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「想望」~祖父母の戦争

夏の雲が立ち上る8月の真っ青な空の下、仕事で煮詰まった頭を冷やそうと、あてもなく愛車を走らせていた時だった。

iPhoneをつないだカーステレオから、やさしく、どこか懐かしいオルガンの音色に続いて、聞き覚えのある声が流れてきた。

  
  君をまだ好きなまま
  帰らぬ旅へ征かなきゃ……

福山雅治の「想望」だった。

2023年12月8日、戦争をテーマにした映画の主題歌として発表されるや否や、「オリコン週間デジタルランキング」で初登場1位を獲得した人気のバラードだ。

生前、祖母がよくオルガンを弾いていたこと。8月が近づくたびに、出征した祖父の話を、母や叔母たちから聞かされていたこと。
そんな背景も手伝って、知らず知らずのうちに、歌の世界が祖父母の思い出にオーバーラップしていった。

船の設計技師だった祖父が、太平洋戦争で召集されたのは海軍だった。

ある日、久しぶりに許された面会のため、祖母が用意したのは、小豆のおはぎだったそうだ。

「砂糖がない時代でなぁ。着物を売って、手のひらに収まるほどの砂糖をなんとか手に入れて、お母ちゃんがおはぎをつくったんや。」

やっとの思いでつくった、わずかばかりのおはぎを提げ、祖母と母、母の姉の3人は、電車を乗り継ぎ何時間もかけて、祖父のいる基地へ出かけて行った。

祖父の顔を見るや否や、挨拶もそこそこに、小さな弁当箱を開けておはぎを差し出す祖母。祖父が、甘い小豆でくるまれたおはぎを一つ、うれしそうに口へ運んだその時だった。

「全員、持ち場へ戻れ!」

招集サイレンが響くと同時に、祖父は口に入れたおはぎを吐き出し、娘たちの顔をゆっくり眺めることも、妻と言葉を交わすこともできないまま、基地の奥へ瞬く間に消えていった。

「お父ちゃんと、おはぎが食べたかったのに……」

すすり泣く母と母の姉をなだめながら、つぶれたおはぎを片付けた祖母は、娘たちの手を引いて、後ろ髪をひかれる思いで基地を後にしたという。

そしてその夜、祖父は艦上の人となり、戦地へ出発していった。


敗戦を告げる玉音放送から、どれだけの日が過ぎた頃か。復員兵たちの中に祖父はいた。

あの日、祖父が乗船した船ともう1隻、2隻の軍艦が航行していたそうだ。前を行く軍艦は、敵の攻撃を受け海中に沈んだ。祖父が乗っていたのは、後を航行する2隻目の船。祖父は、助かっていたのだ。

祖母や母たちに食べさせてやろうと、缶詰をはじめ、かき集めた食べ物を詰め込んだリュックを背に、降り立った駅。ほっと気持ちが緩んだのだろう。待合室で差し出されたお茶を一杯、飲み干したところで記憶が途切れた。

どれくらい眠っていたのだろう。薬が入ったお茶で眠らされたことに、やっと気づいた祖父だったが、すでに食料を詰め込んだリュックも、わずかながらに残っていた所持金も、すべてなくなっていたそうだ。

復員後、祖父は大工として見習いから働き始め、祖母は大切にしていた着物を一枚残らず米や味噌に換え、二人で子どもたちを守りながら必死に戦後を生き抜いた。

「お母ちゃんのきれいな着物が、農家の軒にぶら下がってるのを見るのはいややったなあ。」と叔母が涙ぐむ隣で、「ズック(運動靴)を一足だけ買うてもらえたんがうれしいて、姉ちゃんと交代で履いて学校へ行ったよなあ」と懐かしんでいた母。

生前のふたりは、そんな昔話をよく聞かせてくれた。

祖父は、自身の戦争体験を私たちに語ることは、一度もなかった。ただひたすら働き抜いた人生だった。頑固で不器用に生きた祖父を支え続けた祖母は、祖父を見送り安心したのか、少しずつ童女に戻り、最後は亡き両親の「娘」にかえって空の上の人になった。


  うちに帰ろう ごらん夕焼け
  綺麗と思える 小さな世界で
  泣いたり笑ったり
  食べたり眠ったり

  僕らは  いま
  生きてる


日本の片隅で、ささやかな、ただささやかな人生を生きた祖父と祖母。大戦の中の、ほんの小さな灯だったけれど、尊い命をつないだ戦いがあった。何万、何十万、何百万もの、そんな小さな灯が、今の日本を支えてきたのだ。

まもなく8月15日がやってくる。

今年は、小豆のおはぎをたっぷりと供えよう。大切な人とゆっくり味わえる、日本の平和としあわせに感謝をこめて。(終)


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参加させていただきました、ありがとうございました。


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