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『落下の解剖学』にみる、虚

カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したミステリー・ドラマ。

雪深い人里離れた山荘で、視覚障がいのある11歳のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が、転落死した父の死体を発見する。当初事故死かと思われたが、捜査が進むにつれ幾つもの謎が浮かび上がり、やがてベストセラー作家の妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が殺人の容疑で起訴される。幸せそうに見えた家族と夫婦の秘密が、裁判によって次々と暴かれていくのだった――

始まりから終わりまでとんでもなく緊張感を強いられる。真相の予想も、オチの予測も裏切られ、カタルシスもない。すべてが終わったとき、突きつけられるのはサンドラが泣きながらいったこんな言葉。

「なにかご褒美があるとおもってたけど...なんにもないの」

観客まで、彼女とおなじ思いを味わわされてしまう、重い152分。

音楽の大音響で鳴り響く山荘で起こった、父親の落下。そこから1年をかけた裁判のなかで、次々提示される証拠や証言によって見えてくるおぞましい物事を、視覚障害ある11歳のダニエルはすべて傍聴して、証言台にも立つのだった。少年のこころを守るため遠ざけて然るべき、そんな日本の考えからはとても信じられない、ひとりの人間としてダニエルの意志を尊重する、フランスの先進性に驚かされてしまう。

さらには、ダニエルが視力を失ったのは教師だった父親が小説執筆中、夢中になって送迎をシッター任せにした、放課後の交通事故が原因だというイントロダクションがある。以来、父は罪悪感に苛まれ、小説が書けなくなり、故郷のフランスの片田舎に越し、小説家である妻の成功を傍で見ながら追い詰められていく。絶えない夫婦喧嘩の原因でありうる自分のこと、覆い隠さず知ることになる両親の本音は、あまりにも過酷なものなのに、ダニエルの気丈で真摯な態度が何より本編を貫く太い支柱となってくれる。おなじように、どう考えても有罪無罪判断しがたい、妻サンドラの強烈なパーソナリティも、凄まじい蔦となって絡みこんでいく。

無駄にイケメンな友人弁護士・ヴァンサン(スワン・アルロー)を名脇役に。落下の真相は、夫婦の解剖でしか知れない、ひどく残酷でスリリングな法廷ものとなっていた。

白眉は挿入される幸せそうな家族写真の断片かもしれない。サンドラを演じるザンドラ・ヒュラーの若かりし頃、その愛らしい笑顔と、中年となった神経質ないまの対比がどうしようもない喪失を感じさせる。これは生きるうえで誰にも浮かび上がりうる喪失で、擦れ、暗い皺を増やしていく。だからこそ観終えた後も逃れがたい虚しさに囚われるのかもしれない。


(監督 ジュスティーヌ・トリエ/152min)



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