2月14日「梅の花」

 ここぞというときにしか食べないようにしている鮨屋のランチをいただき、食べ終えたあとなぜか涙が出そうになった。まだ大丈夫だ、とおもった。満腹感の幸せが悲しみに打ち勝つうちは、まだまだ全然、生きていける。

 と、書いているときに昨日の日記を読んだ兄さんから「一枚の絵にはいろんな色が入ってる」とLINEがきた。べつの友だちからも、ここ数日のを読んだけど大丈夫か、と聞かれた。こいびとは私のめんどくささに辟易しながらも調子はどうだと気遣ってくれた。家族と揉めるとなぜかわたしは自分の積み上げてきたすべてを自ら崩そうとしてしまうけれど、あまり自己卑下をくりかえしすぎるのは彼らに失礼だよな、とおもう。むかし、あまりに自己愛が溢れて自己肯定感が低いという最悪のこじれ期を過ごしていたころ「わたしは、わたしの価値は信じられないけど、友だちはみんな素敵だと自信をもっていえる、彼女たちが好きだと言ってくれるわたしがそんなにひどいはずがない」とむりやり脱出したことがある。いつか読んだ小説に、過度に自分を貶めることは過度に評価するのと同じくらい傲慢だ、という言葉があったけれど、ネガティブに浸るのは思考停止の逃げでしかないことも自覚している。自責の渦に呑まれかけようと、怒りの火種が消えなかろうと、自分を幸せにするためにふんばって一歩踏み出すのは自分だ。そのための味方になってくれるひとに後ろ足で砂をかけないために、わたしは自分のことをちゃんと大事にしなくちゃいけない。そうでないと自信の在り処を他人に求めて、よりかかって相手を押しつぶそうとしかねないから。

 ランチのあとは仕事するためカフェに入った。机上の花瓶には、蕾が開いたばかり、程度の桜の枝。運ばれてきたコーヒーのカップにも鮮やかな花が咲いていた。飲みながら仕事の文章を打ち、集中するうち少しずつ思考が澄んでいく。窓の向こうを見ると枯れ木にかこまれて撫子色の梅が咲いていた。

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