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“よい文章”の定義って?

まだ自己紹介しか書いていないのに、まえがきを読んでいただいた方々から「わたしも文章が上手くなりたい!」「よい文章が書けるコツを教えてほしい!」というお声をいただきました。
いただいたスキやフォローも含め、このように反応が返ってくるととても励みになりますね。純粋に嬉しいです! ありがとうございます!

……と、喜んでいる間にすっかり時間が経ってしまいました。気持ちばかり励んでいても仕方なので、第2回目はわたしなりに考える「よい文章」の定義について書いてみたいと思います。

そもそも“よい文章”というのは、なんなのか?

普段仕事をしている中でも、「よい文章を書けるようになりたい」と相談されることが多々あります。

先日も、とあるWEBサイトに載せる自己紹介文の添削を依頼されたAさんから、「常々よい文章を書きたいと思っているけれど、わたしには語彙力も表現力もなくて、どうしても上手く書けないんです……」というお悩みを打ち明けられました。

とても深刻そうだったので、少し掘り下げて聞いてみることにしました。

わたし:「ところで、Aさんが言う“よい文章”ってどういう文章なの?」

Aさん:「えっ……と、魅力的な言葉遣いで表現力豊かな文章ですかね

わたし:「なんかこう読んでいて感情とか情景とかが浮かぶような?」

Aさん:「そうです! わたし、まったく語彙力がなくてダメなんです。。」

わたし:「語彙力かぁ。確かに大切ではあるけどね」

Aさん:「あと、ステキな表現じゃないと、読み手には伝わらないですし」

わたし:「そっか。それじゃぁ、仕事でこんなメモを受け取ったらどう?」

「営業部のホープAさんに捧ぐ」  
麗かな春の光が差し込む午後3時のオフィス。まどろみの中にいたわたしの目の前の電話が突然鳴った。半ば反射的に受話器を取ると、電話口から聞き慣れた低い声。そう、○□商事のB部長だ。わたしはこのよく響くバリトン・ボイスに心から魅了されていて、密かにB部長からの電話を1回でも多く受けるために、誰よりも早く電話を取ることを心掛けている。お陰様で今となっては、社内一受電が早い人として褒められることもしばしばだ。
片手で小さくガッツポーズをしつつも高揚する気持ちを抑え、よそゆき声で「今日はどうされましたか?」と訊ねると、どうやら我が社が先日納品した製品に重大な不備があったというのだ。どうしたことだろう! 愕然として言葉を失うわたしに、B部長はいつになく苛立った様子で、「この後1時間以内に代替製品を用意して担当のAさんに届けさせてくれ」とだけ言い残し、ガチャリと電話を切ってしまった。こんなにも荒っぽい電話の切り方をするB部長を、わたしは今までに見たことがない。
こうなったら、是が非でも午後4時までに代替製品を用意して、B部長にお届けにあがる手筈を整えなければならない。もちろん、上品でありながらもサクサクの食感と白ザラメの歯ごたえが絶妙な銀座ウ○ストのリーフパイ(お詫びの際の菓子折りはこれと決めている)と共に……。
時計の針はすでに午後3時50分を指している。わたしはAさんがこの重要なミッションを無事に成し遂げてくれることを願って止まない。祈るような思いでこの伝言メモを書いた。

Aさん:「え!? なんすか、これは」

わたし:「B部長からの伝言を伝えるためのメモですよ」

Aさん:「は? これが伝言メモ? 意味がわかりません……」

わたし:「あれ、伝わらなかった?」

Aさん:「当たり前ですよ! こんな書き方されたら伝わりません」

わたし:「さっき魅力的な表現じゃないと伝わらないって言ったからさぁ」

Aさん:「いやいや、ここにそういうのはいらないでしょ!」

* * *

Aさんは、“よい文章”とは「魅力的な言葉遣いで表現力豊かなもの」で、そうじゃないと読み手に伝わらないと言いました。なので、極力書き手の感情や情景が浮かぶような魅力的な言葉と表現を使って伝言メモを書いてみたのですが、残念ながら伝わらなかったようです。

と、かなり極端な例ではありましたが、いかがでしょう。

このような伝言メモを書くときには、魅力的な言葉遣いも表現もそんなに必要ないばかりか、むしろ邪魔になっているということがお分かりいただけたかと思います。

子供ころ学校で、作文を書くときは「できるだけ自分の気持ちや情景が分かるように書きましょう」と言われたかもしれません。だからそういう文章がいわゆる“良い文章”なんだろうなと思い込んでいる人も多いのですが、

結局、「魅力的な言葉遣いで表現力豊か」に書いたからといって、必ずしもそれが“よい文章”として捉えられるのかというと、場合によってはそうとも限らないということなんです。


「書く」には目的がある

ひと口に「書く」といっても、大なり小なりその「書く」には必ず目的があると思っています。

ビジネスでやり取りするメールにも、「仕事を依頼する」とか「期日までに確認してもらう」とか「料金の値下げを交渉する」などの目的があります。

趣味で発信しているSNSやブログにも「自分の考えに共感してもらう」や「人に気づきや感動を与える」などの目的があるし、自分しか読まない日記にだって「日々の出来事を記録する」「感情を書き出してストレス発散する」などの目的があります。(つまらない会議中に資料の端っこに書く落書きでさえ「暇つぶしをする」という目的があったり)

わたしは、この目的をきちんと意識できているかどうかが、文章の良し悪しを決める需要なカギとなると思っています。

例えば目の前に、富士山と放課後によく登った裏山があるとしましょう。

同じように山頂を目指すとしても、登る際の装備やペース配分などが同じかというとそうではありません。裏山に登るようなノリで富士山に挑めば、登頂どころかたちまち遭難してしまいます。逆に、富士山に登るような重装備で裏山に登ろうとすると、装備の重さが負担となり無駄に体力を消耗してしまいます。登るといっても目指す山によって、それ相応の装備や登り方があるのです。

文章を書くときもこれと同じことが言えると思っています。

さきほど例に挙げた伝言メモの場合は「用件を伝えて、期限までに対応してもらう」という目的がありました。
時間の猶予もなく、これ以上のミスも許されない緊迫した状況下でこの目的を果たすためには、あのような長々とした書き方では用件が正しく伝わるはずもありません。直ちに代替製品の準備に取り掛かってもらうためには、もっと端的に用件が伝わる書き方を選ぶべきだったのではないでしょうか。


しみず書庫が考える、“よい文章”の定義

ここまでに書いてきたような理由から、

わたしは“良い文章”とは、「目的をしっかりと果たしている文章」であると定義しています。

作文としては感動を与える文章であっても、伝言メモの文章としてはまったく用を成さないことがあるように、『よい文章』という絶対的な文章が存在するわけではないと思っています。

文章力の向上を目指すならば、まずは「なんのために書くのか」という目的をきちんと明確化した上で、そのためにはどんな書き方をすればいいのかをイメージすることからはじめてみてください。

目的を明確化することは、ひとつの基準を作ることでもあります。表現や言葉は無数にありますが、その基準があれば、自ずとどんな表現や言葉を選べばいいのかが判断できるようになります。

闇雲に凝った表現や言葉を使う必要はありません。ぜひ、この“よい文章”の定義を意識したうえで、ご自身の言葉を紡いでみてください。

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