【創作リンク】幻想道標
monogatary.com に掲載している創作の紹介と一部引用記事。
「善い人」キャンペーンは損しかしない。
お題「道標」
これがなんか周りに合せられない~的な内容なのでちょっと趣旨はズレるんですけど、
「優しさ」ってもう強者のエンターテイメントというか、気紛れでしかないんですよね。もうっていうか、常にか分かりませんけれど。
今の日本にそんな余裕はないんだよな、と言いかけたところで、「今の」ってことは今まであったのか?また、未来にはありそうなのか?という話になるわけで。
「優しさ」とか「親切」って多分、どれくらい自分の「損」を許容できるかという話な気がするんですよね。
「自分ばっかり…」をいかに赦せるか。多分、親切心だのプライドだけではこなせない気がしますね。相手の善意にフリーライドし食い物にする人もいるわけですから。信仰心とか、あるいは溜飲を下げられる思考が必要なんだと思いますね。
数年前といっても567ちょっと前ですけれど、転んで持っていた傘で頭をざっくり切ってしまった老人を介抱したことがあって。もう周りに人がいましたし、わたくしが介入する必要はなかったんですけれど。
身体を起こしていられなくてアスファルトに寝ようとしたので、わたくしは上着を枕にしたんですわ。そうしたら血が付いちゃって。
洗っても心理的に使いたくないし、救急車の人が衛生的には捨てたほうがいいということで回収してもらったのですが、その上着買ってくれたのが母親ということもあり、急に申し訳なくなっちゃって。惜しくなったんです。でも他人の血のついた上着を洗濯機で洗って使えるかというと気持ち的にムリだと分かっていても。
そこですぐに母親に電話して謝ったんです。母親は許してくれたというか、何の役目も果たせず捨てられていく服もあるわけだから、よくやったくらいに言ってくれたんですけど。
でも、わたくしは人に親切にできる人間じゃないんだな、と気付きましたね。欲が深い俗物だということにね。
わたくし別にいる必要なかったな、という無力感によるものな気もするんですけど。
ただ勉強になったことがひとつあって、いや、わたくしが親切を振り撒けることに適した人間ではなかったということ以外に。
通りがかりの看護師の人に、他人の血液には絶対に触るなということですね。これが2019年のことなので、その翌年が567が本格的に日本に広まった年ですから、後からそのことを実感しましたね。血液感染ではないけれど、感染するということが自分だけで完結する話ではないということとか。