ゆーみんがwebライターになるまで

こんにちは!ゆーみんです。
現在webライターとして一人前になれるよう、日々執筆しています。
今日は、少し私のことを知っていただけたらなと思い、私がwebライターというお仕事に出会うまでの話しを書いてみたいと思います。

女子高デビュー

自分自身で過去を振り返ったとき、「あの頃に戻りたい!」と思うのは高校時代。制服が可愛い女子高に入学しました。

高校になったら、勉強なんてほっといてとにかく彼氏が欲しかったんです。「恋愛=青春」という、今思えば「たいして容姿も良くないのにどの口が言ってんだ」って感じですがとにかく当時は必死でした。

毎日、田舎から電車で40分揺られ通学、私が通った高校は、県内でも人気の高い女子高だったんです。私みたいな田舎者は、街に出ても他校には同じ中学出身の友達くらいしか知り合いはいません。しかし不思議なことに、街の中学出身の友達はあっちもこっちも知り合いだらけ。

その友達と一緒に遊んでいると自然とコンパの話しが次々と舞い込んでくるのです。とにかく毎日たくさんの友達とわいわいしてるのが楽しくて仕方ありませんでした。

こんな感じで、恋愛依存症気味の私は高校時代、彼氏いない歴1年以上になったことはありません。当時はそれでいいと思ってましたが、今となっては何にもならない遺産ですね。

あの頃の自分に言ってやりたい。
「ちょっと話しが合うくらいで好きになるんじゃないよ!」
「カラオケうまい、話しがおもしろい。魅力的だけど、結局それだけ!中身しっかり見ないから長続きしないよ!」ってね。つまり、当時の私は熱しやすく冷めやすい子でした。

恋愛依存症気味でも続けられたこと

こんな、勉強より恋愛の生活を送っていた私ですが、一つだけ真面目に続けていたことがあります。私は5人兄妹の真ん中っこです。

高校は私立だったため、学費が高く、親は大変でした。田舎から通っていたため毎月の定期代も高額で、自分でできることくらいは自分でやろうと思って地元のパン屋さんでバイトしました。

このバイトを短大卒業まで5年続けることになります。小さなパン屋さんだったので、びっくりすると思いますが、最初は612円でした。その時の最低賃金だったのです。

パンが好きと言う単純な理由と親の知り合いのお店だったからと言うことで簡単には辞めることができませんでした。しかし、いっぱい働けばお給料日にはまとまったお金が入ってくる。

この体験がうれしかったです。たとえ、それが他と比べると低賃金でも。

一つのことを投げ出さない責任感となにごとも続ける忍耐力はこのパン屋さんのバイトで身につけたと思っています。あ、気になる人がいるといけないので言っておくとその後短大になる頃には時給740円くらいにはなってました。これでも激安でしたけどね。

基本的な性格はミーハー

若いころは、恋愛にうつつを抜かしながらも、いろんなことにチャレンジする好奇心もありました。小・中学時代には吹奏楽部でトランペットを吹いていました。だから音楽も好きで、いろんなアーティストのコンサートに足を運びました。

夏は夏フェス、レゲエもJ‐POPもなんでもありです。とにかく楽しかった。
ジャニーズも好きで、イケメンみたさにカラオケに行ってPVをよくみてました。(チケット運がなく)

私のミーハーな好奇心は、「気になったらとにかく自分が納得するまで調べる!」という検索魔になりました。それは今でも同じです。

芸能人が結婚した!というニュースが流れるとその芸能人の過去を調べたり(大きなお世話)、旦那にイライラしたら同じ境遇の人のブログ読んで「そうそうそう!何言ってもムダだよね!旦那なんてATM!」なんて思ったり(夫には内緒)、子育てで悩んだら解決策を探してみたり…。

自分が納得するまで検索をやめられないんです。これはwebライターに生かされていると自分では自負しております。

耐え忍んだ会社員時代

その後、私は浮かれた女子高生から短大生になります。短大を卒業と同時にある会社に事務員として入社します。

この会社で今の夫と社内恋愛をして、30歳で結婚するわけなのですが、この会社で社会人生活を終えるのです。

お気づきでしょうか。

私この会社で約10年働いているのです。パン屋さんの時代と同じ、仕事を投げ出さず続ける責任感をここでも発揮してしまいました。

これはもう長所と言ってもいいですよね?ちょっとやそっとじゃ投げ出さない自信はあります。

事務員時代には、製造業の工場で働いていたので、工場のおばちゃんに理不尽に怒鳴られて泣きながら伝票処理をした日も多くあります。それでも耐えて、会社を辞めるころには事務員で係長の役職を貰っていました。

育児に追われて自分を見失いそうになる

結婚&出産のため、会社を辞めて働かない日々が始まると最初は自分のやりたいことが全部できる時間があったので楽しかったのを覚えています。しかし、長男が生まれると生活が一変しました。長男はとにかく手がかかる子だったんです。

お布団でなかなか寝ない、ベビーカー・抱っこ紐・チャイルドシート全て拒否!いつも海老反り状態で号泣でした。

次第に私は外出も億劫になり、化粧もしない、部屋着もいつも一緒と美容とはかけ離れた生活を送っていくようになりました。

そんな中見つけた在宅ワーク

そんな若干引きこもり生活を送りながらも、毎日育児中のママブログをみるのが日課になっていました。ある日、ポイ活に出会います。

「私もブログ書いてバナー貼ってればお小遣い程度にはなるかも」。そう思って始めましたが、世の中には凄いママさんがそこら中にいて私が始めた頃にはバナーから登録してもらうのはとても難しい状態。

頑張ってブログ書いてもなかなかお小遣い程度にさえならずいつの間にか更新もおろそかになりました。その後、たまたまたどり着いたブログでクラウドソーシングの存在を知ります。

昔からPCを触るのは好きだったので、もちろん私は飛びつきました。簡単作業と呼ばれるアンケートや商品登録などの案件をこなす日々が始まります。

この時はやったらやった分だけお金になるので育児の合間をぬって作業しました。ですが、育児の合間の簡単作業は頑張って月1万円程度でした。

やがて、「これだけやって1万円いかないのか…」と思うようになり、こちらもいつの間にやら辞めてしまうのです。昔のような忍耐力はどこかへ行っててしまっていました。

出産は時に人格を変えてしまうのか…。そのときの私は、年子の育児もしていて自分に余裕はありませんでした。

専業主婦の肩身の狭さからもう一度這いあがる

時が経ち、子ども達が幼稚園に通いだすと子どもからの要求も増えていきました。

「○○くんはおやすみの日に○○に遊びに行ったんだって!」
「どこか遊びに行きたいなー!」
という回数が増えていきました。

私は裕福な家庭で育ったわけではなく、むしろ5人兄弟で家族でどこかにお出かけしたなんて記憶はほとんどありません。小さな頃から、自分に子どもができたら同じような思いはさせたくないといつも思ってきました。

しかし、私は専業主婦。我が家は夫が家計の管理をしているため、私がいつもいつも「○○に連れて行ってあげたい!」と言うのが少し後ろめたかったんです。

そこで、専業主婦でも稼げないかと、検索魔ゆーみんが再び這い上がりました。

たどり着いたwebライター 

私には過去の経験で在宅ワークは稼げないという固定概念がありました。そこで、探すジャンルを変えてみようと思い、他の稼いでるママさんは何をしているのか調べたのです。

するとまず、転売やアフィリエイト。少しだけやってみましたが結果が出るまでに時間がかかる。

私が求めてるのは、やったらやった分だけ収入になることでした。そこで見つけたのが、webライターという職業。

最初は不安もありましたが、良いクライアントさんに出会い少しづつ成長出来ていると思っています。記事を読む人にはもちろん、クライアントさんにも喜んでいただける記事になるよう心がけています。

長い文章読んでいただきありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします(*^-^*)


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