まつ毛の力も抜いてください

夢で目が覚めて、水を飲みに起き上がったら朝焼けが見られた。なんだか懐かしい気がして窓を開ける。実家ではよくこうして朝を待っていた。高台の家で、周りに高い建物なんてなくて、明け方ベランダにいると、なにかの絵本みたいに朝が夜を塗りかえていくのが見られる。太陽がすこし顔を出しただけで、星たちはどこかに逃げていく。震える液体みたいな光が雲に触れて、木々に触れて、家家の壁に触れて、道路をひたす。そうやってみんなにゆっくり挨拶してまわりながら、やがて街を包み込む。

iPhoneを見ると、LINEのアイコンに赤丸がついてる。夜のうちにたまっていたらしい。開くと、今作っている文芸誌に執筆をお願いしていた1人の友人から、書き上げられない、仕事も忙しくて、情けない、ごめんという旨のメッセージがきていた。朝4時半だけど慌てて返信を打つ。気にしないで、ありがとう、またご飯でも行こうというような文を送った。少部数の自費出版で、締切なんてあってないようなものなのに、負担をかけた。また朝焼けを見に起き上がった。さっきまで赤かった空が、今は金色になっている。鳥が話してる。雲の流れが早い。ちなみに本にのせる文章は私も書き終わってない。書くことにストレスはつきものなのかもしれないけど、それを友人たちに押し付けていると思うと、なんだか気が抜ける。本なんて、と思う。でもじゃあどうやって、私は人と繋がったらいいんだろーかと、ボーっとしてしまう。初めて会った誰かとかに、好きなものをもし聞かれたら、晴れた日の早朝を思い浮かべるだろう。でも好きなものなんて聞かれないからね。でももしほんとに聞かれたら、食べ物の名前とか答えるかも。納豆、蕎麦、きのこ、鍋、えび……。金色は太陽の色。静かで涼しい1人の朝。光が私の顔に触る。私も朝に挨拶する。おはよー。金色の顔があたたまる。最近はそうめんも大好き……

夜寝る前、電気を消した後、私は久しぶりに暴れた。大暴れとかじゃなくて、赤ん坊の、なにがほしいのか自分でもわからないあの発作に似ている。なにが足りないのかわからない。「寂しい」と言って斉藤さんを困らせる。「いるよー」と言って抱きしめてくれる人がいるってのに、私はまだまだ寂しがる。なにかがいない。なにかが怖い。なにかが悲しい。突き離したり、しがみついたり、ひとしきりうめいて、手だけ触れ合ったまま眠った。

斉藤さんは私が暴れているあいだも、「うちでアルマジロを飼ったらさあ、驚かせて、丸まったのを転がして遊ばない?」とか「駅まではドリブルして行こー」とかわけのわからないことを話しかけてくる。私はナイーブな状態だったから、驚かされて丸まったところをゴロゴロ転がされたり、ドリブルされたりするアルマジロを想像しては、背中を向けて「かわいそう……」と涙ぐむ。でも転がるのは得意なのかもしれない、と思い直して「ドリブルしなくても転がしていけばいいじゃん、てか手で持ってけばいいし……」とマジレスする。「あと弾まないし……アルマジロは……」
斉藤さんは気にせずどんどん脈略のないことを話しかけてくる。その能天気さにクスッときてなんだか気が楽になる、なんてことはなく、妙なお題がぶつかってくるたびに私はどんどん暗くなっていく。意味わかんないし。優しさだとしても的外れだし。だいいち私はそれどころではない。喋るのも嫌だ、イチャついたりもしたくない、だけど斉藤さんが先に眠って、ひとり夜の部屋に取り残されるのは耐えられないからポコポコ殴る。「まゆの力を抜いて〜まぶたの力を抜いてください〜まつ毛の力も抜いてください〜」と言われて、「まつ毛の力は抜けないよ」と言い返す。「ほえ〜!?抜いてください〜……」と言いながら眠りかける斉藤。私もギュッと目を瞑って、ビートルズのイエスタデイを心の中で聴いてるうちにいつの間にか眠っていた。Yesterday...  All my troubles seemed so far away.........

昨晩。会社で仕事を(だいたい)終えたあと、1人だったので、デスティン・ダニエル・クレットン監督の映画『ショート・タイム』(2013)を観た。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B010146FW6/ref=atv_hm_hom_c_TEdR0r_5_1

アメリカの児童養護施設が舞台。心を閉ざし、暴れ、自傷行為をくりかえす子どもたちに寄り添うスタッフも、子どもの頃の傷をいまだに抱えている。ある日新しく入所した女の子とのかけあいのなかで、自分の人生も進んでいく、というような話。いい映画だったよ。オススメ。

明るくなった空が雲に覆われている。寝る前の不安は跡形もない。光を受けて、眠りこけている人をしばらく眺める。触ったら安心する唯一の人。目が覚めちゃったので歯磨きをしてから、途中にしていた小説を読んだ。『文藝』2024年夏季号に載っていた桜庭一樹さんの小説『かわいそうに、魂が小さいね』。4歳くらいのときママに捨てられた女の子、あいちゃんの人生の物語。「人間、なまあったか、きもちわるっ」と思いながら、本音を隠して人形みたいに生きているあいちゃん。近所に住む、ドラマの制作をやっているおばさんから「ところであいちゃん、性欲ないでしょう」「愛されたいって気持ちは、性欲なのよ。愛する、のほうはもうちょっと精神性あるのよねえ」とか言われるあいちゃん。友達?に愛してるとか言われて、死ぬほど嫌な気持ちになって、「愛してくるって搾取でしょ? やめてくださいよぉぉっ……」って思うあいちゃん。あいなんて名前をつけられたかわいそうなあいちゃん。どこにでもいるような女の子。
いい小説だった。気になる人いたら貸すね、それか買ってみてね……

元々、人に触られることも触ることも得意じゃなかった。あいちゃんみたいに、親に抱きしめられた記憶がないから?分からない。中高は女子校で、同級生たちは手を繋いだり腕を組んだりハグをしたり肩にもたれかかったりと、とにかく距離が近い。ファーストキスというものの相手も、同級生の女の子だった。とはいえ恋のドラマがあったわけではなく、中学の修学旅行最終夜、15人くらいがひとつの部屋に集まって開催した「王様ゲーム」中でのことだったので、なんの感慨もない。私が2枚のハズレくじのうちの1枚を引いたときの王様命令が「10秒間キス」というもので、私のほかにくじを引いたのは、別のクラスのダンス部の子だった。消灯前の小さな和室で、車座になった友人たちの輪の真ん中に2人で向かい合い、周りが囃し立てる。その子は照れて笑い、私は緊張を悟られないよう余裕の表情で王様の命令に受けてたった。じゃあ、という感じで互いに顔を近づける。その子の日に焼けた肌と透けるような長い髪が自分の顔に当たる。こんなのどうでもいいのに、意に反した胸の鼓動が不快だった。はやく終われ何もかも。目をきつく閉じて、結んだ唇をただただ合わせ、みんなのカウントする10の声を待つ。そのあとは誰彼構わずみんな軽いキスにノリで挑み、私もノリに乗じて何人かとして、好きな女の子とだけはそれが起こらないように気を配った。自分のそういう「マジさ」が恥ずかしくて、それがバレないよう「遊び」に積極的になるほかなかったわけだけど、多かれ少なかれあの時はみんなそういう「マジさ」を持っていたんじゃないかと今では思う。

「遊び」といえば小学3年生のある一時期、同じ学童保育に通っていた同級生の女の子たちの間で妙な遊びが流行していた。その学童は線路沿いの古いアパートの1階にあって、1LDKの狭い空間に遊び盛りの子どもたちがひしめくなか、唯一使われていない部屋があった。バランス釜の浴室だ。そこには小さなバスタブと、大人1人が収まるくらいの狭い洗い場があって、バケツやら掃除用具やらの物置と化していたため滅多に扉が開くことはなく、リビングで走り回る子どもたちからは無視されている空間だった。それに目をつけた5名ほどの大人びた女の子たちは、秘密基地として浴室を占拠した。

ある日1人の子に誘われ、浴室の空のバスタブに横たわる私の上にその子はまたがった。扉は閉められ、他の子たちは扉の外にいるようだ。詳細な台詞は忘れたが、秘密裏の遊びであることが伝えられ、「上」の子が「下」の子の体、つまり私の体を性的に愛撫するような「フリ」が行われた。服は着たままだし、性器等を触ることはないが、全身を舐めるフリや「焦らす」ようなフェザータッチが丹念に行われた。性行為の存在は少女漫画やドラマを通してなんとなく知っていたものの、性的欲望はおろか、それが自分の身に起こり得るというような現実感すら持っていなかったのにも関わらず、私は「上」の子のゆっくりとした指や目線の動かし方を「上手いな」と感じた。その「遊び」は「上」の子の気分によって終了し、次は他の子たちが二人組になって浴室にこもり、同様の「遊び」が繰り広げられた。

別の日にまた私が浴室に誘われたとき、「次は花が〈上〉ね」と指示されたので、その子の上にまたがって以前されたようなことを真似してみるも、どうにも上手くできない、というか気持ちが入らない。そのとき、この「遊び」は「下」(受け)で感じる妖しい「ドキドキ」が肝であるということと、「上」(攻め)にされた(してもらった)「奉仕」はお返ししなければならないという暗黙の了解があることを初めて理解した。つまり、性的客体の気分を味わうことがこの「遊び」の目的で、「上」は「下」になるために一時的に引き受けた役割に過ぎず、「上」が「下」に行う「奉仕」は「下」の相手に対して行ったものではなく、次に「下」になる自分に返ってくることを想像して行っているということが分かった。何にどうよろこびを感じるかも分かっていない時点で「上」を上手くやるなどできなくて当然だが、「下」の欲望は「上」の積極性のなさを指摘したとて得られるものではないので、私のテクニック(想像力)不足は特に咎められず、次の子たちのターンにまわっていった。

これまでいろんな女の子たちが周りにいた。中学生のとき「花はピカチュウかドラえもんって感じだね」って言われた。みんなはプリキュアとか、セーラームーンとか、西野カナとか、平沢 唯とか、マイリーサイラスとか、初音ミクとかだった。「平岡って、おばQじゃん」
私って、おばQなの? 愛されたいって性欲なの? 愛すのって、搾取なの? なんで、アルマジロなの?  太陽みたいに、人に触りたいよ……  ねえセーラームーン……月に代わって、おしおきってなに……

6時ごろまた眠った。起きたら雨は上がってて、iPhoneの天気予報のアプリを見ると、まだ降ってることになってたので、降ってないと情報を送った。参考にしてね。会社に行きます。

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