『たまごの祈り』㉞

 もっと安いうちにたくさん買っておくべきだった、と思った。スーパーの卵は先週より二十円も値上げしていた。今日の夜と明日の朝ごはんのことを考えて、十個入りのパックを手に取ろうとしたところだった。
「へえ、ほんとに一緒に住み始めたんだ」
 背後から声がしたので振り返ると、透子が立っていた。透子と会うのは大学の食堂で詰め寄られたとき以来だったので驚いた。
「それ、一人で食べる量じゃないもんね」
 そう言って見透かすように微笑む彼女は、相も変わらずはっとするほど美人だった。以前会った時よりも髪の色がすこし明るくなっていた。彼女の両耳には大きなまるいピアスが揺れていた。
「ちょうど私これから暇だし、家までついてくから案内してよ、話したいこともあるし」
 決まりね、と言ってさっさと自分の買い物を済ませ、スーパーの出入り口で待ち伏せする透子の奔放な態度に呆気にとられてしまった。私は彼女と一度しか喋ったことがなかったし、こういう強引な人間をどうにかする術を持ち合わせていなかった。彼女は自ら出入り口付近を陣取ったにも関わらず、無闇に開閉する自動ドアに舌打ちをしていて、とても素直な人だなと思った。彼女はそのままほんとうに家まで着いてきてしまった。

「へえ、小綺麗にしてんのね」
 透子は私が運んできたあたたかいお茶に顔を近づけ、これまだ熱いじゃん、と言って部屋を見渡し、そう言った。
「話ってなんですか」
「堅苦しいから敬語とかやめてよ。私たち同い年だよ」
 てっきり大人っぽい透子のほうが歳上だと思っていたので、私は飲んでいたお茶を喉につかえて咳き込んでしまった。わー派手に咽せたね、と言いながら楽しそうにのぞき込んできた透子を見て、ほんとうにこの人は何をしにきたのだろうと少し腹立たしくなった。咽せたのをまじまじと見られ、恥ずかしくて耳が熱いのがわかる。
「伊田って下の名前なんだっけ」
「蒼衣、ですけど」
 敬語やめてって言ったじゃん、と、透子が眉間に美しいしわを寄せてあからさまに不機嫌そうな顔をするので、すみませんと謝ったら深いため息をつかれてしまった。
「透子さん、は、名字、なんていうの」
「岩崎。透子でいいよ。私もあんたのこと蒼衣って呼ぶから」
「はあ」
 透子は入念にお茶の入ったカップに息を吹きかけ、そのたびに空気を白い湯気が濁した。ひとくち飲んで、満足そうににやりと笑ったかと思うと、私もこのテーブルほしい、どこで買ったの、と全く脈絡のない話を始めたりするので、思わず空気を漏らすようにして笑ってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?