2月23日「天皇誕生日」

 地味に気になっていることがある。うちのトイレットペーパーホルダーは二つ横並びになっているタイプなのだけど、縦に積める予備ホルダーも置いているので、基本はひとつしか使っていない。が、きのう友人のどちらかがセットしたようで、気づくと使いかけが二つ並んでいた。理由がわからなさすぎる。と、こいびとに伝えると、友人たちが帰ったあと5回くらい首を傾げていたそうで、それはもう地味ではなく派手に気になっているよと言われた。

 以前にも似たようなことがあった。そのときは、予備ホルダーは置かずに、二つセットした状態ではあったのだけど、ひとつは糊をはがしておらず、減りぐあいからもどちらが使用中かは明らかだったはずなのだが、気づけば両方使われていた。いや、いいのだ。べつに使っても。文句を言ってるわけでは、断じてない。ただ、解せぬ。なぜ使い終わっていないのに新しいほうも使うのだ。以前、母も同じことで首を傾げていて、たぶんうちの家族はそういう方針だというだけなのだと思うけど、結婚したり同棲したりすると日常の思いもよらぬ些事で衝突が起きるというのは、こういうところなんだろうなと思う。たとえばバスタオルは何回で洗うかとか(わたしは基本1回だ)、食べものは床に置かないとか(部屋だし袋に入っているしべつにいいじゃんと思うけど再三母から注意されてきたのでなんとなく罪悪感がありこいびとにも口うるさく言うといやがられる)、コップの下には必ずコースターを敷くとか(これも再三母から以下略)。あとはわたしは、ランチョンマットはもちろん箸置きがないことにとても抵抗があるのだけれど、インスタなどを見ていると意外と使わないひとが多いので人それぞれだなあと思う。

 だからといってわたしが神経質かというとまったくそうではなくて、ただ自分のなかだけで「当然」と思っているだけである。理屈はあるけどほぼ感情論に近い、宗教のようなしきたりを、ひとはたくさん抱えている。

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