邦ドラを見て頭痛くなるほど考えさせられた
三浦春馬君が亡くなって、私は彼の作品を恐らく一度も見たことないけど、亡くなったと聞いて、ファンの一人かのように落ち込んだ。
なぜかは分からない。
若いからなのか、笑顔がとっても素敵だからなのか、分からないけど、できることなら戻って来て欲しいと友人でも家族でもないのにそう思った自分がいた。
福山雅治さんが、彼の遺した作品を見て、聞いて欲しいと話していたので、それに従い、たまたま見つけたのが『私を離さないで』。
篠原涼子さんが好きだから『ラストシンデレラ』が本当は見たかったのだけど、なんとなくそのドラマを内容も知らずに選択し、見ることになった。
最初は、ドロドロ三角関係恋愛ドラマかと思っていて、主人公の恭子が可哀想過ぎて可哀想過ぎて、こっちまで精神不安定になってきて、ドラマとは関係ない自分のこれからについてまで大きな不安を抱える程でした。
このドラマは、臓器提供者という使命を持って産まれてきた人間の話。
自分達が臓器提供者ということは知らずに同じ仲間たちと施設で生活を共にして成長していく。
何も知らないままに、将来の夢ややりたいことを見つける子供もいるが、あくまで自分達は臓器提供をする者として生かされていることにある日、気付く。
その現実から逃げようものなら、一斉解体(即処刑のようなもの)されるという、どの道、夢も持てなければ長く生きることもできない。
子供も元から産めない身体につくられている。
という、産まれた時から、運命が決まっている人間のドラマだ。
最後まで見て感じたことは、自分の運命が産まれた時から決まっていて、かつそれを自分が理解していたのなら、死ぬ覚悟はできるのではないか、と思った。
まず、自分の望んでいない運命を受け入れること自体が至難の業だとは思うけれど、もし、受け入れることができたら、死ぬまでにこれをやろう、これを学ぼうと思い、悔いのないように生き、死ねるのではないか。
と、思うのは、老人介護で会ってきた高齢者達に、幸せそうに生きている人が少なかったからだ。
行きたいところに自由に行くことができず、変化のない生活を送り、家族は疎ましく思って面会には来ない。同級生も亡くなっているか、お互い外出困難で会う人も話す人もいない。
また、生きる活力は無いけれど、身体がまだまだ元気で死を待っているだけのような人もいる。
長生きはできているけどね。
どちらが幸せな人生なのか、分からない。
かと言って自殺はもっと悲しい気がする。
死にたくても死なない人は、何かしらの未練・希望・期待のようなものがあるんだと思う。
それが良いことなのかは分からないけどね。
私は三浦春馬君が亡くなって、軽くトラウマになり、これから離島に行くのにも関わらず、リセットしたい気持ちになった。
今までは、少しの緊張と、勇気とワクワクで満ちていたのに、それが緊張の度合いが増し、恐怖さえ覚えた。
私にできるのだろうか。挫折して、失敗体験を作り、傷つき、二度と挑戦できない負け犬の中年女になるのではないか、そういったプレッシャーに襲われた。
そして、同じような状況で、自殺したクラスメートがいた。
彼が自殺した時は、こんな風に考えたこともなかったし、自殺の理由は知らないけれど、もしかしたら、いきなり襲ってきた大きなプレッシャーに、リセットボタンを押したくなったのかもしれない。
私も、死にたいまでは思わなくても、ここで酒でも飲んだらちょっと危ういなと思って、酒は飲まないことにし、深呼吸をたくさんしてみた。
そういうことも考えさせながら、ドラマを見進めて行き、最終的には落ち着いて考えられるようになった。
人間は、生きる長さが大事なのではなく、どんなことをしてきたかが、大事で、量より質という答えが自分の中に出た。
短い人生だから不幸というわけでも、幸せというわけでもない。
そして、短い運命なのか、長い運命なのかは、右であるか左であるかだけの差で、遊びのように決まる。
誰かに弄ばれるように。
それなら、少しでも舵取りしたいと思った。
振り回されるだけではムカつくから。笑
いつ死ぬかも、産まれた時に告知されないんだから、本当にふざけてる。
そして、余命を宣告されても、仲の悪い伴侶と離婚しただけで寿命が延びる人もいる。
本当に振り回されている気分だ。
だったら思う存分こっちも遊んでやればいいんだ。
自分の人生に何かしらの目的を持ち、それを極めて極めて極めていけば、充分幸せなのではないか、と思いました。
はぁ、きっとまたプレッシャーという名の波が襲ってくるぞ。
でも波のない海は、それはそれで退屈なんだよね。
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