MFゴースト

読む必要は無い作品である。
以上。

と言う批判をするのは簡単で、ちゃんと説明しなければただの当たり屋に過ぎない。
正直なところ、先のような一閃切り捨てで評価を終える作品は星の数ほど……は言い過ぎだが、かなりの数のタイトルをそう一言で評価してはオタク友達から「そう言わずに3話まで見てくれよ」みたいに宥められた覚えがある。
「MFゴースト」はその典型で、僕自身がクルマ好きでもあるし、クルマ仲間でありオタク友達でもある友人もいたから、特にそんな雰囲気があった。
そんな雰囲気があったからこそ、ちゃんと説明する。

しげの秀一先生は正直なところ「頭文字D」の途中からマンガとしては雑になったなぁという感触があった。
序盤みたいな痛快なレースはなく、勝つために用意し、勝つべくして勝つ、と草レースの域を越えて、マシンもそういうものばかりになった。
話も進みが遅く、1話でコーナー1つ抜けたかどうかみたいなことが増えていた。
そして案の定というか、「頭文字D」以降は微妙な作品でマンガ家としての余生を過ごしていたような感じに思えた。
しげの先生にはイニDマネーがあるかもしれないが、出版社としては当然ながら売れる作品を出し続けなければならない。
多分、編集の方から「やっぱり先生にはレース描いて欲しいんですよね……。もう一作、今度は今のクルマが活躍する作品描きません?公道要素は欲しいけど走り屋は流石に時代錯誤かー、じゃあそこはマンガってコトでフィクションしちゃいましょ!で、ファンサービスに世界観を地続きにしてちょっと頭文字Dのキャラクターとか出してもらって……」みたいな持ちかけをしたんじゃなかろうか。
しげの先生側から新作なんか反応悪いしその方が売れるかも、と提案した可能性も無くはないが、多分そんなことしなくてものびのびやれただろうから線は薄いか。
兎にも角にもそんな背景が見えてしまって全く魅力を感じないのである。

「頭文字D」との差別化にあたって、もう一つ僕に刺さらなかった要素がある。
それは「頭文字D」の時代と違い、現代のスポーツカー業界が(特に国産メーカーが)あまり生き生きとしておらず、若者にとっても贅沢品になりつつあって「クルマ離れ」が加速していることによる。
しかも、「MFゴースト」に登場するライバルはフェラーリやランボルギーニといった超高級車で、正に「高嶺の花」だ。
上手いこと言うやろ?
別にフェラーリやランボルギーニに興味が無いワケじゃないし、むしろ好きだが、なんかそれは別に他のクルマ系マンガでありがちではないか。

物語もなんというかテンポが悪いというか、それこそ「頭文字D」の時代はそういう物語の始まりで良かったんだよなと思いつつも、昨今の新陳代謝にはそぐわない古臭いテンポなのだ。
そのテンポ自体は嫌いじゃないのだが、「頭文字D」のような成長譚がこの主人公やマシン、そして物語にあるようには見えなくて、ただただテンポが悪いと思ってしまうのである。

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