【創作リンク】いじめをして後悔している
monogatary.com に掲載している創作の紹介と一部引用記事。
お題『「信頼できない語り手」で書いてみた』
前半の言い分は岡田斗司夫が学校に訪問して語った戦争についての講演のパクりです。確かにな、って思ってしまったので。納得してしまったわけです。
差別についてもそうなんですけど、人間が感じてしまう業というか、「罪悪感」「後ろめたさ」「自己保身欲」「利己」をすっ飛ばして思考停止で反射的に「それはいけない」では根本、何も解決しない気がするんですよね。
その業・不合理さとどう折り合っていくのか、しかなくないですか。これは非常に理想論で、悠長だとも思います。そんなことしている間にばかすか人は追い詰められて死んでいくなり病んでいくなりしているので、まぁ、多数派の傲慢でもありますね。
「いじめ」をテーマにした漫画を読んで、いじめ探偵みたいな感じの話なんですけど、そんな悠長にしていていいの?って思ってたので。証拠集めしているうちに、明日には、数時間後には、自穀してるかも分からんのやぞ、と。
いや、作り手としては物語の構成、読み手感情の企図ってものがあるので、そんなツッコミしても仕方ないのですが。虚構と現実の区別がついてないヤバい人間なので申し訳NASA。
これも岡田斗司夫から学んだ概念なのですが、今後「ホワイト社会」になっていくので、"正しさ"が武器になり、"弱者性"が特権になっていくんじゃないですかね。つまり、弱者をいじめる輩を叩きまくることは"正しい"。正論は正論。ただし人には事情もある。複雑に絡み合った事情が。表には出し切れない事情がね。知らんけど。
そして「いい人キャンペーン」ではぼろが出る。「いい人キャンペーン」に切り替えた側なら尚更ね。純・ナチュラルボーン善人がこの世に何人いるのだろう。そして使い擦られ潰れていくのだろう。
各個人が「ホワイト社会ゆえのいい人キャンペーン」の重圧に耐えられなくなったとき、ヤンキーこと素行不良児がリバイバルするかもしれない。
何かそういうデータはないです。これってわたくしの感想です。