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Half time Old「幸福病」という歌

先日Half time Oldの配信ライブがありました。

これも時代だなぁと思ったり、幼い子がいてライブに気軽に出掛けられない身としては久しぶりにライブというものを見た気がします。

とはいえ、収益とか考えるとアーティストさんにとってはあまり儲かるものではいんだろうなと素人計算にもわかります。芸術分野がオンライン化していくのにはビジネス構造から考えないと継続した未来はないのかなと思います。ファンビジネスもグッズ売り上げと広告収入に頼っているだけでは、リアルに会えないこのご時世に潰れていくのは悲しいです。

この辺の売り上げ等は私の勝手な憶測なので余計なお世話ですが。

今日はその配信ライブの中で印象的だった「幸福病」という歌について書いてみようと思います。

何年経っても毛ほども分かり合えない人がいる

そんな紹介で始まった「幸福病」という歌。

「毛ほども分かり合えない」この表現自体が割と好きです。私はよく「小指の先ほども共感できない」という言葉を好んで使っていますが、人によってそれぞれあるもんだなと思うと興味深いものです。

この歌はYouTubeにアップされていないので、動画が貼れないですね。

一言で言えば、感受性が豊かなのだと思います。

分かり合えたことなど一度もない

ーHalf time Old「幸福病」より引用

いつからだろう、大人になるにつれて分かり合えることがあるなんて信じなくなりました。

分かり合えないことが前提だから、分かり合えないことに失望も落胆もしなくなりました。いつの間にか、かつて「わかり合う」ということに傷つき落胆し、「わかり合う」ことへの喜びに一喜一憂していた頃を忘れている自分に心がチクチクします。

人は生きていくうちに大勢の仲間も友も少なくなる気がします。

喧嘩なんて夫婦喧嘩ぐらいですからね(笑)本音でぶつかるのも、本音で憤りを感じるのも夫以外にほとんどないですし。

「なんだコイツ」とは思っても心乱されたくない。それが愛想笑いで固めた人生なのかもしれませんね。

愛想笑いさえしたくないから、最近ではほとんど1人で過ごしていますが。

1人で過ごすことが嫌いな性格でなくてよかったです。

はみ出さずに、漏れずに生きていかなきゃ
叩く方にあちらに着いていかなきゃ

ーHalf time Old「幸福病」より引用

いつの間にかこう思うこともなくなりました。

まぁ私は組織に属していないフリーランスなのもありますが、私は組織に属することができなかったとも言い換えられます。叩く方に着いていけなかった、はみ出さずに生きていくことができなかった、組織から零れ落ちた人間だからかもしれません。

大人になればそういう方法も手にできるいうことは、救いではありますが、そんな私でさえ確かに若い頃はこうした思いもありました。SNS時代の今、特にこういう若者は増えているかもしれません。

人が決めた答えは僕のじゃないでしょ
裏切られた蹴られたそんなんもあんだろ

ーHalf time Old「幸福病」より引用

様々な葛藤のあと、終盤にこの詞が出てきます。

いつか悩み苦しむ若者が自分の答えを導けるようになる、そして裏切りにもそんなもんもある、と言えるようになって欲しいな。

まぁどんなに割り切っても人の裏切りは凹みますけどね。お金が絡むとさらに(笑)

とは言え、人付き合いがうまい人には憧れます

私は人付き合いが苦手です。

ただ、周りにはうまいと思われています。装うのがうまいのでしょうね。

人付き合いが苦手だから、組織にも属さないし、付き合いも適当に断ります。意見もある程度いうけれど、人の意見も否定はしません。面倒だし、人それぞれだからぶっちゃけどうでもいい。

要するに人付き合いを諦めた人間です。

でも、自分の出す結論は諦めることだけではなかったのかな、とも時々思いますし、向き合うこと、裏切られても蹴られても向かっていく人に強い尊敬の念を持っています。

きっとね、こんなことを歌にして、憤りとともに今も腹立たしく思っている彼らはきっと向き合って強くたくましく生きていくのではないかと。そしていつか分かり合えない人なんていなくなるんじゃないかと思います。

それぞれだから、正解はないし、ないものねだりはいつまで経ってもしてしまうけれど、毛ほども分かり合えない人間なんて本当はいなくてね。毛ほども分かろうとしていない自分がいるんだろうなと思います。


あー今日はただの日記だなw

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