女の子が死ぬ話
「女の子が死ぬ話」とはトンデモないタイトルながら、特定の作品を指す固有名詞にもなりにくく、失礼ながらもドがつくマイナーな作品だと思う。
これまで取り上げてきた作品にはマイナーな作品も全然あるのだけれど、この作品に限ってはタイトルを挙げるのもやりにくさかあるタイトルだ。
僕がこの作品の編集者だったら絶対タイトルを変えさせたと思うが、しかし、この作品のタイトルには確かに相応しいとも思える。
男1女2のいつメン3人組のうちの1人の女の子が死ぬという話である。
基本的には死なない方の女の子が主人公という立ち位置ではあるものの、終盤に目線が変わる。
おや、死なない方の女の子から終盤に目線が変わるって?という違和感を覚えた人は、多分小説とかの読み物をたくさん読んでいるのではなかろうか。
マンガではあまり見かけないこの文学的な構成がとても素敵で、その構成が女の子の死をより美しく描いているというのがこの作品の魅力だと僕は考えている。
平成を生きた僕らにとって、若い女の子が病気で死ぬラブストーリーといえば「世界の中心で、愛をさけぶ」(以下、「セカチュー」)という伝説的傑作が真っ先に挙がる。
こちらも儚くも美しい作品で、「女の子が死ぬ話」も似た空気を孕んでいる。
死なない方の女の子・千穂は高校デビューでイケメンとゴッツンコ、すわ青春ラブコメ!?……という現場にはもう一人の女の子。
イケメンこと和哉はその病弱な女の子・遥の幼馴染兼保護者といった立ち位置で、3人は段々仲良くなっていく。
しかし、突然退学して音信不通になる遥、その理由も遥の死期すらも知らない千穂と知っている和哉。
遥の死を堺に、残された2人の物語が幕を開ける。
死ぬまでの話でも死んでからの話でもなく、死ぬまでと死んでからの話という共通点が「女の子の死ぬ話」と「セカチュー」にはある。
上記の簡単なあらすじまでは基本的に死なない方の女の子の目線で語られる。
明確に章が分けられているワケではないが、友人の死に直面するまでの日常を描く「死ぬまでの話」と、残された2人の言うなれば心の整理を描く「死んでからの話」、そして作品の終盤にそこまでの時系列を戻しての回想という形で死にゆく遥の目線から描かれた「死ぬ話」がエピローグとして添えられている。
時系列から言って後日譚ではないが、このエピローグに相当する後日譚とか前日譚みたいな言い方を僕は知らない。
ただ、このエピローグがあったから物語は綺麗に幕を下ろしている。
物語も構成も大変美しいこの作品は、少し厚めの単行本たった1冊。
そんな読みやすさも兼ね備えているからこそ、タイトルで損している気がしてならない。
もっと読まれて欲しいし、メディアミックスもして欲しかった。
ドがつくマイナー作品の中では間違いなくトップクラスに好きな作品である。
ただ、僕はこの作品を店頭でひっそりと棚に並んでいた中から背のタイトルだけ見て衝動買いした。
このタイトルで出すのは編集部的にかなり意欲的というか、プロダクトアウト思考で通したのではないかと思う。
僕には届きました。
そして届いて良かったと思っています。
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