いつから変わってた?

 よく「変わってるね」と言われることがあります。その始まりとも言えるような、人と違うことを嫌というほど感じさせられたエピソードについて書きます。 

 小学校6年生のとき、国語の授業のことだ。
『平和のとりでを築く』という単元を読んでいた。その途中で、「日本が軍隊を持つことについてどう思うか」という題名で、全員が200字の作文を10分程度で書いてみんなの前で発表していくことになった。
 先生の合図のもと、クラス40人が作文用紙に向かって書き出す。まだ11.2歳の斜に構えた僕は、頭の中でこんなことを考えていた。

みんな絶対に「平和のために軍隊を持ってはいけない」と書くだろう。これまでの授業で、広島の原爆ドームの話や配給でご飯が十分に食べられない戦時中の貧しい暮らしについて読んできた。その後だから「軍隊を持つことに反対です」という選択肢が頭に強く残っているに違いない。しかしここで「反対ではない」と発表したらどうなるか?そもそも本当に反対しか選択肢がないのだろうか?いや軍隊を持つことによるメリットもあるのではないか?

 誤解のないように言っておくと、僕は戦争に賛成しているわけでも平和に反対しているわけでもない。もちろん日本のこの教育にも大賛成だ。世界中でたくさんの罪のない人々が犠牲となり、街が壊され、現代にまで暗い影を落とす、そんなことを2度と繰り返したくないし、そうするのが人類の使命だと心の底から思っている。しかし、だからといってみんなが紋切り型の答えを用意することが見えていたあの瞬間が、とても異様で、そこに収まることがむず痒いと思ってしまったのだ。

 作文の時間が終わると、教室の前のドアに一番近い机に座ってる子から、窓側に向かい横波を描いて順に読み上げていく。1番目の子の文の内容は果たして、「軍隊を持ったら戦ってしまう。だから軍隊を持ってはいけない」だった。読み終わると拍手が起きる。その後ろの子も、またその後ろの子も、Uターンして教卓前の子も、多少の違いはあっても大意は変わることはない。さながらオーディション会場のようだった。

 26,7番目ほどでいよいよ僕の番だ。僕の口から発せられた言葉はそれまでのクラスメイトとは全く違うものだった。全部は思えていないが、大意はこうだ。

 「僕は軍隊を持たないことが必ずしも平和だとは思いません。話し合いだけでは解決できない時があるかも知れません。その時に外国に攻められたら対応できないからです。」

 読み始めるとすぐに、クラスの雰囲気がピリついたのが肌でわかった。隣の女子や前の席の男子も「こいつ何言ってるんだ?」と訝しげな目線を投げかけている。その間手はブルブル震えていたし、息は上がっていた。なのに不思議と嫌な思いはしなかった。むしろあの時に自分の疑念を押し込めて「反対です」と書いていたら、帰り道でトボトボ歩きながら後悔していたはずだ。

 人と違うことはリスクなのだ。とかく日本人は見た目の面でも考え方の面でも周りと足並みを揃えがちだと言われる。特に子供の世界では、それが出来なかった報いが「いじめ」という残酷な形で現れる。小学校という社会で6年目まで生きながらえていれば、期せずして被害者になった子を見たことはたくさんある。だから、一人だけ「反対じゃない」と声高に叫ぶことは、どうぞ僕をいじめてくださいと体を投げ出す、愚かな自殺行為である。にもかかわらず、僕は周りの目を気にして自分の気持ちに嘘をつかずに意見を述べることが出来た。誰もやりたがらないことを成し遂げたのだ。そう考えると自分が誇らしく、格好良く、何より快かった。(ちなみに、新しい考え見つけた俺すごいでしょ!と少し舞い上がっていたが、「自衛隊」という存在を知るのはそれから先の中学生のことになる)

 読み終わると、案の定拍手は起きなかった。するとそれまでポンポンと生徒を指名していただけの先生が、僕の肩に手を置きながら、「みんな。〇〇(僕の苗字)くんはみんなとちょっと別の見方を持っているんだ。実はこういうことで、みんなとは少し違うけど…」と話し出した。中身は全く覚えていないけれど、要は一人だけ"平和反対"とクラスでレッテルを貼られていじめられないようにフォローしてくれたのだと思う。先生の話の後に拍手が起き、次の人に回っていく。結局、僕と同じように"反旗を翻した"作文は他に1つも出ないまま、授業は終わりを迎えた。

 先生の言葉添えの甲斐あってか、休み時間になってやんちゃ坊主にいびられることもなく、それでいて関心のトピックは別の何かに変わっていった。言わずもがな、清水の舞台から飛び降りた僕を褒め称えてくれる子もいなかった。こうして「変わった」人間のスピーチは忘れ去られる一途を辿った。たった1時間だけの、僕の大勝負はノーゲームで幕を閉じた。

 あれから10年以上が経った。あの頃作文用紙を手汗で濡らしながら胸を張っていた自分に、胸を張れる生き方ができているだろうか。

  じゃ、また。


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