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ふたつめのふるさとを探す旅 後編


前半はこちらから。後半だけでも楽しめますが、ところどころ「?」となる部分があります。よろしければ最初からどうぞ。


2日目と3日目は、初日に出会った人々から教えてもらった場所を巡ることにした。さすがに徒歩では厳しいので、車を借りにレンタカーショップへ向かう。

平野さんは運転が苦手らしい。かわりに僕がハンドルを握った。ずいぶん久しぶりの運転になる。冷や汗をかきながらも慎重に車を進めていく。

最初の行き先はmanimaniという民宿だ。といっても宿泊が目的ではない。別行動している山口さんたちが泊まっていて、昼食に誘われたので寄ってみることにしたのだ。

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有料道路をのんびりと走っていく。平日の午前中だったので交通量も少なく、かなり快適だった。

あんまり得意ではないけど、車を運転するのはわりに好きだ。周りの車に合わせてアクセルを踏む。余裕を持って優しくブレーキ。急いでいる後続車のために車を左に寄せる。

変な話だが、そういう行為を丁寧にこなしていると、なんとなく大人になったような気がする。ふだん車を使わない人ならきっと分かってくれるだろう。

城の下物産館

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物産館があったので立ち寄った。僕はこの手の店舗が大好きで、見かけるとなすすべもなく吸い込まれてしまう。

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地域の農作物や特産品をじっくりと観察した。これは名物の鶏タタキ。この量でこの価格はまずまずお得ではないだろうか。

重水さんをはじめ、何人かが「鳥タタキは食べたほうがいいよ」と言っていたのを思い出す。ずいぶんと悩んだけど、10月にしてはけっこう暑かったので諦める。クーラーボックスでも持ってくればよかったな。

ぶたみそを買うかどうかでも迷った。手作りの味噌に豚肉を混ぜた、ご飯のお供や酒のあてに最高の郷土料理だ。これも荷物になると諦めたが、買えばよかったと今さらになって後悔している。

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特産物のほか、手作りのクッキーやまんじゅうなども取り扱っていた。全体的にゆるい空気が漂っていて和む。

さあ車に戻るかというときに「大根が120円だよぉ」という陽気な声が聞こえてくる。声の主は野菜の出荷にきた農家のおじさんだった。おじさんはまるで歌うように、お喋りをしながら棚に大根を並べていた。

それはとても、とても晴れやかな光景だなと僕は思った。

manimani

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ようやくmanimaniに到着した。腕時計を見ると出発してから1時間半くらい経っている。鹿児島中央駅から急げば30分くらいで着くらしいから、休憩を含めてとはいえ、かなりのスロードライブだ。

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自然豊かな村落に佇む、古民家を改装した民宿。それがmanimaniだ。夫婦二人で運営していて、素子さんは主に料理を、淳さんはDIYとお笑い(本人談)を担当している。

僕たちが到着したとき、山口さんは宿にいなかった。少し離れた場所にある物産館で食材を調達しているらしい。

「遠いところからお疲れさま。寛いでいってね」

素子さんがお茶を注いでくれる。お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうことにした。

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僕は古民家が好きだ。心を躍らせながら内装を眺める。細かいところまで手入れされていて、あと数年で築100年を迎えるとは思えないほどしっかりしている。

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光の入り方もいい。日差しに誘われるように窓際へ移動する。そのとき、ふっと風が起きて、僕の頬を撫でていった。

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日置市について、ほしいカメラについて、ライターという仕事について……。お茶を飲みながら、淳さんや素子さんとお喋りを楽しんだ。初対面とは思えないほど話は弾む。

僕はちょっと変わった仕事をしているので、はじめて会う人から好奇の目で見られることが多い。もうだいぶ慣れたけど、しんどいときもある。

でも二人は、最初から最後まで、ずっと自然体で語りかけてくれた。二人と接していると、まるで春風に触れたような気分になった。

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そうこうしているうちに山口さんが帰ってきた。両手には重そうなビニール袋。あっという間にキッチンが食材でいっぱいになる。

それにしてもプロの手際はすごい。大量の野菜やら魚やらを流れるような動きで切ったり茹でたりして、あっという間に料理を作っていく。ある小説家が、料理が上手な人を「インドの楽器奏者」と表現していたことを思い出した(あっちの太鼓を叩いたかと思えば、こっちの鐘を鳴らす……)。

手伝えることはないかと様子を伺ったが、逆に足手まといになりそうなので、居間に戻ってメールを返したり今日の予定を確認したりした。素子さんもなにか作業をしていた。手には白くてフワフワとしたものが握られている。

「それ……綿花ですか?」と僕は尋ねた。

「そうそう。近所の人にもらったの」と素子さんは言った。「殻と綿を選り分けているのよ」

その動作はたおやかで、いつまでも眺めていられそうだった。

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せっせとメールを返しているうちにご飯ができあがった。鹿児島の食材を使った料理が机いっぱいに並べられる。どれもおいしくてどんどん箸が進む。

僕は最近、食欲不振に悩んでいる。厳密にいえば食欲はある。しかし、空腹を覚えて商店街に出向くものの、食べたいものが分からないのだ。

そんな状態であったが(あるいは、そんな状態だったから)、山口さんの料理を食べたとき、「癒やされた」という感覚があった。

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食事中に「音楽がずいぶんポップですね」と平野さんが言った。たしかに古民家にはそぐわないアップテンポの曲が流れていた。

「むかしはプレイリストを作って再生してたんだけど、いつの間にかランダムで流れるようになっちゃって……」と淳さんが笑いながら釈明した。

それならと、この空間に合いそうなアーティストをいくつか見繕った。曽我部恵一や工藤祐次郎、James Iha、そして王舟。うん、やっぱりアコースティックなサウンドがよく合う。

おいしい料理とおだやかな音楽を楽しみながら、僕らはゆったりとした時間を過ごした。

日置蒸溜蔵

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昼食後、平野さんと次の目的地に出発した。manimaniからはかなり近いので徒歩で向かう。

僕らの行き先は小正醸造。百年以上の歴史を持つ、鹿児島を代表する蔵元だ。今回は焼酎を製造している日置蒸溜蔵と、ウイスキーを製造している嘉之助蒸溜所を見学した。

あれこれ質問したり、詳しく説明してもらったりで、かれこれ3時間以上も滞在してしまった。そのすべてをお見せしたいところだが、今回は特に面白かった施設や設備を中心に紹介しようと思う。

まずは日置蒸溜蔵から。付き添ってくれたのは研究開発課の枇榔(びろう)さんだ。

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施設の手前で白い帽子を手渡された。調理実習のときに使うあの帽子だ。正直だいぶ恥ずかしかったが、ルールなのでしっかりと従う。平野さんは自分のキャップを持っていたので、その帽子は使わなくていいということだった。

「こんなこともあろうかと、キャップを東京から被ってきたんですよ」と平野さんが得意げに言う。ぜったい嘘だと僕は思った。

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最初にサツマイモの受入れ場を見学した。収穫期は夏から冬の間で、訪れた10月はちょうどピーク期にあたる。ひとつで500kgになるという大きな袋が次々と運び込まれていた。一袋につき約250本の焼酎が作れるという。

「そんな忙しいタイミングにすみません」と僕が言うと、「ぜんぜん大丈夫ですよ」と枇榔さんは笑ってこたえてくれた。

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周辺には甘い香りが漂っていた。焼酎の原料となるサツマイモと麹の匂いだ。お酒が好きな人はこの時点でたまらなくなるだろうと僕は思った。

「たまに、仕事中に飲みたくなってきませんか?」

冗談半分でそう枇榔さんに尋ねると、「ええ、たまにですが……。それはもう……」とはにかんでいた。

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施設見学の醍醐味。それは、大規模な機械を身近で観察できることだ。

この機械設備を見てほしい。威容という表現がしっくりくる。唐の都をはじめて見た遣唐使みたいに圧倒されてしまった。僕たちがしきりに驚いたり感心したりするのを、枇榔さんは不思議そうな顔で眺めていた。

「そんなに面白いですかね?」と枇榔さんが尋ねてきた。「ええ、これは本当に面白いです」と僕はこたえた。

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(いったい、誰が図面を考えるのだろう?)

こういう複雑な配管を見るたびに深く考え込んでしまう。パソコンのケーブルを繋げるだけで大苦戦する身としては、どうやってるかなんて想像もつかない。

「私でも分からないところばかりです。でも、大きい建物を見ると、配管や配線をつい目で追ってしまいますね」と枇榔さんは笑いながら言った。「職業病みたいなものです、きっと」

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多種多様な装置の中で、もっとも興味をそそられたのがこの原料発酵用のタンクだ。新型と旧型があって、前者には表面にパイプが取り付けられている。

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こちらが新型タンク。パイプに水を循環させることで、原料の温度を効率的に調整できるようになっている。

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一方、こちらが旧型タンク。内部にパイプが通っていて、新型と比べると洗浄が大変だという(発酵が旺盛なときは、写真のように外部からも水をかけて冷却させる仕組みとなっている)。

「酒づくりの歴史は、作物の品種改良の歴史でもあり、機械の改良の歴史でもある」

以前、なにかの本でそういう言葉を見かけたことがある。そのときはなるほどと思った程度だったが、こうして実際に目の当たりにすると、その意味が体に染み込むように伝わってくる。

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一方で、こういう場所もある。昔ながらの製法にこだわる師魂蔵という施設だ。

「うちは機械もしっかり使いますが、手仕事も大事にしています」と枇榔さんは説明する。「ここでは伝統的な焼酎造りに取り組んでいます。機械は便利ですが、それだけでは学びきれないものがありますから」

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ごく小規模の蔵だが見るべきものは多い。今では珍しい木樽蒸溜器や、大きな甕(かめ)で仕込まれる原料など、目に入るものすべてが趣深く、思わず見入ってしまう。

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僕の心をもっとも強く揺り動かしたのは、蔵の片隅にあった作業机だった。イス、電話機、時計、ノート。どれもありふれたものだが、不思議なほどに心惹かれた。

「あのあたり、趣がありますね」と伝えると、「いや、お恥ずかしい。いつもはもっと片付いているのですが……」と枇榔さんは釈明した。

恥ずかしいことはなにもない、と僕は思った。それは、真摯に酒造りを行ってきた、小正醸造を象徴する光景のひとつだと思う。

師魂蔵から出るとき、再び作業机を眺めた。一瞬、仕事に没頭する職人の後ろ姿が見えた気がした。

嘉之助蒸溜所

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次に嘉之助蒸溜所を訪れた。2018年にオープンしたばかりの真新しい蒸溜所だ。デザインを手掛けたのはランドスケーププロダクツ。開放感のある設計が特徴となっている。

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……仕事を放棄するようで申し訳ないが、千の言葉を費やしてもその美しさを語ることはできそうにない。ぜひ現地を訪れて、その心地よさを体感してほしいと思う。

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建物と同じくらいロケーションも素晴らしい。蒸溜所から目と鼻の先には吹上浜が広がっている。日本三大砂丘に数えられる広大な海岸砂丘だ。そしてその奥には、見渡す限りの青い海が広がっている。

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驚くのはまだ早かった。蒸溜所に入ると、今まで見たことがないような光景が広がっていたからだ。まるで宇宙基地のようである。いろいろな匂いや、いろいろな音がする。視覚と嗅覚と聴覚が一気に活性化していく。

「なんだか、MOTHER2のダンジョンみたいですね、この感じ」と平野さんに言おうとしたが、たぶん伝わらない気がしたので言葉をグッと飲み込んだ。

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特に僕たちの目を引いたのが、赤銅色に輝く蒸溜器(ポットスチル)だ。ウィスキーの味わいを左右する、非常に重要な設備である。小規模施設であれば2基用意すれば十分な蒸溜器を、嘉之助蒸溜所では3基も用意している。

通常、ウィスキーは蒸溜を2回行う。2度目の蒸溜の際に、形状の異なる蒸溜器を使い分けることで、よりバリエーションに富んだウィスキーづくりが可能になるという。いうなればこの3基の蒸溜器は、小正醸造のこだわりの象徴なのだ。

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「なぜ銅製なんですか?」と僕は枇榔さんに質問した。

「原酒に含まれる不要成分を吸着・分解してくれることから、銅が素材として選ばれています。ただ、最初は『加工しやすかったから』というのが、銅が選ばれた理由ではないかと思います。蒸溜器が造られはじめたころは、現代ほど加工技術がなかったそうですから」

僕は酒造りには明るくない。でも、こんな具合に枇榔さんが詳しく解説してくれるので、しっかりとプログラムを楽しめた。

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これは発酵槽(ウォッシュバック)と呼ばれる装置だ。このように床の下に埋め込まれるのはかなり珍しいという。

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その様子が、師魂蔵で見かけた光景と、どことなく似ているように感じた。たまたまだろうが、こういう偶然はなんだか面白い。

蒸溜器や発酵槽などの大きな設備に目が行ってしまうが、個人的には什器や備品にも注目してほしいと思う。ファンやキャビネット、プラグなど、置いてあるものすべてからこだわりを感じた(設備の説明を聞きつつ、合間にファンの品番などもチェックしていたのでとっても忙しかった)。

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ウィスキーは樽詰めされたあと、このようにウェアハウス(貯蔵庫)に保管される。最低でも3年間、じっくりとこの場所で熟成させるという。

(いま作っているウィスキーが市場に出るのは、早くても2022年の冬になるか……)

そんなことを考えると、感慨深い気持ちになる。

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プログラムの締めくくりに、THE MELLOW BARへ向かう。ここではニューポット(未成熟のウィスキー)の試飲が可能となっている。

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全体的に感心してばかりだったが、最後の最後に最大の驚きが待っていた。

なんと、広大な東シナ海を眺めながらテイスティングを楽しめるようになっているのだ。あまりの絶景に、しばらくのあいだ言葉を失ってしまった。

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いうまでもなく、内装にも徹底的にこだわっている。たとえばチェアは鹿児島の職人が手掛けたもので、ソファーなども特注品。極めつけはカウンターテーブルで、10mを超すアフリカンチェリーの一枚板を使用している。

果たして、この場所以上にメローな空間がほかにあるだろうか?

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「では、さっそく試飲を……」と言いたかったが、残念ながら僕はハンドルキーパーだったのでお酒を飲めない。

平野さんが遠慮がちにこちらを見ていたので「僕のことは気にしないで楽しんでください」と伝えると、ものすごく嬉しそうな顔でウィスキーを飲み始めた。

「うーん、これはすごい。ぜんぜん違いますねえ」などと言っている彼を横目に、口直し用の水を飲んだり、海を眺めたりして時間を過ごした(こう書いているが、とても素晴らしい空間だったのでちっとも退屈しなかった)。

ちなみに、試飲用のウィスキーは持ち帰れるようになっている。運転役の人も安心だ。

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帰る前に敷地を散歩した。吹き渡る風が心地いい。

「明日はどちらに行かれる予定ですか?」と枇榔さんが尋ねてきた。

「湯之元の温泉街がメインですね。あと、吹上浜にも行こうかと。あっ、薩摩湖も気になっています」と僕は言った。

「えっ、薩摩湖ですか?」と枇榔さんが驚く。「特に観光する場所では……。釣り人からは人気らしいですけど」

どうも、今回の旅はこういうのが多い。

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嘉之助蒸溜所を後にし、manimaniまで戻ってきた(忙しいでしょうからと断ったが、枇榔さんがわざわざ車で送ってくれた。本当に親切な方だ)。

「素敵な民家ですね」と枇榔さんが言った。「うちまで近いですし、もし宿を探しているお客さんがいたら紹介したいです」

「ここを拠点に、じっくり酒造りを勉強するというのも良さそうですね」と僕は言った。そして、顔の赤い平野さんを見ながら「歩いて帰れるから、ハンドルキーパーもいらないし」と牽制した。

三人でひとしきり笑ったあと、丁重にお礼を伝え、枇榔さんと別れた。

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manimaniに着いたとき、ちょうど山口さんたちも散歩から帰ってきたところだった。そろそろ宿に向かう時間帯だったが、ついついお喋りに花を咲かしてしまう(写真はトイプードルのモコボーイくん。とってもキュートだった)。

中島温泉旅館

いつの間にか影が伸びていた。まだまだ話し足りなかったが、2日目の最後の目的地である中島温泉旅館に向かうことにする。

「いろいろお世話になりました。また必ず、遊びに来ますね」

しっかりとお礼を伝えて、車に乗り込んだ。……のだが、カーナビを操作したり宿に電話を掛けたりで、5分くらいその場でモタモタしてしまった。

(すっかり待たせてしまったな)と思いつつ、見送るために待っててくれた素子さんと淳さんの方に目をやる。

すると二人は、庭にしゃがみこんで、そこに生えている植物について熱心に話し合っていた。好奇心旺盛な子どものようにも、仲睦まじい老夫婦のようにも見える。それはとても素敵な光景だった。

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旅館に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。急いで受付を済ませる。

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島津家に殿湯として利用されていた由緒ある御宿。それが中島温泉旅館だ。建物自体は昭和に建て替えられたものだが、随所から長い歴史を感じることができる。

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中島温泉旅館は座敷わらしが出ることでも有名らしく、旅の間に何度かその噂を聞いた。それを目当てにわざわざ遠方から訪れる人もいるそうだ。

残念ながら見ることはできなかったが、そういう精霊が急に現れてもまったく不思議ではない雰囲気だなと僕は思った。

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廊下にはコタツが並べられていた。もう少し寒くなったら客室に置くそうだ。コタツで温まりながら日本酒を飲み、窓の外の雪景色を楽しむ……。そんな情景を想像して思わず喉が鳴った。

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館内をじっくり見学させてもらったあと、きょう泊まる部屋へ向かった。

「暖かかったので暖房は切っています。もし夜になって肌寒くなるようでしたら、こちらのリモコンで操作できますから」と女将さんが説明する。小さな配慮に嬉しくなる。

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食事の前に風呂に入ることにした。あの西郷隆盛公が愛したと伝わる名湯で、「西郷どんの湯」と呼ばれているそうだ。

自宅のものの数倍もあろうかという湯船を一人でゆったり使う。実に贅沢な気分だ。

そういえばこの旅館には「泊まると出世する」と評判の部屋があるらしい。残念ながら僕たちが泊まるのは出世部屋ではないけど、同じ建物だし、もしかしたらご利益みたいなものがあるかもしれない。

そんなことを考えているとき、せっかく広い湯船に浸かっているのに、無意識で隅の方に寄ってしまっている自分に気がついた。うーん、これはどうも出世しそうにないな……。

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入浴後に夕食をいただく。平野さんと二人して地場産の食材を使った料理に舌鼓を打った。

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不思議なことだが、陶板焼きを見ると(旅館に来たんだな……)という思いが一層強くなる。なぜだろうと記憶をたどった。どうやら、修学旅行のときに泊まった宿で陶板焼きを食べたことがその原因のようだ。旅は様々な思い出を蘇らせる。

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平野さんと解散して自室に戻り、茶菓子器をパカッと空ける。思わず顔がほころぶ。これが旅館の醍醐味ではないだろうか?

それにしても、旅館って最高だ。むかし読んだ漫画で「旅館の一室で、一ヶ月ほど何も思わず横になりたい」というセリフが出てきたけど、その気持ちが痛いほどによく分かる。

お茶を淹れ、本でも読みながらゆっくりしようと思ったところでコンコンとノックの音がした。扉を開けると平野さんが真っ青な顔でこう言った。

「渡辺さん。明日の飛行機、乗れないかもしれません……」

実はそのとき、超大型台風が日本に接近していたのだ。前日の予報では影響はなさそうだったけど、進路が変わったせいで、飛行機が欠航する可能性が出てきたのだ。

いったいどうなるのだろう。旅情なども一気に吹っ飛び、大慌てで別の飛行機を手配することになった。

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午前発の飛行機に乗るため、翌朝は4時半に起床した。まだ鶏だって起きていない時間だ。目覚ましのため顔を洗う。

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なにかとお世話になった女将さんに礼を伝え、慌ただしく出発する。今度はぜひ、ゆっくり泊まりに来たい。

・青い海と野焼き、そして旅のおわり

「旅とはトラブルのショーケースである」

「家でゲームでもしているほうがまともだ」

ある小説家は、旅行についてにこんなことを書いている。それから、こう続ける。

「それが分かっているのに、僕らはついつい旅に出てしまう」

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山口さんをピックアップするためにmanimaniに立ち寄った。もうしばらく会えないと思っていた淳さんや素子さんと再会できてとても嬉しい。こういう予定外だったらいつでも歓迎なんだけどな。

「今日はどこに行く予定だったの?」と淳さんが尋ねる。「湯之元で温泉に入って、美山地区で薩摩焼を見て……あと、吹上浜もゆっくり眺めたかったですね」と僕はこたえた。

「吹上浜なら車ですぐに行けるから、連れて行ってあげるよ」と淳さんが提案してくれた。「ほら、まだ時間は少しあるでしょう」

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manimaniから車を走らせること数分。そこには、見渡す限りに、静かに揺れ動く海が広がっていた。遠くに白い船が見える。

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海岸も美しい。白い砂浜がどこまでも伸びている。これほど人工物が少ない海を見るのは生まれてはじめてかもしれない。漁師町で生まれ育った僕ですら、その光景にはすっかり魅了されてしまった。

「よく二人でここに来るよ。夕日も綺麗でねえ」と淳さんが言った。

……海の青さを目に焼き付け、manimaniに戻ってきた。ほんとうにお別れの時間だ。「また、必ず遊びに来ます」と、二人に再び約束する。

She backs in to Thailand
彼女がタイランドに帰ることになった

It's let me down
僕は落ち込んでいる

But she looks so fine
でも、彼女はそうじゃないみたいだ

いよいよ出発するかというときに、部屋のスピーカーからThailandが流れはじめた。不思議なことに、旅がはじまったころとはまったく違う曲のように聴こえた。

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空港まで車を走らせながら僕はその理由を考えた。

その答えはすぐに出た。僕にとってこの町は、もう「知らない場所」じゃないからだ。きっと。

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旅の動機は人それぞれだ。

ある人は「自分の価値観を変えるたびに、旅に行くんだ」と語った。

ある人は「知らない土地で自分の力を試したいから、旅に行くんだ」と語った。

僕ならなんて答えるだろうとしばらく考えた。そして、こういう結論にたどり着いた。

「知っている場所をひとつでも増やすために、旅に行くんだ」

答えをすぐに出す必要はないけど、きっと、そういうことなのだろう。

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席に座ると同時に睡魔がやってきた。今にも寝てしまいそうだ。

まどろみはじめたとき、突然、隣の席に座っていた男の子が泣き出した。ちょっと普通ではない泣き方だ。母親がすみませんと謝ってくる(ぜんぜん気にしなくていいのに)。

それとなく母親に事情を聞くと、その男の子はこれから、生まれてはじめて東京へ行くのだという。

「どうか気にしないでください」と僕は彼女に伝えた。「知らない場所に行くのって不安ですよね」

そう。「知らない場所」はいつも、僕たちを不安にさせる。大人になっても怖い。だから、僕は……。



飛行機はゆっくりと動き出し、少しずつ速度を上げていく。男の子は泣き疲れたのか、ぐっすりと眠っていた。

僕は窓から風景を眺めていた。やがて飛行機は分厚い雲に飛び込み、そしてなにも見えなくなった。

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あとがきにかえて

日置市に訪れてから2ヶ月以上が経ちました。記憶が薄れていくかというとそんなこともなく。むしろ、太陽が沈むとともに影が伸びていくみたいに、日が経つほどにその印象は深みを増していきます。きっとそう遠くないうちに、またこの場所を訪れることになるでしょう。

さて、今回僕らが旅したコースをもとに、日置市を巡るツアーが開催される運びとなりました。旅程は徳重神社や美山(焼き物で有名なエリアです)、農園や物産館などなど。もちろん日置蒸留蔵と嘉之助蒸留所も含まれていますよ。そして、宿泊先は僕が大好きなmanimaniです。いいなあ。普段の自分を忘れて、ゆっくり寛いでくださいね。

プランを見ていて面白いと思ったのは、添乗員が同行せず、基本的には自分たちで車を運転して行動するというところ(行き先にはガイドさんがいるようなのでご安心ください)。フリータイムがあるようだから、海を眺めに行くのもいいかもしれませんね。冬の海岸線ってとてもきれいですよ。王舟を聴きながら吹上海岸をドライブしてみるのはいかがでしょうか? ……宝物のショーケースみたいな、素敵な旅になることを祈っています。
この記事は、セカンドふるさとプロジェクトの体験レポートとして、主催者の依頼により書いたものです。