#少しずつの成長 15


今日は、自分のことを話します。


孤独という形。

中学生からであるが、誰かに頼られて、
誰にも頼れない僕が形成されていった。

自分の嫌なところを見せたくないのだろうか。
僕がしっかりしないと、って思って
自己解決しているのだろうか。

というか、頼り方をただ知らないのでは、
と思うようになってきた。
僕が聞いてもいいのか、
ちゃんと聞いてくれるか
そこが気になって。
というのは今作った理由。
全ては無意識で作られているがゆえ、
何が原因かは分からない。

誰からも連絡が来ないのがこんなにも
辛いのか
と改めて感じる。


好きな人のタイプ

一人一人、育った環境が違うから
思考や言動が全て同じ人はいない。
一部だけ一致、というのはあると思う。
なので、全ての人に対して
思考の制限はつけてはならず、
それと同時に否定してはいけない。

だとしても、
その思考が社会的に倫理的に
許容されることなのか、
できるような言い方なのか、というので
周りから指摘を受ける可能性がある。

人に保障されている権利を人権というが、
その人権がないということは、
すなわち人間ではないということと
同値である。

そのように言うのは、不適切である場合が
ほとんどである。
でもなぜ不適切だと気づかないのだろうか。
それは自分が発信することに対して
注意深くなり、適切な述べ方を模索する
ということを行っていないからだ。
自分の文章が不適切かどうかはわかるはずで、
仮にわからなければ
発信するべきではないし、
もし発信するとしても注意書きを
書くべきなのだ。

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僕は、人の話をちゃんと聞いてくれる
真面目な人であれば、十分だと思うけど、
強いていうのであれば、
身長はちょっと高めで、
カッコよくも可愛くもある人がいいなと
思います。
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どこまでが自己中?

人にどれだけ求めれば自己中と思われて、
どこまでであれば許容されるのか。
自分の気持ちを押し付けるのは、
明らか自己中であるのは言うまでもない。
ただ、自分のして欲しいことを
どこまで言っていいのか、
どのラインを越えれば
自己中心的と思われないのか。

そのことについて考えることが、
今年の考えるべきことかと思われる。


今回もお読みいただき、
ありがとうございました。


#liver_2022
#言葉の偉大さ

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