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【小説】光

*まえがき*
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません。

 この物語は、インディーズバンドのボーカルに恋する女の子の話です。
 書き始めたのは3年ほど前。結末が思い浮かばず長らく放置していたのでupが今になってしまいました。
 この物語が書き終わるまでにライブハウスを取り巻く環境はずいぶん変わってしまいました…。
 また前みたいにワイワイとライブを見られる日が来ることを祈っています。

1.

 初夏のある金曜日の夜。ここは、高架下にある小さなライブハウス。
 時間は夜9時を過ぎようとしていた。
 この日は6組ほどのバンドが30分の持ち時間でそれぞれの演奏を披露していたが、ついに一番最後のバンド、Tiger Caratの出番となっていた。
 Tiger Caratは全国的には有名ではないが、この地方都市の周辺でライブハウスに出入りする若者達から絶大な人気を得ている、活動期間10年目ほどのロックバンドである。
 男性4人組、同性から主に共感をされる歌詞と激しいメロディーが特徴だ。
 この頃には狭いライブハウスを埋め尽くすほどの人が集まっていた。しかし8割くらいは男性である。
 Tシャツにジャージやハーフパンツ、そして首にはタオルという、かなり動きやすい服装の人が目立つ。
 そんな中の端の方の片隅に、ユリカはいた。
 長い黒髪を後ろで束ね、Tiger Caratの赤いTシャツを着て白いハーフパンツ、ピンクのスニーカーを履いた彼女は22歳。
 18歳の頃からTiger Caratのファンで、ほぼ毎月ここへライブを見にきている。
 Tiger Caratのライブはダイブやモッシュといった、かなり激しいノリが目立つものである。ユリカはそこまで激しいノリにはついていけないので、いつもこうやって後ろ寄りで見ている。
 同じバンドを見に来た他の客と話したことはないが、周りにはいつもライブで見るような顔ぶれの人達がいた。
 やがて照明が暗転し、音楽が鳴り始めた。Tiger Carat登場である。
 ワー、とか、キャーみたいな歓声が上がり、会場内の温度が一気に上がった。
ドラムのアキラ、ギターのリョウ、ベースのシンゴ、そして最後にボーカルのマサノブが現れると、一際大きな歓声が響いた。
 マサノブは静かに辺りを見渡す。
 一瞬、ユリカと目が合った…気がした。
 ギターが鳴り始め、ドラムとベースがそれに乗って旋律を奏で始める。
 マサノブがマイクを通して声を吐き出す。
 黄色い照明に照らされた彼はこの中で誰よりも輝いて見えた。
 前髪に赤いメッシュが入った短い黒髪が僅かに揺れ、ギラギラした瞳に会場の様子が映る。
 Tiger Caratはライブ中、あまり喋ることはない。曲名や次回のライブ予定なんかを少し喋る程度である。
 面白いことが言える訳でもないし、曲を少しでも多くやりたい、ということらしい。が、そんな不器用なところもファンから愛されている。
「次の曲は…"光"。」
マサノブがそっと言った瞬間、ユリカを含めた会場の観客達からの歓声が上がった。
 ユリカが一番好きな曲である。この曲を聴くためにここへ来たと言っても過言ではない。
 ユリカは歌うマサノブの姿を食い入るように見つめていた。
 目の前ではモッシュやダイブを繰り返す激しいノリ方で見る男性客が大勢いたが、そんないつもの景色すら意識しないくらい、ユリカはマサノブの歌う姿を夢中で見つめていた。
 グシャグシャの満員電車の中にいるような、そんな中で歌う姿が彼に一番合っている。そんな風にユリカは思い、見とれていた。


…しかし。ここで、ユリカに想定外のことが起こった。
「バシッ」
突然、体の右側に衝撃が走ったかと思うと、ユリカは倒れていた。
 一瞬の出来事で状況が飲み込めていなかったが、すぐに誰かが肩を掴んで起こしてくれた。
 目の前にいたのはマサノブと同じ髪型をした、黄色いTiger CaratのTシャツをきた男性だった。
 彼はいつもライブを見に来ている。
 ユリカより少し年上らしき彼は、曲が始まれば一番にモッシュを開始し、誰よりも騒いでいる熱狂的なTiger Caratファンだ。
 周りの音が大きいので声までは聞こえないが、彼は申し訳なさそうに手振りで謝っていた。
 ユリカはモッシュをしている人達の後ろで見ていたが、ちょうどモッシュをしていたこの男性が弾みで後ろに行ってしまい、勢いよくユリカにぶつかり体格差で倒れたということのようだった。
 ライブハウスではよくある光景であり、ユリカは特に気にしていなかった。
「大丈夫ですよ。」
と手を左右に振ってジェスチャーで返すと、彼は丁寧にお辞儀をしてまたモッシュに戻っていった。
 ユリカがふと気が付くと、右手に持っていたオレンジジュースが空になっていた。
 飲みかけのジュースは、倒れた弾みで全てこぼれてしまっていた。
 幸い床にはこぼれていなかったが、ユリカのTシャツはジュースでベトベトになっていた。
 ちょっとショックだが仕方ない。帰ったら洗わなきゃなぁ…。
 そんなことを思ったが、すぐに気持ちを切り替えてユリカはライブを見ていた。


 30分間のライブが終了した。
 ユリカはトイレに向かい、持ってきていた普段着の花柄ワンピースに着替えた。
 ライブを見ている間はそんなに動かなくても暑くて汗をかいてしまうので、ユリカはいつも着替えを持ってきている。
 今日は着替えを持ってきていて良かった…と思った。
 トイレから出てきたユリカは、時刻を調べようと思い、下を向きながらスマホを取り出した。
「あの…。」
誰かに声をかけられ、顔を上げる。そこにいたのは先程の男性だった。
「さっきはすみませんでした。」
ライブ中はあんなに騒いでいたというのに普通の状態の彼は小さな声の大人しい印象の人だった。
 先程とのあまりのギャップに、ユリカは少し笑いそうになったがどうにか堪えた。
「大丈夫ですよ。よくあることだし気にしないでください。」
ユリカは言ったが、男性が、
「せめてお詫びにジュースでも…。」
と言うので、ありがたく奢ってもらうことにした。


「よくライブ来てますよね。」
ジュースを飲みながら、ユリカは話しかけた。
男性は笑って言った。
「確かに、Tiger Caratのライブはほとんど行っていますね。」
「昔からのファンなんですか?」
「8年くらいは行っていますね。」
男性は烏龍茶を飲みながら言った。
「8年!すごいですね!」
ユリカが言った。
「いや、そんなことないですよ。
たぶんデビュー当時から見てるような人もいるでしょうし。」
 そんな会話から盛り上がり、2人で好きな曲の話や行ったライブの話など、色々な話題で盛り上がった。
 あっという間に時間になり、2人で駅までの道を一緒に帰りながら話の続きをした。
「そういえば名前なんていうんですか?」
ユリカは聞いてみた。
「ヒデトシなんですけど、周りからは"ヒデ"って呼ばれてます。」
そう言って男性、もといヒデは笑った。  

2.

 ユリカは家に帰ると、早速Tiger Caratの曲を聴きながら日記を書いた。
 自分が見に行ったライブを記録するためのもので、人に見せる訳ではない。が、たまに読み返してはニヤニヤするために書いている。


 ユリカはマサノブのことが大好きである。
 18歳のあの日。有名なバンドを見るために行ったイベントで偶然見たのがTiger Caratだった。
 その時彼らはイベント会場の無料観覧スペースで歌っていた。
 足を止める人は少なかった。が、ユリカは偶然通りかかったそこでTiger Caratを見、一瞬でファンになった。
 CDを買い何回も何回も聞くうちに、その日見に行ったバンドよりTiger Caratのことが大好きになってしまった。
 歌が良い、というのもある。でもそれよりも、ユリカはボーカルであるマサノブのことが大好きになっていた。
 絶対に叶うことがない片思い。そんな感覚だ。
 マサノブを見られる、会える場所はライブしかない。だからユリカは足繁くライブに通っていた。
 女性でTiger Caratを見に来る人は少ない。また、ライブハウスは集まる人の数もそこまで多くなく全体を見渡せるので、ライブに何回も行くうちに覚えられて…という感じにお近づきになれないだろうか?そんな淡い期待を抱きつつ、ユリカはライブに通っていた。
 マサノブを見ることができれば、「同じ趣味を共有できる友達」なんてどうでも良かった。
 だから人に話しかけることもなくこれまで来た。が、今日Tiger Caratファンであるヒデと初めて話をしてみたら、思いの外楽しかったことに気が付いた。
 ライブ友達っていいもんだなぁ。ユリカはそう思った。


 1ヵ月後。ユリカはまた、ライブハウスにやってきていた。
 楽しみにしていたTiger Caratのライブの日である。場所はまた、前回と同じ場所だ。
 中に入ると、入り口付近で一人スマホを見ているヒデに出会った。
「あ!」
「あ!」
お互いに気がつくと、話をしながらライブが始まるのを待った。
 曲はどんな曲をするのだろう?とか、他のバンドはどんな曲をやるのだろう?とか、色々な話をしているうちに照明が暗転し、ライブが始まった。
 Tiger Caratの出番は今日は2番目である。いつもより比較的早いためか、少しだけ人は少ない。
 2人は少し後ろ寄り、ユリカがいつも見ている辺りに来た。
「ここから見るのもなんかいいなぁ。」
ヒデがつぶやいた。
「でしょ?ここから見るのも結構楽しいよ。」
ユリカが言った。
「でも始まったら俺は前に行きたくなっちゃうだろうなぁ。」
そんな会話をしていると急に照明が暗転し、音楽が鳴り始めた。
「うぉー!」
早速、ヒデは雄叫びを上げながら前へ移動して行った。
 ユリカはその様子を見てクスッと笑い、そしてまたステージに向き直った。


 Tiger Caratはいつものようにほとんど喋ることなく、演奏を開始した。
 演奏が始まると、ヒデは真っ先にダイブを開始した。上手い具合に人の頭上を通過して最前列の柵の向こうに降り、スムーズに端を通って後ろへ下がっていく。
 ヒデに触発されたのか、次々にダイブをする人間が現れる。
 そんなグシャグシャの状況を気にすることなく、いや、そんなことなど殆ど視界に入ることなく、4人は演奏を続ける。
 ユリカはそんな状況を眺めていた。
 今日も相変わらずマサノブはカッコよくて、輝いて見えていた。


 2曲目が終わり、珍しくマサノブが喋り始めた。
普段、何かお知らせなどを喋る時はギターのリョウが話し始めることが多いというのに。
「急な話だけど2週間後にソロで歌いに行くことになりました。」
場所は隣の県、それも車がないと不便な場所にある田舎のライブハウスだった。
「2週間後…確か予定はなかったはずだけど…。」
ユリカはそんなことを考えた。
 場所はどこにあるのか?車がない場合はどうやって行けばいいのか?後で調べないとなぁ。
 ユリカは色々と考えていた。マサノブのソロはたまにやっているようだが一度も見たことがなかった。
 ぜひ行ってみたい。マサノブを見られるならどこへだって行きたい。
 ユリカはまだ行くと決まった訳じゃないけど2週間後が楽しみになった。


 Tiger Caratの出番が終わり、ヒデがユリカのところへ歩いてきた。汗だくになっている。
「あっつー。今日も楽しかったなぁ。」
そんな話をしながら2人でドリンクカウンターへ行き、ユリカはオレンジジュースを、ヒデは水を飲んだ。
「腹減ったなぁ。」
ヒデがふとつぶやいた。
「あ、私美味しい店知ってるよ。帰りに寄る?」
ユリカがふと思い出して言った。
 たった二度会っただけの男性といきなり2人でご飯なんて…と世の中的には思われるかもしれない。が、ユリカはさほど意識せずにそんな言葉が出ていた。それくらいに2人は好きな音楽を通して打ち解けていたのだった。
「何の店?居酒屋?」
ヒデが言った。
「一応ラーメン屋だけど一品とかも種類があって、夜は居酒屋みたいになってる感じ。」
「そうなんだ。俺あんまり詳しくないからそこ行こうか。」
ヒデも特に意識していないような感じで返してきた。


 他のバンドを一通り見てから、二人はライブハウスを出た。
 その店はライブからの帰り道の道中にあった。ラーメン屋というよりオシャレな居酒屋のような内装のそこは、男性客も女性客も半々くらいの割合で入っていた。
 端の方のテーブル席に案内されて着席すると、とりあえずラーメンと唐揚げ、烏龍茶を注文する。
「ヒデくんは再来週のマサノブさんのソロは行くの?」
「行くよ。」
ヒデは即答した。
「なんか駅から遠いんでしょ?」
「…電車では行った事ないなぁ。でも多分駅から歩いて行けるような距離では無かったと思う。」
ヒデは少し考えて、スマホを取り出すとそのライブハウスの場所を調べ始めた。
 駅から徒歩で約1時間。歩いて行くのは現実的ではない。また、バスの最終便もかなり早く、ライブ終了後はタクシーを使うしかないという距離感である。
「ヒデくんはどうやって行くの?」
ユリカは聞いた。
「車持ってるからなぁ。車で行くつもり。」
「そうなんだ。…交通費半分出すから、一緒に乗せて行ってよ。」
「いいよ。」
ヒデは即答した。
 こうしてユリカは無事に足をゲットし、マサノブのソロを見に行けることになった。
 色々話をして連絡先を交換すると、2人は家に帰ることにした。

3.

 明日は待ちに待った、マサノブのソロ出演を見に行く日。夜、ユリカは寝る前に明日着る服や持ち物を準備していた。
 その時、着信音が鳴った。画面を見ると、ヒデからだった。
「なんだろう…?」
ユリカは少し不安になった。
「もしかして急用で行けなくなったとか?」
そんな事を思いながら電話に出る。
「もしもし。」
「急にごめん、今電話大丈夫?」
ヒデは少し申し訳なさそうに喋り始めた。
「うん、大丈夫だよ。」
ユリカが返事をすると、ヒデは喋り始めた。
「急なんだけど、マサノブさんも便乗して行くことになったんだ。大丈夫かな?」
さらっととんでもないことを言い始めた。
 ユリカは驚きのあまり、
「大丈夫だけど…。」
と言うのが精一杯だった。
 マサノブの都合で出発時間を早めなければいけなくなったことや、帰る時間も少し遅くなるかも…との事だったが、そんなこと、ユリカにとってはどうでもいいことだった。
 大好きなマサノブと一緒に行くことができる。それはユリカにとって、願ってもいない幸運だった。
「どんな話をしようかな。」
ユリカは眠れない夜を過ごした。


 次の日の朝。
 ユリカは指定された待ち合わせ場所の駅にいた。家から徒歩10分の場所である。
 しばらくして、黒い普通車がやってきた。運転席からヒデが手を振っている。
「おはよう!」
「おはよう。昨日は夜遅くにごめん。」
ヒデは言った。
 彼は既にTiger CaratのTシャツに黒いジャージというライブを見る時の服装で車に乗っていた。
「マサノブさんと知り合いなの?すごいびっくりしたんだけど。」
シートベルトをしながらユリカが聴いた。
「うん、昔同じバイト先にいたからな。」
ヒデは言うと、出発した。
 ヒデがマサノブと知り合ったのは約8年前。
 当時高校生だったヒデは、校則違反ではあったがこっそりとバイトをしていた。
 その時同じバイト先にいた先輩がマサノブだった。
 最初は“同じバイト先の人”という付き合いだった。しかしある日偶然話の流れでマサノブがバンドをやっていると聞き、その曲を聞かせてもらうことにした。
「それが“光”だったんだよなぁ。」
ヒデは懐かしみながら話した。“光”という曲はTiger Caratがデビューした頃から歌っている曲だという。
「“光“を聞いた時に、この曲めちゃくちゃ好きだ、と思って。
マサノブさんにライブ予定を聞いて、見に行くようになったんだ。」
 その後すぐにマサノブはそのバイト先を辞めてしまったが、ヒデは変わらず、ライブに通い続けた。
 高校を卒業し、就職してからもずっと。


 同じバイト先だったからということで、ヒデはマサノブとお互いに連絡先を交換していた。が、マサノブから連絡が来ることはほとんどなかったし、ヒデが連絡をすることもほとんどなかった。
 会場で見かけることがあれば挨拶はするが、そんなに長話をする機会もなかった。というのに、昨日、突然マサノブが連絡してきたという。
「ヒデ、久しぶり!急にごめんな。」
懐かしい声にヒデは驚いた。
「マサノブさん、どうしたんですか?」
「突然なんだけどさ…明日来るか?」
「行きますよもちろん!」
ヒデが返す。
 するとマサノブは申し訳なさそうに言った。
「ほんとーに悪いんだけどさ…明日会場まで一緒に乗せて行ってくれないかなぁ?」
聞けば、元々は友達に頼んで乗せて行ってもらう予定だったのが前日になってその人に急用ができて行けなくなったらしい。
 マサノブ自身は免許はあるが車を持っていない上にペーパードライバーで運転に不安がある。また、他のメンバーもそれぞれに予定があって行けない。
 電車とタクシーを乗り継いで行くことも考えたが、世間的にはそんなに人気もなく仕事をしながらバンドを続ける彼には金がない。急な出費は少しキツい。
 そんな時、ヒデを思い出して思い切って連絡してみたという。
「え!マサノブさんと一緒に行けるんですか?!」
ぜひ!と言いたかったがユリカに一応聞いてからにしようということで事情を説明して返事を一旦待ってもらい、ユリカに連絡したといういきさつらしい。
「マサノブさんが一緒にとか大歓迎だよ。嬉しい。」
ユリカは満面の笑みで言った。


 車は市街地を抜けて20分ほど走り、海の近くの町にたどり着いた。
 住宅街の一角にある公園の駐車場に車を停める。
「ここで待っててって言われたんだけどちょっと早く着いちゃったなぁ。」
そんなことを言いながらヒデは時計を見た。
「マサノブさんこの辺に住んでるんだぁ。」
電車で少し出れば市街地に行けるし、この辺りは閑静な住宅街、とても住みやすい街だとユリカは思った。
 この辺りのアパートに引っ越そうかな、なんて考えていると音がして後ろのドアが開いた。
「ごめんなヒデ、急に連絡して。」
そこにいたのは、ギターケースを背負ったマサノブだった。
 いつものようなオーラがなく少し優しい雰囲気の彼は、ギターケースをそっと入れながら後部座席に乗った。
「あ、すみません急に。はじめまして。」
マサノブは少し改まった感じでユリカに挨拶した。
 ユリカは緊張して、
「はじめまして。」
と答えるのが精一杯だった。
 そのまま車は海沿いを走り、高速道路に入った。
「こんなにじっくりと会うのは何年ぶりだろうなぁ。」
マサノブが口を開く。
「5年はちゃんと会って話してないですね。ライブにはいつも行ってるけど。」
「確かに。」
マサノブは笑いながら言った。
「最近色んなところに呼ばれるようになって嬉しいんだけど、不便なところはちょっと大変だよなぁ。俺も車運転した方がいいかと思うんだけど、苦手でなぁ。」
「そうなんですか?」
ヒデが苦笑いしながら返す。
「ああ、事故を起こしかけた事は何度もあるからな。危ないから運転は他のヤツに任せてる。」
そんな会話を、ユリカは聞いているだけで精一杯だった。
 大好きなマサノブが同じ車内にいる。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったユリカには、ヒデが恋のキューピットに思えてきた。
 1時間ほど走った後に高速を降り、しばらく走ると今日の会場であるライブハウスが見えてきた。田舎町の商店街にそれはあった。
「ありがと。」
マサノブはそう言うと、車を降りた。
「今からリハとか色々やってまた時間ができるから、その時連絡する。
後で一緒に飲もうぜ。」
「俺はソフトドリンクですけどね…。」
そんな会話を交わしつつ、マサノブはライブハウスに入って行った。
「ライブまで結構時間あるよなぁ。どうしようか。」
そんなことを言いながらヒデはナビを操作した。
「ユリちゃん、どっか行きたいところある?」
そう聞かれてユリカはハッ、となった。
 マサノブと同じ空間にいた余韻に浸っていたユリカは、ぼーっとしていたのだ。
「うーん。なんかここにある城跡の周辺とかいいんじゃないかな?
なんか店もいっぱいあるみたいだし。」
ナビの画面上の地図を指差しながらそんな話をして、2人はこの街の観光地である城の周辺に向かうことにした。


 ライブハウスの辺りから車で約10分。2人は観光地化された昔の城下町だったところへやってきた。
 歴史的な雰囲気が残る街並みを歩いていると土産物屋や食事をできそうな店などが立ち並んでいる。
 2人は辺りを見回しながら道を歩いた。
 しばらく行くと復元された城と周囲を囲む公園が姿を現した。
「せっかくだし入ってみるか。」
という話をして、中に入る。
 展示物や城の歴史が書かれた案内板などを見て回り、近くの店で昼飯を食べた後はまた通りをうろうろして色んな店に立ち寄った。
 旅行気分を味わえて楽しい。
 そんなことをユリカが考えていると、隣を歩くヒデのスマホが鳴った。
 マサノブの予定が空いた、ということでライブまで一緒に過ごすことになった。  


 ライブハウスの前に戻り、ヒデはその近くの駐車場に車を停めた。
 時間は夕方。夕飯には少し早い気もするが小腹が空いてきたような感じもする。
「この近くにいい店があるんだよ。」
そう言ってマサノブは、ライブハウスの2軒隣にある居酒屋へ向かった。
 そこは半個室のような、落ち着いた雰囲気の場所だった。
 それぞれに飲み物と軽いつまみを何品か注文した。
「なんか2人でいるところ邪魔して悪いなぁ。」
マサノブが言うとビールを飲んだ。
「いやいや、大丈夫ですよ。
マサノブさん、一人で出かけるの苦手ですもんね。」
ヒデが言った。
マサノブは、一人で何かを食べに行ったり出かけることが苦手である。
要は寂しがり屋ということだが、そんな可愛らしい一面にユリカはきゅんとした。
「彼女は、ヒデの付き添いで来たのか?」
マサノブがふと聞いた。
「彼女?」
ヒデが聞き返す。
「え?彼女じゃないの?」
どうやらマサノブは、ユリカのことを"ヒデの彼女"だと思ったらしい。
「げほっ、げほっ。」
驚いたヒデが咳き込んだ。
「か…彼女じゃないです。」
ユリカが思わず口を開いた。
「友達です。Tiger Caratがきっかけで知り合ったライブ友達。」
落ち着いたヒデも続けて言った。
「はぁ?」
マサノブが目を見開いて驚いた様子で言った。
「友達?!
男同士ならともかく、ただの友達とこんな長距離、一緒に車で行くか?
 お前ら、俺が一緒じゃなかったら2人きりだったんだろ?付き合えばいいじゃん。」
思いがけない一言にヒデは照れ笑いを必死に噛み殺していた。
 しかしユリカは、なんともいえない複雑な気分になった。
 まさかここで、
「大好きなのはマサノブさんです!」
と公開告白なんてできるはずもなく、かと言って、
「そうですね。」
と同意もできない。
 ユリカは笑ってごまかすしかなかった。


 そろそろライブが始まる頃になり、3人はライブハウスへ戻った。
 今回はこの地域で活動するバンドのイベントのゲストとして、マサノブが呼ばれたという事らしい。
 楽屋に戻ったマサノブとは別れ、ユリカはヒデと共に後ろの方で他のバンドのライブを見ていた。
 パッと見たところ、マサノブを見に来たらしき人は結構たくさんいた。中にはいつもライブで見かける人もいた。
「みんな、遠くまでライブを見に行ってるんだなぁ。」
ユリカはそんな事を思った。


 イベントも終盤に差し掛かり、マサノブの出番になった。
 彼は黒いエレキギター片手に登場した。心なしか、いつもより少しゆるい雰囲気が漂っている。
「いつもはTiger Caratというバンドでボーカルしてますが今日は一人です。よろしくお願いしまーす。」
そんな挨拶をして、早速歌い始めた。
 全部Tiger Caratの曲ではあったが、少しテンポがゆっくり目のアコースティックな雰囲気だった。
「じっくり聴くTiger Caratの曲もいいなぁ。」
ユリカはそんなことを思った。
 いつもはライブで騒ぎ回っているヒデも、今日は大人しく、でもしっかりと聞き入っている。
 やはり彼は、本当にこのバンドの曲が心から好きなのだ。
 そうしてあっという間に一番最後の曲になった。
「最後の曲は、CDにはなってないんだけど高校生くらいの時に作った歌をやってみようかと思います。
 多分ライブで歌うのは初めてかな。"高嶺の花"。」
ジャーン、とギターの音が響き、マサノブは歌い始めた。


 いつも近くにいる大好きな人。でもその大好きな人は、自分がこんなに想っていることを知らない。
 彼女は、その想いに気付くことなく、ただの友人の一人として、いつも笑いかけてくれている。


 そんな内容の歌詞だった。
 状況は違うが、マサノブを想っても想ってもそんな思いが伝わることはない、という自分の状況にそっくりな気がした。
 そんな自分のことを重ね合わせて聴いていると、胸が締め付けられる気がしてユリカは悲しくなってきた。
 気がつくと、涙が滲んでいた。
 静かな空気が流れていく…。


「なんかしんみりした空気になったな。」
歌い終わったマサノブが少し笑う。
 自然と客の間から笑いが起きた。
「ちょっと時間もあるし、もう一曲短いのやろうか。」
そう言って歌い始めたのは、ライブで一番盛り上がる曲だった。
 自然に客の間から合唱が起きる。
 その一体感がなんとも言えなくて、ユリカは少し感動した。


 イベントの全行程が終了した。
 2人はライブハウス内の片付けの邪魔にならないよう、車でマサノブを待つことにした。
 昼間は暑かったが夜風は涼しい。なんとなく秋の雰囲気がしていた。
「いいライブだったなぁ。」
ヒデはそうつぶやきながらタバコを吸っていた。
 ユリカも隣に腰掛け、
「良かったね〜。」
と相槌を打った。
「バンドもいいけど、ソロもいいよな。
じっくり聴いてみても本当いい曲だよ、Tigerの曲は。」
ヒデはそう言いながら口ずさみ始めた。ユリカもつられて一緒に歌う。
 そんな感じで待っていると、ライブハウスの方からマサノブが歩いてくるのが見えた。
 ヒデが手を振ると、マサノブも手を振り返してきた。

「今日のライブめちゃくちゃ良かったですよ。」
車を運転しながらヒデが興奮気味に言った。
「めちゃくちゃ緊張したよ。やっぱりバンドで歌う方がなんか安心して歌えるよなぁ。」
マサノブはそんな風に言って、そして笑った。
「一番最後の曲、本当良かったです。」
少し慣れてきたユリカは、マサノブに話しかけてみた。
「そうか。またバンドでもやってみようかな。」
マサノブがそんな風に言ってくれたことがユリカは嬉しかった。
「楽しみにしてます。」
相変わらず緊張はしているが、どうにかそんな言葉を返す事ができた。
 2人はマサノブから色んな話を聞いた。
 元々楽器なんて全くできなかったが友達に誘われて学園祭でバンドを組み、ボーカルをやったこと。
 それがすごく楽しくてギターを始めてみたこと。それから作詞作曲をするようになったこと。
 高校を卒業する頃にはバンドをやりたいと思いつつもなかなか一緒にバンドをしてくれる人が見つからなくて、
「音楽辞めて生きようかな。」
と思ったこと。
 でもやっぱり好きなことを諦め切れなくて、ギター片手に路上ライブをやってみたりしたこと。
 そこで現在Tiger Caratのギター担当になったリョウと出会い意気投合したこと。そこからリョウのつてでアキラとシンゴに出会ったこと。
 そんな思い出話を聞き、普段ライブではほとんど喋らず、知ることのなかったTiger Caratの歴史を、ユリカは垣間見た気がした。
「あの時ヒデが"光"を気に入ってくれて本当に嬉しかったんだよなぁ。
ヒデがあの曲を褒めてくれたから、頑張ろうって思えた。」
少し酒が入っているからか、マサノブは喋り続けている。
「だって、本当にいい曲でしたからね。」
ヒデはそんなことを言いながらハンドルを切った。
「思えばヒデは8年くらい来てくれてるよなぁ。ありがとうなぁ。」
マサノブは缶ビール片手にそんなことを言っていた。が気が付けば疲れたのか眠ってしまっていた。
「色々忙しいし疲れるよなぁ。着くまでそっとしとくか。」
ヒデの言葉にユリカはうなずいた。


 1時間後。ヒデは深夜の住宅街に車を停めた。
 ちょうどそのタイミングでマサノブが目を覚ました。
「マサノブさん、帰ってきましたよ。」
ヒデが声をかけると、マサノブは目を擦りながらあくびをした。
「もう着いたのか。」
そう言いながらギターケースを掴んだ。
「遅くまでありがとうな。気をつけて。」
そう言ってニッと笑うと、マサノブは車を降りて住宅街の中へ歩いて行った。
ヒデは転回して、帰り道を急いだ。
「家のそばまで送るよ。夜道を女の子一人で歩かせられないし。
ナビよろしく。」
ヒデのそんな優しさが嬉しい。
 ユリカはそこから道を説明していき、家のそばまで送ってもらった。
「ヒデくん、運転ありがとう。」
交通費の半分を渡しながらユリカは礼を言った。
「遅いから気をつけてね。」
「またライブで!」
そんな挨拶を交わし、二人は別れた。

4.

 ユリカは家に帰っては来たものの、あまりに濃い1日だった今日を振り返ってなかなか寝付くことができなかった。
 まぁ明日も休みだし、今日はゆっくり起きておく事にしよう。ユリカはそう思ってTiger Caratのライブ映像を見たり、歌を聴いたりして余韻に浸っていた。
 SNSで今日のライブに行った人の感想なんかを調べたりして、今日1日の事を思い返す。
 ユリカにとって至福の時間だ。
 しかし、偶然見かけたある投稿を読んだ時、ユリカの手が止まった。


「マサノブってああ見えて結婚してるらしい。」


"ああ見えて"というのはマサノブの作る歌詞にある。
 だいたい片思いしている歌か、はたまた恋愛と全く関係ない歌か。そんな曲ばかり作り、自由奔放に駆け回り、歌う。
 そんな彼は全く世間に縛られないイメージから独身だと思われがちである。
 しかし、その投稿によると彼はバンドを始める前から支えてくれている彼女がおり、その後結婚、昨年娘が生まれたとのことだった。
 ユリカは、マサノブは独身なのだと信じて疑わなかった。それくらいに女性の影がなかった。
 いや、それだけプライベートについて一切触れなかったというのが正しいが。
 だから、お近づきになれれば付き合える可能性も…と思っていたのだが、結婚しているとなればそれは難しい。
「そんな…。」
ユリカは動揺した。
 でもだからといってすぐ諦めるなんて難しい。「好き」という気持ちは、自然に湧いてくるものだから。
…しかし、少し冷静になって考えてみると、所詮はネットの情報、正しいかどうかもわからないという考えに至った。
「ヒデくんに聞いたら正しい情報がわかるかも。」
そう思ったユリカは、明日ヒデに連絡を取って聞いてみることにした。


 次の日。ユリカはヒデにメールを送ってみた。
「マサノブさんって結婚してるって聞いたんだけど本当?」
絵文字を使いつつつとめて明るい雰囲気で、ユリカは文章を打った。
 10分後。ヒデから返信がきた。
「うん、結婚してるはずだよ。
奥さんも結婚前に何回かライブ見にきてたし。」
覚悟は決めていた。
でも、いざその現実を突きつけられると胸が苦しい。
「そうなんだー。意外だね。」
あくまで聞いてみただけを装ってユリカは返事を返した。ただ、見ているスマホの画面は涙で滲んで見えなくなっていた。


 それから半年が経った。ユリカはあんなに聴いていたTiger Caratの曲を聴かなくなっていた。
 勝手に片思いをしていたマサノブに対して勝手に失恋して、ショックを受けたユリカはTiger Caratを聴きたい気持ちが起きなくなってしまった。数日前にライブもあったようだが、行かなかった。
 曲を聴きたい気持ちも、ライブを見たい気持ちも、嘘みたいになかった。
 ただ、毎日職場と家を往復するだけの毎日。
「この世からライブというものがなくなったら私は生きていけない。
マサノブさんが私の全てだ。」
よくそんなことを思っていた。が、ライブに行かなくなっても毎日は何事もなく過ぎていくし、当たり前のように生活は成り立っていた。
…ただ、時間というものは全てを流してしまうようで、半年経った今では、あの時あんなに燃え上がっていたマサノブへの想いはかなり落ち着いてしまって、
「まぁ無理なものは仕方ないしこの事は流して、前を向こう。」
と少し冷静になっている自分もいた。


 そんなユリカはある日、偶然立ち寄った近所のパン屋でフェスのポスターを見つけた。
 近所で開催されるそのフェスは色んなバンドが出演するようである。
「なんか楽しそうだし行ってみようかな。」
そう思ったユリカは、出演バンドにTiger Caratもいることに気がついた。
 今までならTiger Caratのライブスケジュールはだいたい把握していたはずなのに…と、ユリカは自分の心境の変化に気付いて驚いた。少しばかり気持ちが落ち着いてきた彼女は、Tiger Caratに対してそこまで負の感情は抱かなかった。
「…久しぶりに行ってみようかな。」
ユリカはフェスのチケットを購入した。  


 フェス当日。この日は快晴の青空だった。
 もうすっかり秋の空気が漂っていたがこの日はいつもより気温が高く、過ごしやすい日だった。
 この日のユリカはロングスカートにTiger CaratのTシャツという格好だった。
 遠くの方で誰かバンドが演奏している音楽が聴こえ、人がたくさん歩いている。
 一人でフェス参加は他人から見たら孤独かもしれない。が、ユリカは自由に好きなバンドを見られるから一人で行動するのが好きだ。
 一度友人に付き添ってもらったことがあるが、どうしても気を遣ってしまって、楽しみ切れなかったことがある。
 それからユリカはいつも、フェスに行く時は一人だ。


 屋台で焼き鳥を買い一人で頬張っていると、誰かが歩いてきた。ヒデだった。
「ユリちゃん、久しぶり!」
いつもよりややテンションが高い雰囲気でヒデは声をかけてきた。
「あ!ヒデくん。久しぶり。」
約半年ぶりの再会だというのに不思議と緊張はなく、ユリカは返事をした。
「最近全然ライブ来てなかったじゃん。元気だった?」
ヒデに聞かれてユリカは、
「まぁ、ちょっと色々忙しくて。」
と答えておいた。あながち間違いでもないし。
「ヒデくんは?ずっとライブ行ってたの?」
ユリカは聞いてみた。
「ん?まぁ行くには行ってたんだけど、前より頻度は減ったなぁ。」
聞けばヒデは前回ライブへ行ったあの後くらいに転職したらしい。
 新しい職場に慣れるまでしばらくは心身共に大変でライブどころではなかったが、最近ようやくライブに行けるくらいまで心に余裕が出てきた、とヒデは話した。
「色々大変だけど新しい職場は本当いい人ばっかりで仕事も楽しいよ。」
ヒデは楽しそうに言った。
「そうなんだ。仕事楽しいのっていいよね。」
ユリカも笑って返す。
 ユリカも今の仕事が好きだ。
 元々は「近いから」という理由で面接を受けに行き、縁あって採用された職場だった。
 でも実際やってみると性に合っている気がするし、人間関係にも恵まれている。
 楽しく仕事ができるって幸せなことだと思う。
「お互い色々あったみたいだけど、またライブ行けるようになって良かったよな。」
ヒデはそう言って、さっき買ってきたペットボトルの水を飲んだ。
「あ、そうそう。最近ライブ帰りに美味しい店見つけたんだ。
ここからも近いし、帰りに食べて帰る?」
ヒデが嬉しそうに言った。
「そうなんだ!行くー!」
ユリカもはしゃぎながら返事をした。
 会ってそんなに経っていないというのに、不思議とヒデとは昔からの友達のような感覚で話ができるなぁと改めてユリカは思った。
「あ!」
ヒデが振り返り、声を上げた。
「もうすぐ始まりそうじゃん。」
見ると、少し離れた場所にあるステージに、Tiger Caratの4人の姿があった。
「早く行かなきゃ。」
ヒデはライブ観覧スペースの前の方へ、ユリカはやや後ろ寄りの方向へ、それぞれの見たい場所へ向かう。
「じゃ、また後で!」
「うん、後でね!」
そんな会話を交わし、一旦分かれることにした。
「ライブ楽しみだなぁ。」
ユリカは思った。
 以前とは少し違った感覚ではあるが、胸が高鳴っていた。

ー終ー