【創作リンク】イニシャル誰か
monogatary.com に掲載している創作の紹介と一部引用記事。
平行線は一生合わずに済んでたってわけ。
お題「xとyの関係」
1回交わったこの関係 平行線ではないけれど このカラダを知っているから
横たわるアナタを突きあげる たった一度 もう関わらない 違う道を往く
微分積分 背負わせた欲望 セブンからイレブンまでずっとヘブンの最中
引用元:monogatary.com「イニシャル誰か 」 .六条河原おにび
下ネタテイストなので15禁です。
別れるのなら/こんな思いするのなら、会わなければよかった/知らなければよかった と思うクチですよ、わたくしは。何かしら得るものがあったかも知れないし、そうなる前までの幸せや喜びを知れたということはあるかも知れないですけれど、それを上回ります、その後のことが。失う悲しさとかすれ違った怒りとかが多分上回るんですよ、幸せとか喜びとかをね。そう強くいられないんですわ。逆にそのために孤独を選び取って、それはもしかしたら反対の人には強い人に見られがちですけど、逆です。誰かを傷付けた・誰かに傷付けられたでうだうだしていることよりも孤独のほうがずっと楽です。具体的な怒りを相手にしなくて済むんですよ。どちからという弱いです。少なくともわたくしは。他人にめちゃくちゃ興味・関心はあるつもりなんですけどね。
誰かを傷付けたかもしれない・傷付けたということに鈍感でありたかったな。そういう時期がありました。今振り返って分かります。わたくしにとって当然のことが世間一般だったと信じて疑わなかったのでね。「疑う」という発想すらなかった。「信じる」という概念は疑わなければまず存在しないというような感じで。
まぁそんな感じで。最近やっと一の位が繰り上がる2桁の足し算がどうにか暗記的にできるようになったのですが実はめちゃくちゃ数字に弱い。高校時代は理数系大学に行くこと前提の教科選びをしたのですが。理系コースの文系寄りですね。なのに数字に弱いという。それはさておき、がちがちの文系コースでも微分積分てやるんですかね。「微分積分いい気分」って言われませんでした?聞きませんでした?あるいは言いませんでしたか。
今思い出したんですけれど、わたくしの母校、哲学・倫理もなかったな。模試のときにそういうページをみて、そんなのあるんだ?みたいな。
学問の楽しさって結構、学生のときには気付かないんですよね。生物・物理の選択で生物をとっていたんですが、「死へのはばたき」という実験があってめちゃくちゃエモくててドぇろいのに当時はそれに気付かなかった。
宿題やめろって風潮も最近よく聞くんですが、個人的に漢字書き取りは宿題で出したほうがいいのでゎ感ある。書くのはまぁもうほとんどデジタルだからいいとして、読むほうな。常用漢字の読む力ない子多くね…?と思うことが多くてな。店員さんのこと定員さんとか打ち込んでるのとか。それは関係ないか。
わたくしも頭良いほうじゃないし、価値観はそれぞれで、生まれ持った知能というか詰め込める要領もまた差があるのはガチだと思っているので当たり障りのないこと言えないし、日頃の言動から「お前反出生的思想持ってたろw」と言われたらそれまでなのですが、学費の負担はお国様がきちんとやったほうがいいと思うんですよね。通学のために労働力を失うって家庭もあるかも知れないんですけれどもね……
学業が贅沢品になったら終わりだと思うんですが。余命1日2日でも希望するなら学業にムダは無いんじゃないかと、特に理由はなく思っているタイプなんですよ。意識高いこと言うと。国として無学の人がいないとマズいってわけはないですよね。
―というのは「基本的人権」「最低限の文化的生活は保障される」とマジで真に受けていて、奨学金と親金で大学に行き、一人暮らしをし、現在無職でやはり親金で借金返済と税金を払ってる世間知らずな人間のひとり・わたくしさんの理想論です。マウントにさえなり得る。誰かの人生の否定とさえ受け取られかねない。危険な思想です。
なんでこんな話になってるの。