2月20日「雨水」

 雨水とは降り注ぐ雨ではなく、雪解けて田畑を潤す水だ。ようやくわたしの心にも、潤いが戻ってくる。

 つくづくわたしは単純だし飽きっぽいな、と思ったのは、ぐっすり寝て起きてみたらすこし元気になっていたからだ。今週は、やらねばならないことはあるけど追い立てられるほどでもないのがよかった。そのぶん稼ぎは少なめだけど、今月はむりやり詰め込まないほうがよい気がする、とあえて営業をかけなかったのが幸いした。余裕があるぶん長々めそめそしてしまったけれど、メンヘラ気質はあるもののそれを上回るめんどくさがりなので、とことん落ちこみ続けたことで、そんな自分にも飽きてきた。朝、シャワーを浴びながらたまらなくなってわー!と泣いたのもよかったのかもしれない。もういいや、ごちゃごちゃ言ってる間に働こ!と夜中には開き直ることができて、ほっとする。

 そう、仕事をするしかないんである。そのためにいろんなことを選んで、捨ててきた。仕事があれば他にはなにもいらない、なんて思っていないし、我儘だから手に入るものはぜんぶほしい。でも、手の届かないものが無数にあるのもわかっている。少し前、知人にわたしはマイノリティなのだと言われたことの意味を考える。自分が“ふつう”から外れているらしいことはわかっていたし、家族との隔たりも感じていたけれど、もう少し自覚的に認めなきゃいけないんだな、と思った。過剰に卑屈にならないためにも、自分の考え方はどうやら家族にさえ理解されづらいものであること、思ったままに素直に話したところで思うようにまっすぐには受けとってもらえないことが多い、ことをわからなきゃいけなかった。

 そうは言っても、家族にどう思われてもいい、といきなり思いきれるほどわたしは強くないし、これからもきっと、死ぬまで傷つき続けるんだろうとは思う。どうせまたすぐにめそめそもするだろう。それでも、自分の選んだ道と、ものを書き続けていくことの意味を、あらためてみつめられたことは、わたしにとって幸いだ。自分を生かすのは、けっきょく自分しかいないのだから。

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