見出し画像

言葉をいただく。それは、どうしても伝えたい言葉になる。

大阪らんちゅう。絶滅した金魚。それが取材のテーマだった。

(前回記事の続き)

西川さんと僕らは、いくつかの広い池を巡りながら、話を交わした。大和郡山は奈良盆地にあり、夏は強烈に蒸し暑いと聞いていた。その通りだった。しかし、汗をかきながらも、池の水が冷気になって肌に触れ、少しだけ涼しかった。

大阪らんちゅうの復元に西川さんは、心血を注いでいるのだった。記憶を手繰ると、大阪らんちゅうは、他の種類の金魚とは別の池で育てられていたように思う。丁寧に、慎重に、執念を込めて、一度、種が途絶えた大阪らんちゅうは復元に向けて、育てられていた。

大阪らんちゅうの池のところにたどりつき、西川さんが話をし始めた。水を循環させるポンプの音が聞こえていた。さぁ、インタビューの核心だ。立ったまま会社の原稿用紙にメモを書いていく。それでも、僕はテレコのことを100%、失念してしまっていた。

すべては夏の暑さのせいだ。

と言いたいところだが、初めての取材でもあり、脳内がふわふわとしたものに覆われていて、自分が何をやっているか、の自己確認がうまくできていなかったのだろう。

テレコという録音機がなぜ、必要なのか。それは、記憶は消えてしまうからだ。一日経ったら、大筋の会話は覚えていても、細部はもう忘れている。僕もあなたもエライ人もみんな同じだ。しかし、記録は残る。そのまま残る。忘れている話をライターが勝手に物語に組み立てたら、それは取材者にたいする最大級の冒涜だ。

さらに取材する相手の発言の一部分が、現場では聞き取りにくい、理解しにくいことが、よーくある。ライターの方なら思わず頷いてくれると思う。録音してあれば、聞き返し、調べればいい。それだけ。

大阪らんちゅうの池に戻ろう。

復元の苦労話が静かに語られている。空には光輝く白い太陽。その光を鏡面となって忠実に照り返す水面。デザイナーとカメラマンは、池の引きの絵を撮るために、西川さんのいる場所を離れた。二人だけになった。

その時、僕はバッグの中のテレコのことを思い出したのだ、やっと!!

今からでも遅くない。「すいません、録音してもよろしいでしょうか」と西川さんに許諾を取ってテレコを取り出すかどうか、瞬間(長く感じられたが)、迷った。しかし、そうしなかった。今さらそんなことできるか、の気持ちの方が強かったのだろう、おそらく。

やがて、引き絵を撮り終えたデザイナーとカメラマンが戻ってきた。次に、大阪らんちゅう、そのものを撮影する。それで取材は終わりだ。デザイナーが「黒ちゃん、話し、もういいかな」と言った。いいかどうかわからないが、僕は「ええ」と答えた。それから原稿用紙をバッグにしまって、歩き始めた。西川さんは、最後に池を観察するように見て、「暑い日だけど水温はあまり上がってないな」というような言葉を奈良弁で呟いた。

僕は、ふと実家の金魚を何匹も死なせてしまったことを思い出した。とても大切に育てているのに・・・。素直な質問が、そのまま心のなかに浮かんだ。

「なぜ、大切に育てているに、素人は金魚を死なせてしまうんでしょうか」

僕が歩きながらそう言うと、歩きながら西川さんは、「可愛がりすぎですな」と言った。「えさやりも、水替えも、金魚の勝手でなく、人間の勝手でやるからです。それが可愛がることだと思って」。その時の口調はどこか寂しげで印象に残った。「毎日毎日、水の状態を丹念に、根気よく見ることです」。

金魚の勝手でなく、人間の勝手。その言葉が胸に刺さった。育てるということの本質を教えられた気がした。そして、僕はこの原稿は「書けた!」とひそかに感じたのだった。

それから僕はコピーライターとして、かなりの取材をした。そのたびに、宝物をもらう気がした。「その人だけの言葉」という宝物。それは僕という人間を育てて、人格の一部を作り上げてくれたようにも思える。

25歳の夏。大和郡山。大阪らんちゅうのいる池。時々、僕はその場所に帰っていく。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?