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バーン・ホワイトウェイブ |作者:水無月彩椰

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「──大丈夫です。私、八月三十一日に、寿命で消滅しますから」 人付き合いが苦手な高校生・四宮夏月が引き取ったのは、”白波”と名乗る祖父の遺産、余命一ヶ月のバーチャル・ヒューマノ…
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記事一覧

第13話 白波 | 作者:水無月彩椰

「マスター、私、ベッドのところにいますねー!」 脱衣場と廊下を隔てる扉越しに、白波の声が響き渡る。それを報告する意味がどこにあるのだろうと思いながら、僕は乾きかけの髪を手櫛で梳かしていた。夕食後の満腹感と夏の蒸し暑さとが、全身をどこか気怠いような雰囲気にさせる。手で顔を扇ぎながら寝間着に着替えて、そのまま白波のいる祖父の部屋へと向かった。煌々と照る照明に反して、窓硝子の向こうは、仄暗い。 「おぉ……きちんと来るんですね、マスター」 「別の用があったから来ただけ」 「ま

第12話 懐かしい感覚 | 作者:水無月彩椰

「へぇー、これがちっちゃい時の夏月かぁ……。やっぱ子供は可愛いわ。愛すべきは子供と愛玩動物やろっ」 「お前ほんと危険な趣味だからガキに近付くなよマジで。あんなのうるさいだけで害しかねぇだろうが」 「はぁー? ガキの可愛さが分からないん?」  二人はパソコンのモニターを覗き込みながら、幼少期の頃に撮った僕と白波の写真を眺めていた。火種はどこにあったものか、なぜか二人の言い合う声だけが聞こえてくる。それを横目に一瞥しいしい、大型モニターの対面に座っている僕は、無言で白波と顔

第11話 軟禁ヒューマノイド | 作者:水無月彩椰

「マスター、昨夜はお楽しみでしたねっ!」   「起きて真っ先に言う言葉がそれなの……」  二時間前に済ませた朝食の名残を感じながら、僕は午前十時のおやつタイムを楽しんでいた。商店のおばさんに貰った個包装のチョコレートを口の中で転がしつつ、相も変わらずご機嫌調子な白波の言動に呆れ果てる。鼻腔を突き抜けていく甘ったるい匂いがした。リビングの窓硝子から射し込む陽光も、夏の暑さをはらんでいる。  彼女は僕の隣に座ると、拳一個ぶんほど違う目線の高さを合わせようと、少しだけ背伸びした

第10話 初恋の相手 | 作者:水無月彩椰

──昨夜のことを思い出して、僕は朝から気落ちした。寝ればすべて忘れられると思っていたけれど、そんなに簡単にはいかないらしい。隣で寝ている白波を見て、彼女を起こさない程度には配慮した溜息を吐く。ブラインド越しに射し込んだ曙光が、床を仄かに照らしていた。それを僕は、ベッドの上から呆然と見つめている。   「……はぁ」  首を少し傾けると、白波の寝顔が見えた。こんなに近くで彼女を見たことはないから、かなり緊張する。煙るように長い、整った睫毛だとか、綺麗な鼻筋だとか、血色のいい唇

第9話 懐かしい群青、絳霄のひとしずく | 作者:水無月彩椰

「いやぁ、美味しかったです……! これが餌付け、調教……! 私はマスターのものにされちゃってるんですねぇ……。喜んじゃってる私も、罪な存在ってことですか……えへへぇ。マスター特製ハンバーグ……。とっても美味しかったです……。また作ってくださいねっ、約束です!」 「だから白波、その言い方をさ……」  食べ終えたばかりの食器を洗浄機にセットしながら、僕はソファに座っている彼女へと小言を洩らす。ついでに、お湯はりの設定を済ませてからリビングに戻った。珍妙なテンションになっている

第8話 ポンコツヒューマノイドとお買い物 | 作者:水無月彩椰

炎陽というよりも、斜陽という方が適当な午後四時過ぎ、入道雲はやや薄ぼけた紺青に映えて、少しだけその勢いを弱めながら、東雲色に染まっている。海鳥が胡麻を撒いたように飛んでいるのが、さして広くない裏路地から見下ろす、民家の屋根越しにも、よく分かった。  潮風に枝葉は靡いて、二人ぶんの足音は、昼間よりも軽い。ときおり目蓋に落ちる影が、消えゆく斜陽の明るさを、どこか守っているように思えた。瞳を射す陽光に目を細めながら、「マスター」と呼んできた白波を見る。 「昼間よりは、ちょっと涼

第7話 やっぱり、残念 | 作者:水無月彩椰

午後二時に差し掛かった頃、僕たちは冷房だけが効いている無人の集会所で、涼をとっていた。日に焼けてすり減った畳敷きの、その四畳半の小上がりに、四人ぶんの座布団が並んでいる。磨硝子には、燦々と照りつける日射しが透けていた。模様のひとつひとつが陰影を伴って、何色だかもよく分からない光が、乱反射している。 「十人近くあたったのに、駄目なんですねぇ……。マスターの初恋の人って、他に宛てはないんですか?」 「これで島にいるやつの心当たりは全員だ。ここまでやって見つからないなら、島を出

第6話 白い眩しさ | 作者:水無月彩椰

──世界のすべてが、淡い色彩に包まれていた。絵筆の先に滲んだ絵の具が、穂先から水面に溶け消えて、そこに映った色合いにも似た、そんな、淡いだけの情景。夢はいつも、薄ぼらけ。モノクロでもなければ、セピア色でもない、中途半端な、淡い色。それが僕の夢だった。  誰かと話している。誰かと笑っている。二人ぶんの声が、僕の耳にも届くくらい、はっきりと聞こえていた。淡々と、けれど玲瓏として澄み渡る、真夏の暑さをも掻き消してしまうような──風鈴の音にも似たその声が、僕にはとても懐かしく感じら

第5話 滔々、一人語り | 作者:水無月彩椰

「……緊張、してましたね」  黒焦げになったトーストの苦さが、口のなかに広がっていく。それに追い討ちをかけるような白波の一言が、僕の胸を締め付けるように、無自覚の圧を与えてきた。隣に座って申し訳なさそうにしているのは、パンを焦がしたからか、或いは僕の胸の内を見透かしているからか。  いくら自分が気乗りしないからって、彼女にパンを焼かせるのは失敗だったな──と、そんな後悔だけが頭に浮かぶ。……いや、浮かぶ後悔は、別にそれだけではないのだけれど。今はその事実から、目を逸らした

第4話 少年団の二人組 | 作者:水無月彩椰

──慣れたような手つきで、少年はモデルガンの銃口を僕と白波とに向けている。真正面に相対していると、彼の背丈がよく分かった。僕より少し上だ。それに顔つきも、僕とほとんど同じ年代っぽい。同学年の可能性も高い。そう思うと、何がなしに緊張してきた。 見下ろすその目付きは、眦が上がっているような、つり目がかった、人相の悪い感じ──とでもいえばいいのだろうか。道路に舗装されたコンクリートの表面をそのまま映したような、無愛想な瞳の色をしている。向こうから走ってきたためか、紺がかった短髪も

第3話 午前十時の朝散歩 | 作者:水無月彩椰

──世界のすべてが、淡い色彩に包まれていた。否、それは色彩というよりも、遥か昔の思い出が色褪せていくような、モノクロともセピア色ともつかない、ただひたすらに、淡い色。それでいて、流水にも、玻璃にも似た、とびきり透き通った空気感のなかに、僕はいる。    誰かと話しているような気がした。誰かの声が、薄く響いているような気がした。淡々と、けれども澄み渡るような、涼やかな、優しい声。この世界の雰囲気に僕は、いつの間にか呑まれている。どこか、懐かしかった。 ◇  目蓋の裏を焼く日

第2話 ポンコツヒューマノイドと頼みごと | 作者:水無月彩椰

バーチャル・ヒューマノイドは、もともとネットコンテンツとして誕生したヒューマノイドだ。家事を担う物理素体の家庭用ヒューマノイドよりも、内蔵されているAIは高性能。さらにバーチャル上のアバターを現実世界に投影できることから、物理的な寿命の懸念は減った。多機能で娯楽性が高く、そのぶん高価格だけれど、ハイスペックな個体は十数年近くも稼働するらしい。 「お疲れでしょうから、お夕食を作りますね。マスターはそこのソファで休んでくださっていて構いません」 そんなバーチャル・ヒューマノイ

第1話 白波 | 作者:水無月彩椰

港が、建物が、道路が、海の底に沈んでいる。町へと続く急勾配のアスファルトも、その半ばほどを海水に浸していた。夏の群青、斜陽から射す茜や紫金が、水面に的皪たる様で揺らめいている。道路に打ち付ける白波も、僕だけしかいない連絡船の窓から、よく見えていた。 波を掻き分けて進む音だけが、耳の奥底まで響いてくる。泡沫の弾ける細やかなそれが、どこか心地よい。耳を澄ませば、海鳥の鳴き声が聞こえてくるようだった。 この島に来るのは、何年ぶりだろうか。そんなことを思いながら、着岸の準備を始め