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8年後の紅葉鳥


「紅葉鳥(もみじどり)って知ってる?」

リビングで、やや小さめのクロッキー帳に
覆いかぶさるように背中を丸め、
もくもくと鉛筆を動かしている息子に尋ねてみた。

「何、それ?」

そうだよね、やっぱり知らないよね。

「鹿のことらしいよ。紅葉の季節に鳴く声が、
ちょっと寂しそうできれいなだからって、
鳥に例えてつけられた異称なんだって」

日本らしいなぁと、話し相手になってくれながら
やっぱりクロッキー帳に向かい、鉛筆を動かし続けている。

そーっとのぞいてみると、細い細い線画のバイクが
浮かび上がっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼いころから、折り紙や粘土、時には洗濯ばさみも材料にした
工作が好きな子だった。

小学生から切り絵にはまり、「0.1mm線の切り出しを目指すんだ」と
楽しそうに毎日、机に向かって練習していたっけ。

偶然にも「紅葉鳥」を作品にしていた(はがきサイズ)

高校生の時、ワイヤーアート作品で思わぬ評価を受け、芸大へ進学。
思い切り好きな作品づくりに打ち込めるね!
……と思ったのもつかの間、息子を待っていたのは
厚く大きな壁だった。

高い理想と自分の力のギャップに心が折れる。
幼いころ夢中になれた「好き」という気持ちだけで
向き合うことができなくなっていた。

結局、壁を乗り越えることも、打ち破ることもできず
真面目な性格がよかったのか、悪かったのか
「避けて回り道をしよう」という提案も拒否。

卒業制作の作品は、額縁のサイズを間違え、
展覧会に出品する〆切に間に合わないという
なんとも消化不良な4年間の総仕上げになってしまった。

「ま、仕方ないんじゃない?」

本人は、最後の最後に、自分が納得できる作品ができたことで
もう充分だったようだ。

他人からの評価ではなく、自分の中にある越えたい基準。
彼にとっての壁は、そこだったんだ。

・・・・・・・・・・・・・・

「芸大って、卒業後の進路、あるの?」

進学を決めた時、いろいろな人から心配されたものだ。

就職のために、進学するんじゃない。
それが親としての想いだった。
好きなことに存分に楽しめるなら、それでいいと思っていた。

今、息子はアートとは何の縁もない仕事に就いている。
その代わりに、退社後や休日には、クロッキー帳に
好きな絵を描いたり、時々アートナイフを取り出しては、
コツコツと0.1mm線の切り出しに取り組んでいる。

厚くて大きな壁と闘っていたことを忘れるほど
とっても、自由で楽しそうに。

「紅葉鳥かぁ。そういえば、鹿と紅葉の切り絵を作ったよな。
今なら、もうちょっと上手くできるかなぁ」

「それだけ毎日、楽しく描いたり切ったりしてたら
きっと、もっといい切り絵がつくれると思うよ」

誰かが言っていた。
「一番好きなことは、仕事にしないほうがいい」って。

息子を見ていて、「その通りだ」と思う母は
一番好きな書くことを、仕事にしてしまっているけれど。     (終)


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参加させていただきました。
機会をいただきありがとうございます。
#シロクマ文芸部
#紅葉鳥









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