ジャニーズ事務所はもう会見を開く必要はない

ジャニーズ事務所の2回目の会見で指名されなかった記者たちが、「やり直し」会見を要求しているようです。でも全く意味がありません。

もう会見を開く必要はありません。そもそも、彼らは非上場の市井の一会社なのだし。だいたい会見で新しくわかったことなどほとんどありません。廃業することと、新しく設立するマネージメント会社の名前をファンクラブで公募すること、この2点だけが新しい情報です。

誰かも書いていましたが、次は一社(一誌)の取材にじっくり答えるのが良いでしょう。文春になるとは思いますが。

指名されなかった記者たちは、自分で取材したネタをぶつけて当事者から見解を訊くわけのではなく、既に世に出ている、誰か他の記者が取材したことを再度訊くだけなのに、なんという傲慢な態度なのでしょう。
傲慢といえば、サントリー社長の新浪剛史氏も同じです。新浪氏はマイナンバーに纏わるトラブルの中で、現行の保険証の廃止期日を守るよう政府に強く訴えて、世の中の不興を買いました。それを挽回するかのように、ジャニーズに関する発言を行なって、鼻高々なつもりでしょうが、やはり上から目線で感じが悪い。
ジャニーズのファンクラブの会員数は、累計ですが1374万6000だと言います。この人々がサントリーの不買運動を開始したら、どうなるでしょう。
その時の新浪氏の顔を見たいですね。

望月衣塑子氏の「長い前置き」と、ひろゆき氏の「それはあなたの感想ですよね」は盾と矛のような一対の関係に見えます。阿行と吽行。今の言論界やジャーナリズムの両端(無限の距離感)に位置とすると共に、未来に伝えるべき貴重な標本。後世に遺しておきましょう。教訓は誰かが導き出すでしょう。(「阿」には真実や求道心、「吽」には智慧や涅槃に例える場合があると言いますが、この場合はどちらにも当てはまりません)

鈴木エイトさん、控えめに。ご自分がそんなに万能なジャーナリストだとお思いですか。老婆心ながら。会見場の後ろで叫んでいた記者が怪しいというのなら、自分である程度取材して、その素性なりを確認してから発言しましょう。「勘」というのは何の証拠にもなりません。木原補佐官(当時・現内閣官房副長官)の奥さんに関する会見で、一番盛り下がったのが、元捜査員の「勘」という言葉だったでしょう。
あっ、言っておきますが、ワタシ、ひろゆき氏は嫌いじゃありません。

既存メディアを「マスゴミ」と呼び、ツイッター(Xですね、今は)など、Webがあれば情報は入ってくると豪語している人々がいます。でも、上記の困ったちゃん記者たちを含む、テレビ局、新聞社、雑誌社発のニュースが全く無いと、ヤフーなどのネットニュースはすっからかんになります。彼らは、彼らの大嫌いなマスゴミがネットニュースの供給源であることに気づいていません。

古代ローマの闘技場で行われた剣闘士の試合。リドリー・スコット監督の「グラディエーター」(2000年公開)の世界です。人間同士が戦わされるだけではなく、時には猛獣と人間の戦いもあったとか。
同じ古代ローマ時代の詩に「パンとサーカス」という言葉があります。「パン」は食料。「サーカス」は娯楽を意味し、権力者から民衆に無償で与えられるこの2つによって政治的無関心になってしまうことを戒める警句になっています。

私はジャニーズ問題が、陰謀論大好きの皆様のように「スピン(=権力者が国民の目を逸らすために芸能人の逮捕などの事件を起こすこと)」だとは思いません(だいたい「スピン」自体、疑問です)。でも、まるで「サーカス」です。どちらが剣闘士で、どちらが猛獣なのでしょう。

いずれにしても、望月記者を筆頭とする記者会見場荒らしの人たちの空騒ぎは、この問題の「サーカス」化につながります。

いい加減にしてくれないかな。

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