2月25日「草青む」

 呪いとはかくもおそろしいものだなあ、と思う。あいかわらず恋愛方面で迷走している後輩だが、おそらく彼女は、自分が性的に扱われることをそもそもあまり好んでいないタイプだと思うのだ。けれどこの世の中は、恋愛至上主義に満ちている。どんなに仕事がいちばんだと言ってもどこかで「そうは言っても恋したらそれが最優先、いちばん大事なことになるだろう」という前提で話されることも多いし、どんなにさみしくないと言ってもちょっと憐れまれたりする(ちなみに「最近どう?」というのがいやで聞いてくる人を避けていた時期もあった)。その人に性的魅力があるかどうかは、本来とてもセンシティブな話題のはずなのに、あたりまえのように美醜も含めてジャッジされる。さらされる。

 恋の話はたのしい。出会いを強烈に求めていて、結婚したくてたまらなくて、あるいは恋に浮かれあがった時期なら、それもいい。でも、友だちと趣味があればさみしさの隙間が埋まることは多分にあるし、そもそもこいびとがいたってさみしくなることはたくさんある。根源的なそれは誰かに埋めてもらえるものではない。

 性的な対象として自分は劣っているという悔しさが、そう思わせてくる世間への恨みや怒りがうまく消化できないと、スタンプカードを押すようにてっとりばやく経験してしまいたくもなる。だけどそれは、自分のことも相手のことも人間扱いしない行為だ。そこには感情がある、ということを忘れてしまう。自分が傷つけられたように、相手も傷つけようとする復讐めいた色恋(のように見えるなにか)では、けっきょく何も満ちなくて、虚しさと罪悪感がつのりより深く自分を傷つけることになるんじゃないか。

 少なくとも私は、そうだった。

 解き放たれてほしい、と思う。経験しなきゃわからないことももちろんあるけど、その多くは結果論で、無用な傷はその後の人生に影を落とすだけだから。彼女がわたしの幸せを願ってくれるように、わたしも彼女の幸せを願ってやまない。

 

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