『たまごの祈り』⑤
色濃く透きとおった黄身が、薄く色づいた白身のなかにお月様みたいにすっぽりと浮かんで、さらさらとしたスープに幸せそうに浸かっていた。海苔を箸でしわくちゃにして、淡い黄色の麺と一緒にすくい上げた。ここに柳と来ていることが不思議だった。私たちが出会ってから、まだ一ヶ月も経っていなかったからだ。柳にはきっと、人の生活にちょうどよく入り込む才能があった。隣にいて決して嫌な感じはしなかったし、柳は害のない動物みたいだったから、近所の犬小屋につながれてしっぽを振る柴犬を眺めるような気持ちで、私は柳と接していた。久しぶりに食べたラーメンはじんわりと美味しかった。ラーメン屋さんの店内では、申し訳程度の音量で若手芸人のラジオが流れていた。
「おれ、小さいころ、チャーシュー麺を食えるのはすごい大人だけだと思ってた」
七枚も入っている厚切りのチャーシューを嬉しそうに箸ですくいながら、不意に柳が言った。
「なんでそう思ってたの?」
「うちでは、ラーメン屋でチャーシュー麺を頼んでいいのは大人の男である親父だけだってルールがあって、おれが親父をすごいと思ってたから」
「ふうん」
「いつも羨ましがって、親父のチャーシュー麺をおれが物欲しそうに見るもんだから、結局、親父は自分のチャーシューをいつもおれに一枚くれてたんだけど」
「優しいお父さんなんだね」
「うん、普通の人だけど、いい親父だよ」
でも、チャーシュー麺って、普通のラーメンに二百円足せば食えるんだな、なんて当たり前なことを言いながら、柳は幸せそうにとろとろとした肉を頬張った。
「柳のお父さんは何してる人なの」
「普通のサラリーマンだよ」
「柳と似てるの?」
「おれは、目元は親父ゆずりで、あとは母親似だってよく言われる」
私は、幸せそうな柳の幸せそうな両親の顔を思い浮かべた。優しそうな目元をした父親と、柔和な笑みをたたえた穏やかな母親。家族で週末にラーメンを食べたり、土の匂いのする公園でキャッチボールをしたりする、幸せな家庭だったんだろうなと勝手に納得した。小さいころの柳は、贈り物のテディベアのように愛らしくかわいかったんだろうなと、長い睫毛を盗み見ながら思った。あたたかい湯気の立つ父親のラーメンを、子どもらしく紅く色づいた頬で物欲しそうに見つめる、ちいさな柳。
「じゃあ、柳にとってお父さんは、チャーシュー麺を食べる権利がある、すごい大人だったわけだ」
氷の入ったお水をこくこくと飲み、私は言った。
「うん、本当に普通の父親なんだけどね、おれはすごいと思ってる」
「お父さんが好きなんだね」
「うーん、そうだね、それもそうなんだけど、なんていうかな」
柳は、すこし考えるように顎の下を掻いて、なにか遠くのものに話しかけるようにして続けた。
「普通に仕事をして、普通に家庭を持って、普通に生きているのって、とてもすごいことだと思ってて」
だからおれは親父をほんとうにすごいと思う、柳はため息みたいにそう言ったあと、ごちそうさまでした、と呟いて、もう帰ろうという風に私と目を合わせた。
残されたスープのなかに、まるく澄んだ油がいくつも浮かんでいた。
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