『ポーの一族』も『風と木の詩』も読んではいないけれど、萩尾望都『一度きりの大泉の話』と、竹宮惠子『少年の名はジルベール』を読んでみた

 いわゆるマンガ好きではないので、その世界も、その作家さんについても疎い。コミックもアニメも見ないかと言えばそうではない。私が初めて見た漫画映画は『少年猿飛佐助』。なんとなく年齢が察しがつくかもしれませんが、表題の二人よりほんの少し年下です。子供の頃ディズニー映画に連れて行ってもらった時、メインのアニメ動画よりいっしょに上映された実写映画の『罠にかかったパパとママ』や『ポリアンナ』の方が強く印象に刻まれています。
 もちろんテレビアニメの『鉄腕アトム』や『巨人の星』『あしたのジョー』を楽しみに観ていた。兄がいたので『少年サンデー』の『おそ松くん』なども読んではいました。
 振り返ると、いわゆる少女マンガは、変な表現になるけれど、友人との付き合い程度とゆう気がする。思いつくのは、楳図かずお『蛇少女』、手塚治虫『リボンの騎士』どうも女性の漫画家の名前や作品が出てこない。
 社会人になりたての頃、同期の友人と、私が『愛と誠』、彼女が池田理代子『ベルサイユのばら』のコミック版を貸し借りしていた事もある。
 親になって娘達が読んでいるマンガは時々みていた。女性の作家をあげるなら、さくらももこです。
  ではなぜ表題の書籍を読んだのかとゆうと多分、何かの書評で取り上げられていて読んで興味を惹かれたのだと思う。さらさら購入してまでとは思わなかったので図書館にあれば借りて読もうと検索してみた。予約人数が多かったのでしばらく無理だと予約カゴに残しておいた。 
 余談になるけれど、新聞に毎週載っている書評欄で気になる本(大概文芸書ではない)があると、住んでいる横浜市立図書館の蔵書検索をする。中央図書館に一冊だけの場合もあるけれども市内18館の内のいくつかで所蔵されてはいるのがわかる。けれど、予約人数がそこそこの数で、すんなり借りれない。自分が興味惹かれた本を読む気になった同志がいると思うとなんか嬉しい。

 表題2冊は、門外漢の私でも名前を知るほど有名になった二人の作家が、少女漫画作家にデビューして間もない頃のエピソードが中心になっている。例えて云うなら男性漫画家界でのトキワ荘のように、二人の作家の交流が東京・大泉であり、他の少女漫画作家達が集まった場所だったようだ。漫画界に詳しい方々なら興味深々な内容が溢れている事と推察できる。それに関する言及は他に譲るとして、この2冊を読んで想起された事を記したいと思う。
 一つは、表題の本が2冊同時に出版されたのではなく、先に竹宮氏の本が出て、それに付随する形で、萩尾氏の本が、一度きりのという断りの基で出されている事に関する。世の習いとして「言った方」と「言われた方」。「下した方」と「下された方」。「仕掛けた方」と「仕掛けられた方」。「いじめた方」と「いじめられた方」。前者はその目的行為が終われば、徐々に記憶の外に消えてしまう。後者はそうはいかない。大概が突然であり、理由も判然としなかったり、相手方の一方的な視点に立って行使されるからであり、不条理な気持ちが遺る。一朝一夕に心情を切り替える事はできない。整理がつき忘れられたように思っていても、どこか頭の片隅か、心の隅に傷として遺ってしまう。何かの折にふと蘇る記憶となる。出来れば外部からは触れられたくはないし、忘れたい想いである。と言っても前者には決して理解出来る事ではない。後者にすれば痛い想いが、何かのはずみに蘇るのである。それは、多くの人達に届いて欲しい感情です。
 もう一つは、前項の背景にある部分で多くの人が、もしかしたら、今でも無意識の領域で影響を受けている定義である。
 彼女達がどんな覚悟の基に少女漫画家としてデビューしたのかは、今の時代とは大いに違う。青年男子よりも、その覚悟は痛々しいものだったはずだ。戦後突貫的に民主主義だ、核家族化がなったとはいえ、その親達は、家父長制の中で育った人達であるから、根本の所に家父長制度のDNAを有している。精神がそれから解放されるのは至難の技である。互いに無意識の内に家父長的圧力や団塊世代特有の大人数の中でので自己顕示の表出など、多くの葛藤を抱えて育ち、家から離れ、出会い、互いに助けあい切磋琢磨した中で作家活動を続けていくの相当な重圧であったことは想像に難くない。
 その過去からの家父長制的なものを前者のような人達だけでなく同時代を生きてきた私たちは克服できたのだろうか。
 例えば、戦後の高度成長期に、仕事に追われ各家庭の父権は過去の時代よりは小さくなったかもしれないが、家父長制の中で女というだけで虐げられていた立場から解放されたように見える家長の代行者としての妻が台頭し、無意識下の家父長精神を引きづったまま、核家族を運営してしまったのではないか。
 2冊の本を読んでいる内に、女性達が織りなした過去の話ではなく、女も男も、特に男性達こそが、政治から諸制度まで、過去からつながる家父長的なるものに抗う事も出来ず無意識下で専横され、その圧力で窒息しかけている状態なのではないだろうか。そんな想いが湧き上がったのである。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?