真っ赤なドナルド・トランプT

祖父危篤につき、急遽福岡行きのチケットを取る。上司に打ち合わせ欠席の連絡と、土曜昼、初めて会う予定だった人に延期の連絡。夜、1年に一度だけ集まる高校の同級生との会に欠席の連絡。日曜の撮影、延期の連絡。数年会っていないじいさんの危機なのかなんなのかの知らせに、とりあえず予定をこじ開ける。想定より早かったので喪服は準備していたものの、靴がまだだった。急いで黒のパンプスを購入。あとはストッキング、と薬局に入店。葬式で履くストッキングの適切なデニール数をWebで調べて、20くらいがよいでしょうと書かれていたのでそれを購入。数年前に行った葬式は高校の制服だったから、服装の勝手がわからない。とにかく真っ黒ツヤなし肌見せなしがマナーのよう。まだ存命の人の葬式のために喪服を鞄に詰めるだなんて、変な感じがする。マナーって何。黒い塊。

そういえばSNSに個人的なことを書かないでと怒られてから、noteを書くのをやめていた。この場がSNSだという事実から目を逸らしていたため、そう言われてハッとしたのもある。何か思ったとき、どれは書いてセーフでどれがグレーになるのか、分別の付け方はなかなか難しい。

なので今作っている本の原稿に取り掛かっている。自分が書こうとしているものと、自分が読みたいものとが違くて、手が止まる。やり方を変えなくちゃ書き進められない。題材を選んだのは自分なのに、自分が何を書いてしまうのか、あるいは何を書けないのか知るのが怖くて逃げてばかりでだめだ。気付けば大学を卒業してから、しっかりしなきゃみたいなことばっかり思ってきたような気がする。歌も歌わなくなって、あんなに好きだったのに、みんなが歌ってくれるから私はいいよみたいな。別に今も全然しっかりしてないんだけど、文字くらい自由に書け!と、誰かに背中を叩いていただきたい、人任せにしたい、それが誰か1人だけでもいい。

漫画を描いている友達が、制作の原動力を「死ぬのが怖いから」だと言っていた。描きたいものを描けていないのに死ねないからと。作る人の言葉に驚く。人生が終わるってどんな感じだろう。祖父はとんでもない人だった。どんな人生だったかは知らない。歪んだ父親の育ての親だ。息子たちと妻を理不尽に殴って怒鳴り散らして、勤勉で、下品で、お金持ちで、目が怖くて、よく笑って。数年前最後に会ったとき、祖父の書斎に私の愛読書があっていい本だよねって話した。犬養道子『旧約/新約聖書物語』。病院にはいろんな人がひっきりなしに会いにきた。苦しんで、死ぬのかな。遺産を叩いて孤児院とか図書館とか建てまくって。ロシアに何度も1人でいって、その辺のにーちゃんたちと朝まで水煙草吸って。ドナルド・トランプの真っ赤なTシャツとか着て。変なじーさん。父の父。あと数分で誕生日だけど、死ぬのか。

私は死のうとしたことが何度かあって、バカみたいで恥ずかしいけど、死にたいとかじゃなくて、死ぬんだなみたいな、ゾッとする確信みたいなものに怯えて、駅のホームとか、自転車乗ってる時とか、夜のベッドとか、その運命を食い止めるのに必死だった。ほんとガキだよね。でもバカにできない。おじいちゃんは、最後まで別にしっかりできないまま、ボロボロのまま、命をまっとうし終えようとしてるわけだね。理不尽だよね命って。終わっちゃうなんて聞いてないよね。

命をかけてやりたいことなんて別にない、向かうべき場所なんて分からない、でも誰かと繋がっていたいから、何か書かなくちゃ。背中すら叩いてもらえないままポックリいくのは寂しい。誰かにいかれるのは、もっと寂しいね。もっと話してみたかったよ。じーさんや


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