二度と戻らない時計の針

(いつもよりもコツコツと足音が廊下に響いて、煩く感じるし足取りも重い)

私の部屋に着くまで、宗は銀狼と話して別れてからずっと無言で歩いているし、私はというとお気に入りの服装をどうするか迷っていたけれど、それよりもいつもとは違う感覚に戸惑いながら周囲を見渡してぼんやりと考えていた。

(いつもなら賑やかなのに静かだ)

よっぽど長老の命令がない限り、廊下に立って警備にあたっている筈の戦士達のお喋りすら聞こえないから余計にそう感じているのだろう。

(いつもの事だけどそうじゃないってこういうとき、どうしてたっけ。ほんとうに警戒すべきなんだろうけど今の私には戸惑いでしかない)

嗚呼…そういえば小さい頃、この廊下が広くて遊びやすいと思っていた時期があったなとふと思い出した。

この廊下で宗と遊びでかけっこしていて、ずっこけようが、壁にぶつかろうが、なんも障害もなかったし、自分も宗と同じ一族としてだと思っていたから、何も疑問すら持たなかった。

(…今なら理解出来る、彼らは狼でいる時間の方が多いから、広くしないととてもじゃないが通れない)

それに自分と宗は変幻するかしないかの違いでそれ以外は全く同じだったから不思議とも感じなかった。

それが当たり前だと思っていたし、彼らから姫様、姫さんと呼ばれてもそれは愛称としてだと思っていたから気にも留めていなかった。

ーー自分の一族の話を長老から聞くまでは…

そう自分の出自を長老から聞くまでは自分は皆同じだと思っていたから、ハンマーで殴られたと同じような感覚に見舞われ、頭と心がついていかなかった。

(…仕方無かったことなのかな)

その話を聞くには幼かったから、仕方ない。といえば良いのか分からない。

だって自分の違うところは変幻が出来ないだけだったと純粋に思っていたし、何よりも何れは戦士になってこの山を護る事が宿命だと私は本気で思っていた。

そしていつになれば私も狼になるのだろうかと漠然と感じていただけに、混乱もするし、泣き叫びもしたのは至極当然だろうなと思う。

『なんで、一緒じゃないの!』
『…』
『やだ、やだ、みんなと一緒がいい!』
『…そう言うな、私も同じだ』

悲しみと複雑な感情が混ざって何とも言えない表情をしながら、一生懸命私を宥めようと不器用な手で、強く私を抱きしめている長老に対して、駄々っ子みたいに泣き叫んで困らせていた。

その様子を隣で見ていた宗も、複雑そうに顔を強張らせて、私をじっと見つめていたことも覚えているし、その時からずっと私の側に離れようともしなかった。

(宗なりになんか思うところがあったんだろうな、あれ以来頑なに離れようともしないし)

ふと天井の方に見やれば、そこには、本体から何本か鎖が揺らめいて、静かにシャンデリアの光が灯っていた。

(綺麗だけど、眩しい)

自分の目にはその明るさは毒でも、彼らからしたらそれでも足りないぐらいの暗さだ。

(長老が私の目に合わせて作らせたシャンデリアという事も分かっているし、彼らも私が過ごしやすいように気をつかっているのも…)

頭の中では分かっていたけど、やはり一緒では無いのだと感じてしまう寂しさは、どうしても拭えない。

「着いたぞ」

ぶっきらぼうにそう言って宗は、私の私室のドアを開けて私を中に入らせようと促した。

「有難う」
「嗚呼、では俺も巡回に回ってくる。」

と、宗は「いってらっしゃい」も言えないぐらいの速さで変幻して走り出した。

「早い…」

やがてその姿が見えなくなったのを確認してから、私は私室に入りドアを静かに閉めた途端、急に力が入らなくなったのかヘナヘナとそのまま座り込んだと同時にパタパタと尻尾の音が聞こえた方に顔を向けると、のんびりと本棚に寝そべっている猫がいた。

「あれ、帰っていたの」
『そんなのとっくの昔に帰っていたわよー』
「珍しいね」
『そう?いつもの事だと思うわってあら…、桜織ぃ、大丈夫ぅ?』

スタッと本棚から優雅に降りてきた猫が一匹、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、ドアの手前でヘナヘナと座り込んだままでいる私の側に擦り寄っては匂いをクンクンと嗅いだ。

「あー、近寄らない方がいいよ。今臭いし血がついてるし」
『んな事言ったって、どうせ同じよ同じぃ。』

あの毛むくじゃらの奴らの匂いよりはマシよマシとさらっと言う彼女に私は吹き出した。

「宗達の匂いそんなに強烈?!」
『そうよー、今はいいけど、夏の時は本気で獣臭凄くって近寄りたく無いもん』

それにその返り血、人の血じゃ無い事ぐらい私にだって分かるわよーぅと言って彼女は喉鳴らしながら、ゴロンと横たわり肉球をさあ触れ、マッサージしろと要求してきた。

「はぁ…調子狂う」

いつもしてくれてるくせに何をとジト目で私を見つめて、さあ早くやれと催促する彼女の姿に、ふっと微笑んでしまった。

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