メモ。6月7日。自分用。

1年、自分なりに必死に頑張ったと思ってた卒業式の日に、始業式の日に書いた手紙で、お前の努力なんて全然なんだよって言われたら、
その後暴走してもおかしくないなって、今なら自分でも思う。当時の自分を優しく抱きしめてあげたい。

休みの時間が必要だったと思う。クラス全体についてのこと、(妄想する)未来の地点からの今すべきこと、サッカーと学業で達成したい目標があること、この3つについて、2014年度は本当によく走り切ったと思う。
大人を心から信用してない(嫌ってはないよ)中で、よく頑張ったのだから。

そして、2015年度(ネット将棋をするようになった年度でもある)。
大人を信用しない、が大人は敵だ、に変わった。というより、死を全う(この表現なのだろうな)するまでに、自分以外の全てが実質的に敵のような、本質はそんな認識だったのかも。

誰のことも信じず、自分の遂げたい死から全てを逆算し、一日一日を目標とタスクを念頭に、(今だから言えるけれど)機械的にこなしていく。
本当に思う。自分が学業や政治の天才でなくて良かったと。まかり間違って道理が通らなくて良かったと。
当時の、自分の死を持って平和を成す、その野望はきっと多くの人を傷つけてしまうだけだった。仮に本当に達せられたとしても、それは束の間の仮初の平和でしかなかっただろう。

(書くのに疲れた。続きはまたいつか。今なら言える。抱きしめて欲しい笑。いや、どっちかというと優しくキスされたいのかな。口以外のところに。いやいや、柄じゃないことを口にすると照れる(苦笑)。)

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