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親友よ。ありがとう。またきっといつか、会いましょうね。

ノーマンがエマのことが好きなのは、たぶんエマがどんな人や鬼についても、なんのくくりもなくありのままを見ようとするからだよ。
そして、GFのみんなは、みんながみんなのことを好きだし、信頼し合っている。
ノーマンは、GFのみんなと影響を受け合って、与え合って、そうやって過ごしてきた。
その過程があってこそ、約束のネバーランドのエピローグが、きっとあったのだと思う。
実は、約4年と10ヶ月前からノーマン気取りな自分がいて、その割には持って生まれた性格が、まっすぐ過ぎる部分、器用じゃない部分が大きすぎるのだけれど、
あの夏が過ぎて、秋となり冬を迎えてから、少しずつ自分のプロデュースを少しずつ出来たのかなって、今ならちょっと思える。
最近になって、自分のことをたぶん少し、「やるじゃん」って思えるようになって、思えるようになった、というのは、根拠のない自信とか負けず嫌いは割と先天的なものだけど、そこに蓄積という自信が少しついたのだと思う。
先日に、自分が自分のファン1号になれた。みたいなポストをしたけれど、それはちょっと違うって今日なら、少しだけ分かる。
ずっとずっと、そっと見守ってくださってた方がいて、そこにはたぶん色んなスタンスがあって、いろんな意見や見解だったりがあって、その全体は、わたしには知りようがないでしょう。
そっと応援してくださってた方、そっと見守ってくださってた方、わたしの知らない、知りようのない、ある意味でグラスルーツのような、でもおそらくたぶん、その正反対のような、わたしには知りようのないけれど、わたしの知らない流れがあって、立場があって、色んな意見と見解があって、その中でなんとか、実のところはなんとか、過ごせてるような、おそらくはそんな、いまのわたしで、この気持ちをどう言葉にしたらいいか分からない。
正直、気持ちとしては、よく分からない。
一つ言えそうなのは、わたしは点ではなく線で、言葉や行いを一歩一歩、していく必要、必要というとある意味大げさだけれど、きっと必要性があって、それは一生をかけて一つの証となれたらいいなと思ってる。
ありがとう。ありがとうね。本当にありがとう。

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