石:へ〜
西:私はこの夏、男性用の甚平を着て野球帽かぶって、盆踊り参加していたら、後で「男性だと思っていました」と女性の方に声をかけられてびっくりしたんですけど、結構そこは私オリジナルのスピリットを継承しちゃってたんですね!
田:前近代の日本の農村で、祝祭での異性装はそれほど珍しい習俗ではなかったみたいです。異性装だけではないですが、岐阜県の白鳥おどりは、今もコスプレして踊る日があります。白鳥おどりの取り組みは高度成長期頃に復興させたものらしいです。この辺は、盆踊り研究家の小野和哉さんが、詳しくフィールドワークしてますね。
 
鎮魂のスピリットは?東京には元々盆踊りがない?イベントとしての盆踊り。
西:あと、盆踊りの鎮魂のスピリットの行方は……?
田:僕の母方の故郷である愛知県豊川市で、新暦の八月の盂蘭盆会の時機に、屋台も何もなくて神社に櫓だけの盆踊りに参加した時は鎮魂の雰囲気を感じましたけどね。東京では、地方の人がお盆で故郷に帰る前に集まろうと、7月後半に盆踊りをすることが戦後始まったみたいですけど、もはや、お盆じゃないですもんね。別のイベントですよね。
石:新暦の7月盆と合わせているということでもなく……?
田:地域ごとに7月盆、8月盆などはあると思うけれど、単純に7月はまだみんなが東京で集まれるからということではないかと思います。
西:地域によっては9月に入ってもまだ盆踊り続いてたりして。イベント化してるから、人を集めるために何かのオープン記念で盆踊りを使ったりとかありますよね。
田:東京の盆踊りの発端がそもそもがイベントのりですからね。東京音頭の原型が初めて踊られた1932年が東京の盆踊りの発端となっている。大石始さんの本(「ニッポン大音頭時代 「東京音頭」から始まる流行音楽のかたち」河出書房新社)で、時系列で出てくるんですけど、商店や百貨店などが販促目的のイベントを催したくて「丸の内音頭」を制作して、これまで各地にあった盆踊りとは全然異なる新しいイベントを立ち上げ、それが東京音頭になっていく。明治の時に、日本中で一度禁止されて、当時は、もう盆踊りはだいぶ廃れていた。特に東京は江戸時代から庶民には盆踊りの習俗はなくなり、盆踊りが踊られるのは、大名屋敷で各地の踊りを殿様に披露するなどに限られていたとのことです。ただ佃島盆踊りが唯一、江戸時代から続いている東京の盆踊りらしいです。大石さんが詳しくフィールドワークされていますけど。佃島は江戸とは違う特殊なくくりというか、他の地域とは違う法体系で動いたらしくて。名古屋も江戸期は山車祭りが各地で盛んに実施された地域で、盆踊りの習俗はありませんでした。第二次大戦後の焼け野原の刷新的な区画整理で近代化したのち、盆踊りは名古屋の各地にインストールされました。なので名古屋も近代に誕生したイベント化された盆踊りを地域自治に利用しているという構図だと思います。

盆踊りの無名性
田:今の盆踊りは、有名な先生の振付家がいたりするものもあって、その人の作品みたいになっちゃうこともあるんだけど、盆踊りには誰が振り付けたかあまりわからない無名性はあると思う。作家主義の匂いをどこまで消せるかは大事。
西:じゃあ、自分でもし創る時、いろんな人に、ひと振りずつもらうとかがいいのかな……?私が振り考えたら、自分の個性が出ちゃうかな……とか。
田:その発想はあんまりうまくいかないように思う。似たような発想で作られたものもあるけど、うまくいってるような感じがしないんですよね。
西:あ〜、そうなんですね(笑)聞いてよかったです!
田:それだと、動きから動きへのスムーズさが……違う動きから違う動きに繋げるっていうのがね。伝統的に残っているのは、やっぱり洗練されたものが残ってる。振り付ける時は、やっぱり身体に熟知した一人が振りつけるべきじゃないかと僕は思う。Aの動きからBの動きにいかに無理なく移行できるかっていう。かといって、無理なさすぎても、面白くないっていう(笑)
西: 難しい〜
 
コンテンポラリーダンサーが創る盆踊り
田:僕、コンテンポラリーダンサーさんが振り付けた盆踊りに対しては結構物申してきた人で、SNSなどに意見を書いたりもしてまして、武藤大祐さんはそれを面白がっていてくれてるのだと思ってます。ダンサーの方は地域のアートプロジェクトなどで、依頼されてオリジナル盆踊りを作ることがどうも多いようで、依頼仕事で時間も労力も有限だろうから、なかなか盆踊り文化そのものに対するリサーチの強度が、担保できてないように見受けます。そんな中で、愛知県豊田市の「橋の下世界音楽祭」でもオリジナルの盆踊りをやっているのだけれど、そこで踊り担当をされたダンサーの方は自発的に盆踊りに関心を持たれた方で、盆踊り文化や踊りの質感に積極的に向き合って深く咀嚼されたみたいで、実際にそこで出来上がったいくつもの盆踊りは、盆踊りらしさと踊りのオリジナルさがすごくうまくできているな、と僕は感じました。また「プロジェクトFUKUSHIMA!」の盆踊りは、珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝さんが振付をされていると思いますが、そこでのいくつもあるオリジナル盆踊りのひとつに「新生相馬盆唄」という曲があって、これはオリジナルではあるのですが、東京でもよく踊られる福島の相馬盆唄をベースに敷いて作ってある曲です。山中カメラさんという、いくつものアートプロジェクトに参画されている美術家の方が、相馬盆唄をかなり大胆にアレンジして作曲した曲です。
西:歌詞とかもそのまま使っているんですか?
田:結構、もとの相馬盆唄の歌詞を歌っているんじゃないかな?メロディも割と踏襲している。恐らく伊藤さんは、相馬盆唄の既存の振付を下敷きして振付されたように思う。僕、これ、曲も踊りもすごく好きなんですよ。でも、すべてのオリジナル盆踊りがそうってわけじゃない。創作ダンスとしては面白いのかもしれないけど、盆踊りとしての楽しさとはちょっと違うな〜というのも結構ある。例えば「プロジェクトFUKUSHIMA!」盆踊りのほかの曲の振付は、どちらかと言えば盆踊りやフォークダンスに散らばっている振付の言語を継ぎ接ぎしたような印象を受ける。
 
盆踊りは、運動会のフォークダンスや創作ダンスとどう違う?
西:私もこのリサーチをやっているちょっとした動機として、創作盆踊りがいっぱいあるけど、それが踊りとして、例えば、運動会でみんなでやるフォークダンスとか創作ダンスとどう違うんだろう?っていう素朴な疑問があって。
田:やっぱり、なんだかんだ、伝統的に踊られている盆踊りの各地域の踊りや動きをベースにしているか、という部分はあるかも。
西:型みたいな、、?
田:そうですね。例えば、郡上おどりは、郡上一期後からだとか幕末頃に始まったとか諸説あるけれど、いずれにしても郡上は街道の要衝で、福井県から伊勢から尾張からいろんな所作や踊りが入っている。かなりのハイブリッド、混合型ですね。いろんな民俗芸能の所作が詰め込まれているというか。地を踏むという所作も、地を踏んで固めて沈める、というような信仰的な意味があったり。それがルーツにはなっているので、やっぱり動きに重みがある。芯がちゃんとありますよね。
西:地面を踏むとか、打つとかの感覚は盆踊りをやる時、自分の中でも、結構ポイントになってる気がします。ぐっ、ときます。
 
盆踊りは、とにかく、身体に無理なくスムーズに!
田:僕が今個人的に感じてるのが、盆踊りが、いかに、Aの動きからBの動きへの移行をスムーズに作ってあるかです。そこが本当に盆踊りの特徴じゃないのかなって思っていて。ざっくりですけど、見せるための踊りは、練習して初めてできるようになるものだから見る人も魅了されるんじゃないかなと。盆踊りは、誰もが、関節とか筋肉とか元々ある構造にいかに素直に動けるかで作ってある。だから、見て、魅了される振り付けでないかもしれない。見せるようにアレンジしてる人はもちろんいるだろうけど。動きのスムーズさを第一にしながら、ところどころ癖のあるちょうどいい感じの踊りにくさを交えて楽しくさせる。これは、他の踊りと比べてもかなりの特徴じゃないかな〜
西: 盆踊りは、初めての人も踊れなきゃですもんね。でも、最近は、練習しなきゃ絶対無理!って演目が増えてる感じもしました。あっ、だから練習会が逆に盛り上がったりするのかな?
田:例えば、日舞をベースにしているような盆踊りは、無理があるように感じます。不自然な動きがある。日舞は、不自然な動きをしてるからこそ舞台で見たときに、あ〜って感動するのでは。普通ではできない動きをしているから。
西:なるほど〜。だから、日常の身体性を扱うようなコンテンポラリーダンサーの人と盆踊りは相性がいいのかも?ですね。
田:でも、例えば、プロのダンサーさんが振付すると、振付の数をやたら多くしちゃいがち。最近そういうの多いかも。
西:AメロとBメロで振りが違ったりするの、困りますね……覚えるの大変です。
田:だけどそうした振付が、多くの人に支持されているのも見受けるので、僕の価値観が古いかもしれない。
西:確かにみんなついていけてる感じでした。奇天烈な振りをみんな涼しい顔で踊っていて衝撃でした。やっぱり練習してるのかな?
田:僕は現地に直接行って、覚えるスタイル。練習会に行くとすぐ覚えちゃうけど、なんか、それはそれで面白くないなって思っちゃう部分もある。

ヤンキーは盆踊り好き
西:関係ないけど、地元のヤンキーとか不良は、間違いなく盆踊り好きですよね?
田/石:好きですよね〜(笑)
西:私の地元も、結構ヤンキーが多くて、盆踊りの時だけヤンキーのお友達から急に誘いがきたりしてました(笑)
田:でも今の盆踊りは、管理されてしまっていて
西:健全化しちゃった?
田:そうそう、今の盆踊りはレクリエーションですよね。だから、踊らない人の方が実はお祭りらしいことしてる。ヤンキーが喧嘩したり、ナンパしたり。踊っている人は、むしろ祭り的なことをしてない人たち。ヤンキーが、仲間にウケるために調子に乗って、盆踊りの輪に入ってきたりするんですけど(笑)そういうのが、本当は祭りなのかも。
西:そっか……危ういバランス大事ですね。
田:今の盆踊りで踊ってる人は、祭りの場における飾り物なのかもしれない。
西:でも本来はそうじゃなかった……?
田:例えば、郡上一帯で今もやられている拝殿踊りなどの習俗では、音源もなしで自分たちだけでアカペラで歌って踊ったりする。アドリブで歌詞を歌ってもいいし。相手に返してもいいし。 今で言ったらヒップホップのサイファー(即興ラップ)みたいな。そういう感じが本来のノリなのかも。
 
盆踊りと一揆
西: 盆踊りが一揆に結びついたり脅威に感じられて、江戸幕府が取り締まったとかも説としてありそうですね。
田:郡上おどりは、郡上一揆後、撫民政策で、これからは町民も武士も仲良くしようって始めたって言われてるけど、軍事演習的に盆踊りを続けていた地域もあったと思う。動きを統一するということは、そういう演習になるし、藩に対する示威行為、デモンストレーションにもなったのではないかな。いつでも、我々は、行けるぞ、みたいな。そういう殺伐としたところもあったのではないかなあ。大江健三郎の小説で「万延元年のフットボール」というのがあって、幕末に念仏踊りをしながら一揆をするという逸話を描いているのだけど、念仏踊りを一揆に活用するということは一般的にあったんじゃないかな?
西:エネルギーが、わっ、と合う感じは、盆踊りのもつ強みというか魔力ですね。
田:だから、戦時中は全体主義に利用されちゃったり。盆踊り見てても危ういなと感じるときはあります。状況が右翼的に感じられるときはある。みんなで盛り上がる曲を一斉に同じ振り付けで踊ることは、冷静に考えると怖いですよね。
 
盆踊りは結局どうやって創ったらいいですか?
西:無責任にすみません……最後に、何かアドバイスありますか?盆踊りらしさってどこからくるのかなとか……?
田:よくある動きをつなげれば盆踊りっぽくはなるけど、でもよくある動きが盆踊りでも一番つまらなかったりするし……踊りながらアレンジしちゃったりする。
西/石:(笑)
西:そっか、ワクワクする動きってなんだろう?田中さんの中で、この型はワクワクするぞっていうのがあったら、教えてください。
田:振りを作るなら、浴衣を着て、下駄とかはいてみたら一歩踏み込んだ盆踊り感がでるかもしれない。物質によって身体が、変数が変わるみたいな。
西:下駄でやってみるの面白いかもですね。
田:下駄、浴衣、草履、帯の重さだったり、足の拘束され具合だったり、そういうので変わる身体を取り込んだ動き。地域によっては袖がやたら長い浴衣で踊ったり、高い下駄で踊ったりとかあるから、現在ある盆踊りの形を極端にしてみるとかも面白いかも。なにか、いちから、実験的につくるってなると創作ダンスになってしまうかもしれないし。いわゆる既存の盆踊りに他のダンスをポイントだけ入れるとか……?でも、やっぱり無理がない踊りかな。
よさこいソーランとかも、やっぱり無理がある踊りですよね。見せる踊りだから。もしかしたら盆踊りは体操に近いのかも。体の機能に沿っていて。盆踊りにももちろん見せるって部分も、多分にあるのだろうけど。
西:急な飛躍 ですけど、お茶会とかも、お茶を出す亭主は一連の動きが自分の身体の所作として無理なく流れてて、でもそれ自体パフォーマンスとしても成立してるっていう、特殊ゾーンですよね。
田:あと、やっぱり子供もだけど、お年寄りが踊れるってのは、肝じゃないかな。体に無理があったら踊れないですから。


盆踊りアラウンドネス情報はこちらから↓
https://bodyartslabo.com/wwf2023/program/bon/
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?