3.20

死にたくって仕方ない。この言葉は適切ではないけれど、明日のことを考えられない、5分後のことを考える気力すら湧かない、こんな状態を死にたいと表さずして何という。家の扉を開いたところまではいいけれど、腹も重いし向かう先もない。

家を出るのもぎりぎりな気持ちで、土曜日は朝のバスに乗った。塞ぎこんだまま、飛行機に乗り、気分が晴れることを願えないまま鬱々と旅立った。家族と連れだったから、家を出る前の気持ちを引き延ばした過ぎなかった。
サウナで多少元気になった。熱気のなかで、やっぱり病むほどのことは何もない、私は何も辛い目にあってない、と思い返すことが何もないのでその事実に気付き、気づいたとて後からもこうなのでは何の役にも立たない。鬱病患者に完治の兆しが見えたとき、自殺してしまいがちという話は、アイデンティティに爪痕立てるようなものを何も持ち合わせていないから、社会に立ち向かうのに必要な道具を揃えていないことに気付く絶望だ、と思っているが、先程の気づきも同様何の役にも立たない。しんどい。
こんな気持ちになったのは、新潟に行くなんて現を抜かしたあいだに、彼と、会える機会を逃してしまったというのもすっごく大きい。一緒になれたところで、邪魔だったかなとも勝手に思う。

今回の病み方だと、あと2ヶ月くらいは立ち直れなさそう。塞ぎ込みそう。しんどい。兆しが全く見れない。痛いくらい鋭く美しいものを見たい。痛がりたい。