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逃げるはそもそも恥なのか

2021年1月2日、スペシャルドラマ『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』が放送された。

2016年の連続ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の続編だ。みくり(新垣結衣)と平匡(星野源)夫婦の妊娠・出産・育児を軸に、選択的夫婦別姓、妊娠の順番待ち、育児休業給付金、男性の育休取得等々、さまざまな旧習や課題と直面しながら物語が進んでいく。

その中で、「無痛分娩」のくだりが引っかかった。

無痛分娩で「逃げるは恥」?

問題は分娩室でみくりと平匡が会話するシーン。ドラマオリジナルのセリフである。

みくり「麻酔が効いちゃうと暇ですね」
平匡「ウンウン苦しむよりいいんじゃないですか。無痛でも痛い思いをした人の体験談がいくつもありました」
みくり「後陣痛もつらいって話が」
平匡「楽できるところはしていきましょう。逃げるは恥だが、役に立ちます

平匡、今なんつった?

この会話の流れで、作品のタイトルでもある諺「逃げるは恥だが役に立つ」を引用するのは違うんじゃないかと思った。「無痛分娩は逃げで、その上、恥だ」と言っているようなものじゃないのか。

作品名としてすっかり聞き馴染んでいたが、こんなふうに会話の中に現れると、にわかにその意味が気になってくる。

日本にも「逃げる」に関わる諺はある。
「逃げるが勝ち」
「三十六計逃げるに如かず」
いずれも逃げることの価値をシンプルに説いている。

一方で「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉には、「逃げ」を「役に立つ」と評価しながらも、「恥だが」と釘を刺すのを忘れない厳しさがある。

なぜだろう。

そもそも「逃げるは恥」なのだろうか?


どういう意味だろう

Szégyen a futás, de hasznos.(逃げるは恥だが役に立つ)

この諺の解釈は、媒体によってさまざまだ。例えば作品のWikipediaにはこう書かれている。

タイトルの「逃げるは恥だが役に立つ」は、ハンガリーのことわざ「Szégyen a futás, de hasznos.」[7] の和訳で「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」の意味。

逃げること自体ではなく、逃げ方に焦点が当たっている。こういう意味を持たせたいのなら「逃げ方に恥あれど、逃げるは役立つ」という表現になりそうなものだけれど。

こういう説も。

ハンガリー文化センターにうかがったところ、「問題と向き合わず逃げることは普通に考えると恥ずかしいことだが、逆にそれが最善の解決策になることがある」という意味で使われるそうです。
https://yomitai.jp/special/pickup-nigehaji-kotowaza/

こちらの方が私はすんなり理解できた。「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉そのままの意味だ。ハンガリー文化センターに取材している点も安心感がある。

かなり意訳されているケースもある。

何となく「逃げるのは良いこと」っていう意味ぐらいは理解できるかもしれませんが、しっかり調べてみると、「自分の戦う場所や土俵を選べ」という意味だそうです。https://www.sankei.com/economy/news/170113/ecn1701130003-n1.html

この意味なら「逃げよ」の一言で済みそうだ。「恥だが」はどこへ消えたのだろう。


「恥だが」なんて言わなくていい?

「恥だが」はどこへ消えた、と感じることは作中でもあった。

例えば、2016年の『逃げ恥』でとりわけ話題になった最終回の一場面。若さに価値を見出す女性に対し、みくりの伯母・土屋百合(石田ゆり子)がこう語る。

私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。
あなたが感じているのもその一つ。
自分に呪いをかけないで。
そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい。

作品のタイトルにある「逃げる」という言葉を使いつつ、「恥だが」はさらりと省略されている。
愛をもって「逃げてしまいなさい」と背中を押すこの言葉に、「恥だが」と釘を刺すような印象は感じられない。

もしこの言葉のあとに
「…たとえ恥ずかしい逃げ方だったとしてもね」
「…それは恥ずかしいことだけどね」
なんて付け足されたら蛇足もいいところだろう。そうするくらいなら、
「昔から言うでしょ、逃げるが勝ちって」
とか何とか、別の諺を持ち出す方が良いエールになりそうだ。


「恥だが」は救いの言葉になる

しかしこの諺を自分事として捉えた時、途端に「恥だが」の響き方は変わってくる。

私はこの数年、逃げ続けている相手がいる。どうにも我慢できない不満があり、連絡を断ってそのままだ。
逃げた方がいいのは分かっている。しかしやっぱり後ろめたい。向き合う覚悟がない自分を恥ずかしいと思うし、相手からどう思われていることかと思うと、ああ。
「逃げるが勝ち」「三十六計逃げるに如かず」と言われたところで、割り切れるものではない。

こうなると「恥だが」という言葉は、ある種の救いとして機能する。
自分の後ろめたさを先回りして「逃げるって基本的に恥ずかしいもんだよ」と示してくれる。
「恥だが」は逃げる人に釘を刺しているのではなく、それどころか寄り添っていたのだ。

さらに「恥だよな…」と思っているところに「それはそうと、役に立つよ」と、こちらの感情を説得しようとせず、別の基準からメリットを示してくれるのもありがたい。

なんだ、「逃げるが勝ち」「三十六計逃げるに如かず」よりずっと人間の心の機微を捉えた諺じゃないか。


逃げるはそもそも恥なのか

逃げるのは恥じゃなくないですか?
逃げた方がいい時は、普通に逃げればよくないですか?

…と言いたくて書き始めたものの、「恥だが」の優しさに気づいた途端、「恥ではない」と言い切るのが難しくなってしまった。

「恥だが」という断りを入れることで、心の荷を下ろせる場合もある。
悩んでいる時は「逃げるが勝ち!」と己を奮い立たせるより、「逃げるは恥だが役に立つ」と考えた方が、逃げる決心がつきそうだ。

しかし無痛分娩に臨むシーンで「逃げるは恥だが、役に立ちます」と言った平匡さんの真意は、やっぱりよく分からないなあと思うのだった。

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