2月15日「蕪」

 仕事をはじめたばかりの女の子の相談に乗りながら、自分のことを棚上げしてアドバイスをしている自分が滑稽になる。けっきょくは自分のやりたいように納得するように決断していくしかないので、彼女の話を聞いて、ときどきわたしの場合はどうだったかを話して、あとは委ねる、その過程を共有することで彼女がラクになるのならまあいいか、とも思う。しきりに申し訳なさがっている彼女にわたしが堂々と言えることは、わたし自身がかつて先輩から受けとった言葉だけだ。わたしもそうやって助けられて奢られてきたのだから、あなたもいつか自分がそれをできる立場になったときに下の子に同じことをしてあげればいい、ということ。いまもわたしは友だちや先輩たちに助けられ続けていて、受けとってばかりの状況が申し訳なくてならないのだけど、同じものを同じようにくれた相手に返すことはどうしたってできないのだ。万が一彼女たちが助けを求めるような場面に出くわしたらわたしにできる限りをすること、彼女たち以外のだれかに還元していくこと。心に置いておけるのはそれくらいで、わたしはとことん、無力である。でももしかしたら、そう思って生きているのはわたしだけじゃなくて、どんなに立派に事を成しているひとでも、等身大の無力感に苛まれることはあるんだろうし、自分ばかりがしんどいという傲慢さに支配されずちゃんと気づける人になりたいなあと思う。

 半年ぶりにモダンガストロノミーを食べにいって、土のなかに埋まった野菜たちを模した小さな人参や蕪をたべた。最初に来たときは変な店だと思ったし、こんな高い値段を出して食べるものだろうかとやや醒めた目で見ていたけれど、それがわたしに適しているかどうかはさておき、シェフが信念をもって続けていることについてくるお客さんがいるというのは、それだけですごいことだよなあ、と思う。春、秋、冬、と堪能したので次の予約は夏。そのあとどうするかは、食べてから決めればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?