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日本ダービー 回顧

日本ダービーへの王道は古くから皐月賞組であり、戦後すぐの1947年まで遡っても優勝馬の多くは皐月賞経験馬でした。

53年にトライアルのNHK杯が創設、95年を最後に廃止になったものの翌年にプリンシパルSとなり、また94年にはダービー指定OPとして開催されていた青葉賞が重賞に格上げされ、99年を最後に京都4歳特別が廃止され翌年に京都新聞杯が秋から春に移行されましたが、やはり皐月賞からの直行組が日本ダービーで好成績を挙げていました。

皐月賞やトライアルをはじめとした4月〜5月上旬に開催されるレース(条件戦含む)をつかわずに日本ダービーを制した馬は、戦後から見ても85年シリウスシンボリ・96年フサイチコンコルド・21年シャフリヤールの3頭のみで、いかに皐月賞組が有力かがうかがえます。

そしてダービーのゴール前では、やられたかあ!と唸りました。

近年では、息子と共に参加している大レースでは参観日とも揶揄されていた典さんですが、いつも少し力が足りない馬では徹底的に内々を立ち回る騎乗に、またいつかG1を勝ちそうだとは思っていましたが、ダービー3勝目とは恐れ入りました。
ダービー制覇を目指す息子たちの前で、最高の父の背中を見せました。

やはりメイショウタバルの出走取消が大きく結果に関わったことと思いますが、
前日の夜に見た動画で安藤勝己さんが、ダノンデサイルはボロをしながら京成杯を勝利し、力が相当ある証拠だがムラもあると言っていました。そこにヒントがあったようです。
もう少し早めにその情報が知りたかったです。
実は力のある馬とベテランの決断が実を結んだ勝利でした。

ジャスティンミラノの戸崎騎手も少々の出遅れながら、スローペースを読み、ワグネリアンのような積極的なレースを見せましたが、内々を立ち回った典さんにまんまとやられました。
ミラノの上がりのタイムを見るとそこまでだらしなくはないですが、見た目は同じくスローだった共同通信杯のようなしっかりした脚ではなかった気がしました(距離の違いもありますが)。

結果を見ると、やはり皐月賞組は前走大レコードの疲れがあったとも言える着順で、奇しくもそれを取消していたダノンデサイルが勝利するというなんとも皮肉で、例年と傾向が大きく異なるレースだったような気がします。

ダービー初出走で制覇した翔梧調教師も中間は苦労したと言っていましたが、その苦労がこういう形で報われるとは本人たちも想像していなかったのではないでしょうか。

ジャスティンミラノについては、皐月賞では康太騎手のこともありドラマ以上とも言える感動的な結末でしたが、はたしてそれが2回も続くのか?という疑問がありました。

陣営もどちらかというとダービー向きと見ていたことから、皐月賞では色々うまく行きすぎて勝ってしまったという感じだったのだと思います。
こう考えると確かに皐月賞は何か見えない力が働いたのかもしれません。
結果的には昨年ソールオリエンスの二の舞になってしまいました。

手前味噌ですが、ミラノを連軸にして、レガレイラとシックスペンスを切ったまでは良かったですが、それだけでした。

しかしタスティエーラはダービー以降いまだ勝ち星なし、デサイルはどうなるでしょうか?

さて今週の安田記念ではナミュール豊騎手のコンビが続行とのこと、ジャックドールとの2戦目で大阪杯を制覇したことが思い出されます。

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