【創作リンク】唯一のオンリーワン
monogatary.com に掲載している創作の紹介と一部引用記事。
子を持つことを切望して叶わなかったという経験がないゆえの残酷な感想かも分からんね。
お題「転生しても自分だった」
「親ガチャ」という言葉があまり好きじゃなかったんですけど、理由は、イメージとして「雲の上に赤さんがいて、親が子作りというガチャをしたときにガキさんがランダムで生まれる」みたいなイメージがあるからなんですよね。その女親と男親、つまり「その卵子と精子じゃないとお前は生まれないよ」という前提をすっとばしている気がしているからなんですよね。
「親ガチャ」の持つ理不尽な意味合いについては別に他責思考だとは思いません。ガチャを回すか回さないかは親が選べるわけですからね。そして環境・教育・遺伝ってもう人間とは「何」を構築するものをすべてのもので、親がそれを握っているも同然ですから。
とはいえ反出生思想は出生賛美者が多くのさばっていることにあぐらをかいて存在できているので、ぜひとも出生賛美して不幸なガキ、いずれ自穀を選ぶ個体を増やしてほしいと思います。生きている間は税金を搾り取れるわけですから。ままならない生活のなかで、したくもない労働をし、複雑な人間関係に板挟みになり、愚かな気質に翻弄されながら、死別という強制発生イベントを乗り越えてね。
なんてね。
でも、ま、ガチな話、今更そう思うのは躊躇われるってのはあるかもしれないけれど「生まれたくなかった」という感情に向き合うことについて、親に後ろめたさがあるのは人間という矛盾を抱えた生き物の業なので、そのために「生まれたくなかった」という考えが発生してしまったのなら、封殺する必要はないですね。
そう思ってしまうのは、宗教家よりも宗教家かもしれませんな。言霊思想というか、なんというか。後ろめたさのひとつやふたつ背負ってみないと、自分の洗脳に気付かないこともありますからね。
…と、あまりにも人生経験なさすぎるわたくしさんが言ってみる。