あずまんが大王

日常系の走りであり、シュールギャグの金字塔的作品だと僕の中では認識している。
僕は硬派な作品を好む一方で、こういった頭を空っぽにして楽しめる作品も結構好きだったりする。
じゃあ避けてばかりいる日常系と「あずまんが大王」の差は何なのかと問われると少し回答に戸惑うのが正直なところではあるが、やはり時間の流れがそこに存在していることだと思う。

「あずまんが大王」は殆どをアニメで履修したし、そもそも世代は僕より少し上の世代に当たる作品である。
そのため特に印象はないのだけれど、リアルタイムでの季節や時事に合わせて全体の物語は進んでいたらしい。
前述の通りそれを肌で感じた訳ではないのだが、アニメも順に季節を追っていて、そして進級や卒業がある。
これはこの手の作品ではなかなかないと思っていて、というのも日常系やシュール系には時系列を絡ませない方が何かと便利だからである。
1つのイベント毎にたくさんのエピソードが作れるし、逆に季節に絡ませないエピソードを自由に組み込ませることができる。
シュール系だと投げっぱなしのギャグを作れるから、極端な例だと「でんじゃらすじーさん」のように、ギャグの成り行きのまま終わろうが爆発オチをしようが地球が破滅しようが、次の話を何事もなかったかのように始められる。
同じ四コマというくくりならば、「キルミーベイベー」のようにホラーな終わり方をして次の回はいつも通りの温度で展開し、「前回のアレは何だったのだろうか」と読み手の心に引っ掛かりを作ったり考察させたりして作品の印象を大きく残す事もできる。
しかし、「あずまんが大王」はそんな締め方をせず、高校生の面白い高校生活を過不足なくはめ込んでいて、故に彼女らのその後を想起させる。
作品はとうの昔に完結しているが、あの世界で彼女たちの人生が続いて今があることを想像するのは容易い。

作中に「大阪」とあだ名で呼ばれる大阪出身のキャラクターがいる。
大阪人ながらおっとりしているというギャップが魅力のキャラクターなのだが、今のところ関西出身という設定で関西人のテンプレにいないのは彼女しか僕は知らない。
僕の母も関西出身で、母方の親戚も大阪と神戸に散らばっているのだが、一人としておっとりした人間がいない。
フィクションなのだからそんな関西人がいても良いハズと思いつつ、現実の方がフィクションのように思えてくるので、「大阪」を見ているだけでも面白い。
勿論この作品に登場するキャラクターは生徒だけでなく先生も個性豊かで面白いので、そういった見ていて飽きないキャラクターたちがたくさんいるのも魅力だと思う。

あと「空耳ケーキ」は今聴いても唸る不思議な名曲だなぁと……どうやったらこんな曲思いつくんだろうな。

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