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幸せに生きるとは

人生は予期せぬことが起こる、と最近よく思う。

壁に直面して悩んでいると、なんで自分ばっかりと思うことも多いけど、
旅先でたまたま立ち寄った岬で運良くくじらに出会える、なんてこともある。

なんかうまくいかないなと思ったり、今日はなんだか調子がいいぞ、と思ったり。人生はその繰り返し。

いいことがずっと続くわけではないし、それと同じで悪いことだってずっと続くわけではない。
だから、今の自分の置かれた立場や状況で簡単に幸不幸を決めることはできない。


じゃあ幸せとは何なのか。
 

私にとって幸せとは、穏やかなあたたかい気持ちで今を生きること。


時間はどんどんすぎていく。

苦しい今も、楽しい今もどんどんすぎていき、過去になる。私たちは常に今、今、今を生きている。
だとしたら、すぎゆく過去の断片や想像の中の未来の幻をとりだして幸不幸と決めるのではなく、今という流れの中に静かに身をゆだねられることが、今を幸せに生きる、ということだと思う。


だから、今置かれているところがどんなにつらい状況だとしても、少なくとも幸せに生きることはできる。幸せに生きる方を選ぶことはできる。

幸せに生きることだけは、他の人にも運にも予期せぬことにも邪魔されない。それは自分の心が感じることだから。 


では、具体的にどんなことをしていたら、今という一瞬一瞬を幸せに生きれるかな、と考えてみる。


私は何かものをつくったり、食べたり、お茶をしたり、ちょこっと家の中を掃除したり、お昼寝してみたり、スキンケアをしたり、好きな絵やぬいぐるみを愛でたり、本を読んだり、自然の中に身を置いて外を散歩しているときに、心が澄んでいくような、穏やかな気持ちで今を生きれるときが多い。

大袈裟だが、そうした日常のひとつひとつの動作に、祈りのような気持ちを込めるのだ。

例えば、編み物の編目ひとつひとつを丁寧に心をこめて編んでいくように。何かをただひたすらに願いながら、ひとはりひとはり、心を込めて縫っていくように。

そんな穏やかなきもちで少しきれいにこざっぱりした自分の周りは気持ちが良い。


幸せに生きるには、そういうようなことを、少しずつ日々の生活の中ににとりいれていくといいんだと思う。

幸せに生きることを選んでいるうちに、気づけばどうしても抜け出せないと思っていた長いトンネルを抜けている、なんてことが人生にはきっとあるから。

人生の中で起こる色々な出来事に、直接働きかけはしないだろうけど、そんな日々のささやかな積み重なりが大きな味方になるときがきっと来る。
だから、辛い時ほど、幸せに生きる方を選ぼう。


暮らしに心を向け、手を動かす。
祈るように心をこめて、何かをつくる。
お散歩しながら身近なだれかの、自分自身の幸せを願う。


そんなふうにして生きていきたい。

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