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第11話 軟禁ヒューマノイド | 作者:水無月彩椰

「マスター、昨夜はお楽しみでしたねっ!」
 
「起きて真っ先に言う言葉がそれなの……」

 二時間前に済ませた朝食の名残を感じながら、僕は午前十時のおやつタイムを楽しんでいた。商店のおばさんに貰った個包装のチョコレートを口の中で転がしつつ、相も変わらずご機嫌調子な白波の言動に呆れ果てる。鼻腔を突き抜けていく甘ったるい匂いがした。リビングの窓硝子から射し込む陽光も、夏の暑さをはらんでいる。

 彼女は僕の隣に座ると、拳一個ぶんほど違う目線の高さを合わせようと、少しだけ背伸びした。起きたばかりなのにご機嫌だなぁと思いながら、チョコを一つ手渡す。「それでねマスター」と僕を見つつ、さっそく一口。

「私、きちんと覚えてますよっ。マスターを慰めるために抱きしめたことも、マスターと一緒にベッドの上で一夜を過ごしたことも、そのまま寝ちゃったことも!」

 間違ってはいない。間違ってはいない、けど、昨日といい今回といい、なんだか変な方向に学習してしまっている気がする。あとで矯正させないと僕が赤っ恥だ。ヒューマノイドとそういうことをするのは、良くない。うん。いやまだ何もやってないけど。道徳的な問題だ。

「一晩休んで、疲れは取れましたか?」

「うん、もう大丈夫。ありがとう」

「それなら良かったです。えへへ」

 溶けきった甘ったるいチョコレートのような笑顔で、彼女は相好を崩す。可愛らしいその笑みに、僕は一瞬だけドギマギした。初恋の相手が白波だと判明したからだろうか。意識せずにいるというのも、難しいのかもしれない。少しだけ早まった脈拍を感じながら、平静を気取ってぎこちない笑みを返す。我ながら動揺しすぎだ。
 
 ──白波は恐らく、僕と会っていたことを忘れている。自分でさえ忘れていたのだから、寿命が近しい彼女なら尚更だ。どれほど覚えているのかは気になるけど、面と向かって尋ねるだけの勇気もない。『白波が僕の探している初恋の相手だった』と告白する勇気もだ。けれど、今のうちに訊いておかなければ、きっと、あとで後悔するのだろう。そんな考えを胸に、重い口を開く。

「……ねぇ、白波。もしかしたら昔、僕が小さい頃、君に会ったことがあるかも──って言ったら、どうする?」

「昔、会ったことがあるかも……ですか?」

 口の中でチョコレートを転がしながら、彼女はやや上目に僕を見る。斜め上あたりに視線をやって考えつつ、リスのように頬を膨らませていた。ときおり「うーん……」と悩ましげな声を洩らし、やがて首を振る。純白の髪が弱々しく、弧を描いて揺れた。想定内とはいえ、残念。

「……申し訳ありませんが、昔のことは、あんまり覚えてません。マスターは、私のこと、覚えてるんですか?」

 白波はどこか不安げな面持ちで、そう言った。

「本当はずっと忘れてたけど、昨日の夜、ようやく思い出した。……変な話だけど、白波が甘えさせてくれたから、思い出せたようなものだよ。小さかった時の僕が、君を花火大会に誘ったの、覚えてないかな」 

「花火大会……」

 心当たりがないのだろう、彼女は目を丸くしながら小首を傾げていた。そのあとも何回か考えるような仕草は見せたものの、思い出すまでには至っていない。やはり、完全に忘れている。それならば、と僕は続けた。

「……これは、完全に僕の我儘なんだけどさ。昔に会ってたことを思い出してもらえないまま、白波に消滅されるのは、悲しいから。だから、なんとかして思い出してもらえるように、頑張る。付き合って、くれるかな」

 我ながらそれは、継ぎ接ぎの録音音声のような出来だった。淡々とした、起伏のない、聞くに耐えないようなものだとは思ったけれども、白波は相変わらず僕の方を見たまま、神妙な面持ちで幾度目かの瞬きを続けている。

「……っ!? えほっえほっ……!」

 ──が、唐突に目を見開いて咳き込んだ彼女に、僕は思わず動揺した。チョコを器官に詰まらせたのだろうか。咄嗟に背中をさすりつつ「大丈夫?」と問いかける。白波は胸のあたりを叩きながら、涙目で僕を見上げた。

「だって、だっていまマスター、私と『付き合う』って言いました……! びっくりしちゃって、それで……」

「君、人の話ちゃんと聞いてた?」

「聞いてました! 私は昔、本当は小さい頃のマスターと会ってて、でもそれを忘れてしまっている……。だから、マスターがその記憶を思い出させてくれるんですよねっ? その、私と、付き合うことで……ね……?」

「うん、文脈がちょっと違う」

 真面目な雰囲気が台無しだ。どうしてくれる。

 さっそく、白波を大型モニターのなかに封印した。物理素体を持たないバーチャル・ヒューマノイドだからこそ、こうやって仮想空間と現実世界とを自由に投影できる。

「えっ、あのマスター……。マスターに触れないんですがどうしたらいいんですか私は……! バーチャル空間のお部屋のなかに、私、ひとりぼっちですよ!?」

 祖父の書斎に白波の声が響き渡る。壁に掛けられた大型モニターのなかを、彼女は落ち着きなく歩き回っていた。現実世界とバーチャル空間のちょうど合間に、モニターの画面があるようなイメージだ。アップで映された白波に向かって手を振りながら、僕は趣旨を説明する。

「まだAR技術が発達してない頃は、白波もそうやってバーチャル空間のなかにいたんだよ。ARが現実に干渉できるようになったのは、ここ数年の話。……でもおじいちゃん、きちんと白波に部屋まで作ってあげてたんだね」

 バーチャル空間のなかは、現実世界でいうところの八畳間だった。和風、というよりは、和洋折衷式の和モダンという雰囲気だろうか。当時に流行った建築様式だ。ベージュの畳に木目調のローベッドとデスクがあって、使いもしないクローゼットなどまで完備されている。白波は座布団の上に正座しながら、画面に張り付いていた。

「ちょっと見覚えあるかもしれないけど、もう覚えてませんよこんな部屋ぁ……! 新手のいじめです……!」

「白波に昔のことを思い出してもらうために、わざわざ昔と同じ環境を再現してるんだよ。……それと、自分が昔、おじいちゃんになんて呼ばれてたか覚えてる? 白波、は完成してからの名前で、その前、コードネーム」

「あっ、それは覚えてます! ステラです!」

「あれ、覚えてるんだ……。てっきり忘れたものかと」

 凄いね、と画面の向こうにいる白波に目線を合わせながら、僕はそのまま微笑した。「絶対に私のこと、からかってますよね……」と言われたけど、無視する。ステラという名前を僕が知っているのはおかしい、と反発してこないあたり、自分は祖父に開発された──ということも忘れかけているのだろうか。ヒューマノイドはマスターを間違えないけれど、祖父はもうマスターではない。

「それでね、ステラ」

「白波です」

「昔のこと、思い出したいでしょ? 実を言うと、僕が無理やりにでも思い出させたい感じなんだけどさ」

「でも、白波って呼んでくれないと嫌です」

「だめ。思い出してくれるまではステラって呼ぶよ」

「うぅ、マスターのわがまま! 自己中! それなら私だってマスターじゃなくて夏月って呼びますよ!?」

「大いに結構。むしろ新鮮でいいかも」

 鷹揚に頷きながら、僕は祖父のパソコンを操作するべくデスクチェアに腰掛ける。悔しそうにしている白波を見ているのも、どこか可愛らしく思えた。本人には悪いけど、あと数日くらいはこのままにさせてもらおうかな。

 マスターマスターと騒がしい彼女を一瞥しながら、HDDのなかに保存されていた昔の写真を眺めていく。これらは今朝に探したら見つかったものなのだが、どうやら祖父は生前、幼い僕と白波の様子を写真に収めていたらしい。それを彼女のいるバーチャル空間に転送しつつ、「これ、昔の僕とステラが話している時だよ」と言う。

 大型モニターに映っている白波と、その対面に座っている僕。画面越しに何かを喋っているけれど、いったい何を話したのだろう。会話の内容なんて、忘れてしまった。そもそも幼い僕は、成長過程で、彼女がヒューマノイドであることすら忘れていたのだ。当時はまだ多く普及していない時代だから、話し相手はみんな人間だと誤認していたらしい。固定観念とは恐ろしいものだ。

「……これが昔のマスターですか? 可愛いですねっ。それで、こっちが昔の私……全然、変わりませんね。バーチャル・ヒューマノイドが老いるのはだいたい記憶力。ふふん、人間なんかとは違うんですよっ。……あ、でも、なんか私、無愛想ですね? 綺麗は綺麗ですけど……」

 バーチャル空間に投影された写真を眺め回しながら、白波が何やら言っている。確かに昔の彼女は、ちょっと無愛想にも見えた。やはり感情表出が今より上手くいっていなかったから、そう感じるのだろう。僕が初恋の相手に抱いていたイメージも、恐らくここから来ている。

「……そういえば、バーチャル空間から現実世界にアバターを投影できた時は、すごく嬉しかったのを思い出しました。おじい様がとても喜んでいて、私も嬉しくなったというか。外に出れるんだ、って思いましたね」

 いつもの優しい笑みで、そう白波は告げた。

「この部屋って、昔とまったく同じなんですよね?」

「うん。このままバーチャル空間に残されてた」

「……ちょっと見覚えがあると言ったのは、嘘じゃないです。ほとんど忘れちゃってるので、懐かしいな、とも思わないんですけど……。でも、悪くないですねっ」

 部屋を見渡しながら、彼女は笑う。着物姿の少女と、その和モダン調の部屋とは、雰囲気がどこか似合っていた。バーチャル空間だからそう感じるのだろうか。協力してくれる白波の気持ちをありがたく思いながら、僕は彼女に向かって、小さく頷いた。──とほとんど同時に、来客を告げるチャイムの音が、微かに鳴る。

「お客さんですね……ちょっと待っててくださいっ」

「いや、君、ここから出られないでしょ」

「あぁぁっ、そうでした……!」

「初恋の相手が白波だったぁ!?」

「ちょっ、静かに……!」

 玄関先で驚愕の声を上げる凪を静めながら、僕は慌てて圭牙に目配せする。苦笑いをしている彼を横目に、凪は勢いそのまま食いついてきた。朝から元気だ。話を聞くに、どうやら懲りずにまた『初恋の相手探し』を続けようとして、わざわざここまでやってきたらしい。

「なんでだ、普通に考えておかしいだろ……」

「遂に妄想と現実の区別もつかんくなったんか……?」

 僕に失礼すぎるでしょその言い方。

「いや、あの、実は……」

 食い気味に詰問してくる二人を上手くなだめながら、どこから説明しようかと思案を巡らせる。ひとまず僕は、昨日から白波の風貌に『初恋の相手』のような既視感を覚えていたこと、その既視感が昨夜、彼女と話している時にふと昔を思い出すきっかけになったことを話した。

 それから今朝、その裏付けをするために、祖父が残していた白波についてのログを確認したこと、それによって、白波は祖父の手で開発された、独自個体のバーチャル・ヒューマノイドであることを加えて説明した。しかし白波は、昔に僕と会ったのを忘れていることも。

「人間やと思ってた初恋の相手が、実はヒューマノイドやったってことか……。白波がその人に似てると思ったけど、年齢の計算が合わないから合点がいかなかった。でも逆に、その人がヒューマノイドなら辻褄が合うってことか……。ヒューマノイドなら顔は変わらんもんね」

「しかしまぁ、会ったことを忘れられてるっていうのは結構メンタルにくるな……。お前はそれでいいのかよ。あれだけ探してた初恋の相手なんだろ、あんなポンコツヒューマノイドでもよ。せいぜい後悔はすんなよ」

 神妙な顔で言う圭牙に、僕はひとつ頷いて返す。

「うん。だから、白波をモニターの中に閉じ込めてる」

 ──怪訝そうな顔をされた。露骨に。


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