ガールズバンドクライ

このマガジンでは1,000字目安に書こうと(一応)決めているので、好きな作品というのはなかなか書きづらく、躊躇きている作品が沢山ある。
「ガールズバントクライ」(以下「ガルクラ」)もそれに該当するのだが、リアタイ視聴し、最終話を見終え、その余韻をしっかり噛み締めた今このタイミングで書かなければ勿体無い、と考えた次第である。

結論から言えば、「今期の覇権」ではない。
「令和になって今日までに見た新規作品全ての中で現時点の覇権」である。
確かに社会人として歳を重ねるに連れ、新規で見始めるアニメの本数は減っているが、しかし、これはバンドモノを贔屓している訳ではない、正当な感想である。

最初は全く期待していなかった。
アイドルアニメブームが過ぎ去り、俗に言うなろう系作品が次のブームとなる中で、音楽を扱うコンテンツは再びバンドモノへと向かっていった。
分かりやすい例が「BanG Dream!」(以下「バンドリ」)シリーズで、リアルバンド活動と絡めながらという新しいスキームを作り、「ガルクラ」放送直前にも「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」(以下「MyGO」)が放送されたばかりだ。
これが「ガルクラ」を期待していなかった最たる理由で、最初の「バンドリ」が世に出た当時はフル3Dアニメがまだまだ黎明期で、当時で言えばクオリティーは高かったのかもしれないが、普通のアニメと並べると遥かに見劣りするものだった。
加えてトンデモ主人公にドン引きして1話で切ったこともあって「ただアニメにバンド音楽を持ち込んだだけじゃねーの?」と斜に構えていたし、「バンドリ」コンテンツがその後にアニソンカバーでゲーム展開しているのを見て「つまりは彼女たちにロックはないんだね」とガッカリしていた。
その反面、「MyGO」は結構真面目にバンド活動の物語になっていたし、ポエトリーという扱いの難しいジャンルにしっかり作品を合わせていて、期待以上に良かったと感じたばかりだったから、直後の「ガルクラ」へのハードルにもなっていた。

フタを開けてみれば、「そうきたか」という柔らかいレンダリングで、しかし確かに3D特有の臭みがなく、スッと自然に馴染んでいた。
その上で3Dでの演出を最大限に活かした圧倒的なカメラワークによる演奏シーンは、その全てがそのままMVに耐えうる圧があった。
リアルバンドと絡める手法は「バンドリ」も同様であるが、リアルバンドを絡める都合上、企画は相当前から発足して準備してきたハズである。
実際に「どこからこの面子を掘り出してきたんだ」と言わんばかりのプレイヤー兼キャストを集めてきて、ボーカル・仁菜役の理名さんは16歳だか17歳だかである。
「マクロスΔ」美雲役のJUNNAさんと同じレベルの衝撃だった。
歌唱力がというよりバケモンみたいな倍音の出をしている声がマジの才を感じる。
既に1,000字を超えているので中略を挟むが、後発の利点を活かして動き出した「ガルクラ」は、「バンドリ」がリアルバンドを用いて本来やりたかったであろうことをやりきったのだと思っている。

僕が「ガルクラ」を強く推す理由として、「これは自分が成そうとして成せなかった"ロック"だ」と思っているからである。
少し自分語りをする。
僕自身はいじめの経験は無いが、同じく高等教育で中退し親に勘当された身である。
ロックだけが心の拠り所であったし、それだけがこの脚を立たせ、前に進ませてくれた。
仁菜にとってのダイダスは、僕にとってのガルデモであり中島みゆきだった(ここで中島みゆきをロックとして挙げる理由は別のどこかで語っているので割愛)。
だが、僕に運命を変える出会いは無かったし、親の説得に足る実績も無ければ想いを話したところで理解しようとする親では無かったし、中途半端に頭も柔らかかったから、将来のセーフティラインを引き結果で親を黙らせるべく大学を出て仕事についた。
だからこそ、仁菜というキャラクターは僕に出来なかったことをやり遂げるロッカーとして映ったのである。
桃香さんのインディーズ思考というか、自分たちはロックをやっているんだという信念は僕自身も「何の為にロックをやっているか」を考え続けているからよく理解できるし、智ちゃんの人に厳しく自分にも厳しい物言いは少しシンパシーがある。
彼女たちの姿は間違いなくロックに傾倒し日々を藻掻いていた、あの頃の僕なのだ。

物語についても話させて欲しい。
今更ながらネタバレも含むから、未履修ならば先に本編を見てくれ、というかこんなの読んでないでガルクラ以外も素晴らしい作品たちを履修してくれ。
全てを語るには余白はあるが記事の体裁が破綻しているから全体の話だけする。
仁菜にとって支えであり1つの目標地点でもあった初期ダイダスの「空の箱」は、現実と向き合い抗うものだったと僕は思う。
僕自身の支えであった楽曲はそういう気持ちであったし、それがロックだと思ったし、似たルーツを持つ仁菜ならばきっとそうだとも思った。
劇中でも第二期ダイダスに対しての怒りや悲しみや呆れの混在した拒絶反応から見ても、ニュアンスは違っても方向性としては概ねそうだと思う。
流れに抗わず乗りこなす道を選んだ第二期ダイダスには僕も冷めた気持ちを持っていたし、演出の一環なのか分からないが、ヒナの「空の箱」歌唱は全く曲と合致していないように聴こえた。
これは後に仁菜に感化されて偏見(偏聴?)が入っていたと気付くのだが、最初はそう思った。
物語終盤、箱で、そしてフェスで、第二期ダイダスと真っ向から向き合うことになり、初めて初期メンバーたちやヒナから見ているものが共有される。
そこで「確かに変わりはしたけれど、今のダイダスを全力でやって前に進もうとしていることに変わりはない」というものを見せつけられるのである。
ここで僕の中でのダイダスに対する偏見(偏聴?)は解けた。
そして最終話からヒナは仁菜と同じダイダスファンながら、「空の箱」を未来へ進むための支えとして受け取ったのだろうと考察した。
そう考えると第二期ダイダスバージョンの「空の箱」に感じたあの違和感もスッと馴染み、そして仁菜とヒナの決別にも理解が及んだ。
そして少し先に進んだところから、今を抗うトゲトゲのライブを眺めているシーンにエモを感じるのである。

学生時代からのオタク友人がこの最終話を「ラブライブ!サンシャイン!!」(以下「ラ!サ!!」)一期最終話に例えた。
始まる前から負けが決まっていたという点では確かに同じ構図ではある。
しかし、「ラ!サ!!」は勝つ気で挑んだ完全な負け戦で、メタ的に言えば2期が決まっていたからこそのハッキリした負け戦であった。
対して「ガルクラ」は負けると分かった上で同じ場所に立つことをロックというトチ狂った最高の思考から選び、少し先にいるライバルに対し、確かに今はまだ勝てないが、ここから先はまだ分からないよね、という下克上の宣戦布告という最終回だ。
大きく意味の違う負け方だと思っている。

しかし、僕は「ガルクラ」の2期――そこからのトゲトゲの躍進はドラマには不要だと思っている。
つまりは「ガルクラ」に2期は要らないと思っている。
あの瞬間以上の反骨精神を持って臨むロックなど、そう簡単には来ない。
逆にもう1クールであの熱量のロックを描こうと思ったら、急な展開続きでご都合主義の大躍進で武道館に立ち始める。
逆にダイダスとツーマンで武道館ならご都合主義の大躍進をしたのに話が遅い。
つまりは作品の美しさが損なわれると思うのである。
その分のトゲトゲのこれからはリアルバンドを応援していけば良い。
仮に2期をやるのならば、今度はトゲトゲと仁菜からのバトンを受け取った次の世代の子がロックを始めるだとか、逆にトゲトゲとダイダスの躍進に食われて落ち目のバンドが下の成長に満足して身を引く話だとか、そういうのが良い。
もしくは絶交してから再会するまでのヒナの物語だとか、野良バンドからインディーズ契約し、メジャー移籍で脱退してストリートで仁菜に邂逅する直前までの桃香さんの物語とか。
兎にも角にも、1話から13話まで、捨て回もなければ興醒めするキャラ回もない、一貫した美しい作品だったと思っているから、文字通りの蛇足は不要だし、そうなるぐらいであればここで終わって欲しい。
あ、でも公式アンソロコミックで押しかけ仁菜が酔っぱらい桃香さんとイチャイチャ過ごす日常はスーパーめちゃくちゃズンドコ見たい。

これでも端折ったり削ったりしたのだが、3,500字になろうとしている。
好きな作品でも1,000字程度に収められるようになりたいものだが、話し始めるとなかなか止まらないので、どうやら僕はまだオタクを名乗る資格があるらしい。
好きな作品を記事にまとめるのが更にハードルとなってしまったが、それだけ人に想いを抱かせる作品が世の中にたくさんあることが、クリエイターとして最高に気持ち良いし、だからこそクリエイターで在りたい、良い作品を作りたいと僕は思うのだ。

因みにリアルバンドのトゲトゲはオタク感情抜きで良いなと思っている。
前述の通り理名さんの声質には特に惚れていまして、同じく歌う立場としても、女声ボーカル楽曲を作る立場としても大変興味津々である。
まだ若いし、これからより洗練されていくのを見ていきたいので、別軸で応援したい。


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