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みんな、どうやって自分を説明してる?

自己紹介する時、自己開示する時、自分を定義づけて、簡単に説明することが要求される。春なんかは特に。

そんな時、できる限り自分をよく見せたいもんだし、そもそも自己肯定感が低いと人に寛容になれないタチなので、自分を全肯定する処置として、過去の自分の選択や言動を擁護したがる私がいる。あの時は、仕方なかったんだとか、私は可哀想な境遇を辿ってきたんですとか。
そうやって自分の都合に沿うように、しんどかった時間や上手くいかなかった関係性を解釈してきた。
そうやって自分を擁護するってのは、他者を踏み台にすることでもある、と思う。

でも最近、あれ、今までの解釈で過去を祀るのはちげえ、恩知らずすぎるだろって、思うようになった。2年間付き合ってたハリーや、赤ちゃんの私を抱き抱える家族の写真を見返してたら苦笑

ハリーと付き合ってる時は円形脱毛症になって生理止まってたし、家族では離婚があったりなんだりで気持ちのやりどころに困る時間も長かったけど、そうやって負の側面に着目して自分を悲劇のヒロインに仕立て上げることで、辛い思い出としてアーカイブすることで、恩恵に気づけてなかった。

ハリーや家族との間には嘘がなかった。遠慮抜きのガチンコ勝負できてた。そのうえお互いを切り捨てなかった。おい私、なかなかそんな関係性築けねえぞ?

自分を愉快に説明しようとして、簡単に過去の人の優しさや想いをかき消してしまう。見失ってしまう。それってだいぶ残念で、不愉快。

城月先生が言っていたように、2度と戻らない過去に意味付けするのはやめて、今を生きるべきだ。
かといって、過去を帳消しにするわけでもなく。意味付けしないまま、胸の内に秘めておくのもいい。

少なくとも定年するまでは、今の自分を昔語りでしか説明できない、飲み屋にいる武勇伝おじさんにはなりたくない笑

今の自分のことは、過去の登場人物を加害者扱いせずに、今考えてること、思うこと、行動していることで説明できるようになりたい。ほんでもって、自分を全肯定なんてしなくていい。しないほうがいいです。そう、強く思った日でした。

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